武石温泉 うつくしの湯 takesionsen

五月に入り花々が賑やかに 城址公園内の三枚

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うつくし浴場 露天風呂



小谷温泉 
otari onsen

温泉地名: 小谷温泉
源泉名: 小谷温泉源泉-1
泉質: ナトリウムー炭酸水素塩泉
    中性 低張性高温泉
    pH7.13 (陽イオン960mg/kg  陰イオン2526mg/kg)
源泉温度: 56.3℃
湧出量: 255ℓ/min 内湯2 (源泉率90%かけ流し) 
     混浴露天1(源泉率100%)
     浴槽換水:完全換水/毎日 

利用料: 大人 300円   子人 200円
入浴時間: 10.00~20.00  露天風呂: 10.00~15.00
休憩処利用時間: 10.00~15.00  
食事処利用時間: 11.00~15.00

効能:神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 うちみ 
   慢性消化器病 痔疾 冷え性 疲労回復 

   切り傷 やけど 慢性皮膚病


小谷温泉 雨飾荘 長野県北安曇郡小谷村字中土小谷温泉  
Tel 0261-85-1607

南小谷駅
駅前から定期路線バス

2~3人の乗客(村民)はみな降りて
一人ぼっちのバス

大きな案内板

終点の村営雨飾荘
背後(県境)に雨飾山

効きそうな温泉

湯流入口

温泉効能等お知らせ板

豪雪に備えてスノーシェッド

姫川上流の巨岩

仁科三湖最大の青木湖スキーバスの
転落で多くの方が亡くなった

南小谷~糸魚川間
ローカル最後列

北大町駅付近黒四ダムの為の
大きな操車場が有りました

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40年ぶりの小谷温泉です。前回は中土駅からタクシーで向かいましたが、道路が不通とのことで河原の中の臨時道路を冷や冷や渡ったことを思い出す。当時は今回の温泉施設は無く、二軒の温泉旅館(太田旅館 山田旅館)と手前に俗称「あつゆ」が在るのみ。その時は太田旅館にお世話になったのですが、廃業されたという。二階建て一棟の大きな木造で、ツバメが飛び交い、くもの巣が窓一面に覆っているような湯治専門のような宿であった。営業中の山田旅館も当時と比べれば様代わりしたようです。

南小谷駅前で地元の方とバスを待ちながらしきりと「わしゃ、あつゆがいいとおもうだに、入ってみぃ、いいゆだで」。せっかくのお薦めとあってバスに乗ったが、幸いのことに手前の停留所で降りてくれた。営業中の看板を見てホッとしたもののミステイクでした。小銭が500円であとは万円札、入浴料には十分ですが帰りのバス代(約900円)を万円で。恐る恐るフロントで訳を話すと快くOK、OKとのことで、またまたホットでした。

浴槽は見ての通り大きくはありませんが、浴縁から流れ出す湯は真にかけ流しです。露天風呂(無料ですが手入れのためにお心をお願いの張り紙あり、もちろんお心とはお金のこと)は、此処からちょっと離れたところにあるらしく、今回は入らず仕舞い。ロッカーも大きめで(リュックサックで30Lが入る)ハイキングや山菜取りの装備には十分な大きさです。ところで山菜取りですが、近年山菜専門人が出没するといわれ、地元の林業組合で目を光らせているとのことです。山も、川も、海も権利を守る為に同様な悩みをお持ちですね。



湯の川温泉 
函館 yunokawaonsen

温泉名: 湯元漁火館
源泉名: 湯元漁火館1号井
泉質: ナトリウムー塩化物泉
    陽イオン2500mg 陰イオン4870mg 遊離二酸化炭素581mg
    中性低張性高温泉  pH 6.4
泉温: 47.8℃
湧出量: 500ℓ/min 源泉かけ流し
浴槽: 内湯 男女各1   露天風呂 男女各1
効能:神経痛 筋肉痛 関節痛 運動麻痺 関節のこわばり
   うちみ くじき 痔疾 慢性消化器病 慢性皮膚病 
   疲労回復・冷え性 きりきず やけど

飲用: 慢性消化器病 慢性便秘
日帰り入浴: 12.00~18.00  利用料 500円 無休
岩盤浴: 10.00~21.00   利用料 700円  
タオル一式付1100円

湯の川温泉 漁火館
函館市根崎町375-1   Tel 0138-57-1117  
 

以前より整備された函館駅

湯の川の奥まった漁火館
空港からは近い

津軽海峡を望む露天風呂

露天風呂の注湯口
温度調整用のバルブor注湯バルブ

夕暮れの津軽海峡 

津軽海峡トンネル最深部の
カラーサイン

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カトリック元町教会

重要文化財 旧函館区公会堂

内部二階フロアー

スパー白鳥

温泉名: 谷川温泉
源泉名:河鹿の湯 小浴場
泉質: カルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉  
    弱アルカリ性 低張性高温泉
    pH8.1 陽イオン 303mg/kg  陰イオン 642mg/kg
源泉温度: 42.7℃
湧出量: 不明 
湧出形態: 不明 引湯
注入排出形態: かけ流し 加水無 加温無 循環無
効能:
動脈硬化症 切り傷 やけど 慢性皮膚病 慢性婦人病
   神経痛・筋肉痛・関節痛・運動麻痺・関節のこわばり
    うちみ・くじき・痔疾・慢性消化器病・疲労回復・冷え性
    慢性消化器病・慢性便秘
利用料: 大人550円 小人250円
利用時間: 9.00~22.0
休日: 第3木曜日

湯テルメ・谷川
群馬県利根郡みなかみ町谷川514-12
Tel: 0278-72-2619


源泉名: 不動の湯 大浴場
泉質: 単純温泉(ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉)
    pH8.3 陽イオン303mg/kg 陰イオン226mg/kg 
    弱アルカリ性 低張性高温泉
源泉温度: 54.4℃
湧出量: 不明  湧出形態: 不明 引湯
注入排出形態: 加水無 加温有 循環ろ過有 消毒有


源泉名: 蛍の湯 小浴場
泉質: 単純温泉(カルシウム・ナトリウムー塩化物・硫酸塩泉)
     pH8.2 陽イオン226mg/kg 陰イオン642mg/kg
     弱アルカリ性 低張性温泉
源泉温度: 39.3℃
湧出量: 不明  
湧出形態: 不明 引湯  
注入排出形態: 不明


源泉名: 不動の湯と河鹿の湯の混合泉 露天風呂
注入排出形態: かけ流し 加温有 加水有


町営日帰り温泉施設。
水上ICからR291を水上方面へ。 水上信号を戻るような感じで左折して道なり、左側に注意して小さな看板あり。道路からの進入口はわかり難いが旅館群が見えてきたら行き過ぎで、戻ります。
ガラス窓際にある大きな浴槽が不動の湯、向かいの小浴場が蛍の湯、河鹿の湯。蛍の湯は設備故障の為休止中。河鹿の湯は完全掛け流しで冷たく感じる体温と同程度で長湯には良いかも。内湯から階段を下ったところに露天風呂がある。不動の湯よりもややぬるく景色を眺めながらの入浴には最適。
三源泉共ほぼ無色透明、無臭で五感からは特徴が分かりにくい温泉。泉質からは動脈硬化症と外傷性疾患に特徴が見出される。源泉掛け流しの河鹿の湯は冬季はかなり温度が低下するであろうと想像できる。ともあれ、全浴槽とも加水はなく源泉を堪能するには良い施設ではないでしょうか。

かくのだて温泉 角館 kakunodateonsen

温泉名: かくのだて温泉
源泉名: 淡渓の湯
泉質: カルシウム・ナトリウムー塩化物・硫酸塩泉  
    低張性高温泉
    pH不明  陽イオン1860mg/kg 陰イオン3370mg/kg
源泉温度: 51.3℃
湧出量: 不明
湧出形態: 掘削 動力揚湯
注入排出形態: 源泉掛け流し
効能: 
きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 動脈硬化症
    神経痛 筋肉痛 五十肩 慢性消化器病 痔疾 
    冷え性 疲労回復 健康増進 うちみ くじき
利用料: 大人 500円  小人 250円  休憩広間 300円 
利用時間: 7.00~23.00
休日: 第3木曜日

かくのだて温泉  角館観光協会→温泉三昧→かくのだて温泉
秋田県仙北市角館下中町28  Tel: 0187-52-2222


角館駅前通りを道なり、坂を下って突き当たりの郵便局を左折5~60m。郵便局から看板が見える。角館と言えば枝垂桜で、駐車場脇にその桜はあった。受付フロアーの一角に無料の休み処がある。有料の休憩所は今回利用しなかった。脱衣場のロッカーは25Lのリュックと衣類までは入る容量がある。
浴槽は大浴槽が一つで、浴槽の縁だけ木質で囲ってあり源泉が掛け流されている。浴中に大岩があり見る角度、位置により想像する動物のように見えるのが楽しい。家庭用浴槽を流用した水風呂と飲泉用蛇口が浴場中央に設けられていた。若干の塩味がする。入浴直後はアルカリ泉のヌルヌル感を感じるが、次第に収まる。Phは8.0以下でしょうかね、表示がなく感じたままですが。
浴中の大岩の周囲には砂がたまり歩くと足にそれを感じます。大岩を固定しているモルタルが剥がれているようでした。とくべつ嫌な気持ちにはなりませんが、浴槽の入れ替え掃除は毎日行っていないのかもしれません。何よりも外から訪れた者にとって朝7時からの営業は嬉しいです。

入り口の源泉名表示は淡渓の湯
浴場内表示はかくのだて温泉とある

大きめのロッカー

サウナ風呂

かくのだて温泉外観

温泉成分分析書
通常の表示とは異なる

浴槽 右大岩

一本桜

観光バスも満開

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野沢温泉 共同浴場 nozawaonsen

中尾の湯

温泉名: 野沢温泉中尾の湯
源泉名: 茹釜、下釜源泉混合泉
泉質: 含硫黄 ナトリウム カルシウムー硫酸塩泉
    低張性 アルカリ性高温泉
    pH8.9 陽イオン291.2㎎/㎏ 陰イオン603.9㎎/㎏  
    成分総計1029.4㎎/㎏
源泉温度: 81.9℃
湧出量: 不明
湧出形態: 自然湧出
注入排出形態: 源泉かけ流し
効能: 神経痛 筋肉痛 五十肩 慢性消化器病 痔疾 
    冷え性 疲労回復 健康増進 うちみ くじき
    
きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 動脈硬化症
 
利用料: 志
利用時間: 5.00~23.00  (12月~3月 6.00~23.00)
休日: 不定休

野沢温泉観光協会
長野県下高井郡野沢温泉村大字豊郷9780-4  
Tel: 0269-85-3155

温泉成分分析書

温泉名: 野沢温泉秋葉の湯
源泉名: 大釜、御嶽源泉混合泉
泉質: 単純硫黄泉
    低張性 アルカリ性高温泉
    pH 8.6  陽イオン261.3㎎/㎏  陰イオン 518.4㎎/㎏
源泉温度: 70.8℃
湧出量: 不明  湧出形態: 自然湧出
注入排出形態: 源泉かけ流し
効能: 神経痛 筋肉痛 五十肩 慢性消化器病 痔疾 
    冷え性 疲労回復 健康増進 うちみ くじき
    
きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 動脈硬化症
 
利用料: 志
利用時間: 5.00~23.00  (12月~3月 6.00~23.00)
休日: 不定休

野沢温泉観光協会
長野県下高井郡野沢温泉村大字豊郷9780-4  
Tel: 0269-85-3155

秋葉の湯

温泉成分分析書

温泉名: 野沢温泉ふるさとの湯
源泉名: 真湯1号、真湯2号混合泉
泉質: 単純硫黄泉  低張性 弱アルカリ性高温泉
    pH8.0 陽イオン172.2㎎/㎏ 陰イオン344.0㎎/㎏
源泉温度: 45.4℃


源泉名: 竹伸し、御嶽、大欅混合泉
泉質: 単純硫黄泉  低張性 アルカリ性高温泉
    pH8.7 陽イオン252.5㎎/㎏ 陰イオン511.0㎎/㎏
    成分総計869.0㎎/㎏
源泉温度: 71.6℃
湧出量: 不明  湧出形態: 不明
注入排出形態: 加水 循環ろ過 消毒
効能: 神経痛 筋肉痛 五十肩 慢性消化器病 痔疾 
    冷え性 疲労回復 健康増進 うちみ くじき
    
きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 動脈硬化症 
利用料: 大人500円  小人300円
利用時間: 10.00~20.00
休日: 毎週木曜日 (祝日の場合翌日)


麻釜温泉公園ふるさとの湯
長野県下高井郡野沢温泉村豊郷8734 
Tel: 0269-85-3700

野沢温泉観光協会
長野県下高井郡野沢温泉村大字豊郷9780-4  
Tel: 0269-85-3155

ふるさとの湯

温泉成分分析書(真湯混合泉)

浴槽 あつ湯 ぬる湯の二浴槽

湯澤神社拝殿

湯澤神社本殿

曹洞宗 薬王山建命寺

本堂扁額

本堂薬師如来

道祖神神社の相対道祖神

野沢村のシンボル木彫り道祖神



蔵王山頂ロープウェイ 樹氷

山麓~山頂 往復2500円

樹氷高原駅

蔵王山麓駅

蔵王山頂駅

山麓駅脇の雪造り地蔵堂

地蔵菩薩坐像

高原駅 樹氷ツアーの雪上車

僅かばかりの視界

高原駅 ハーフモンスター

高原駅

高原駅~山頂駅 視界不良

山頂駅 オアシス

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霞公園 旧山形城二の丸

二ノ丸南大手門水堀左側土塁

二ノ丸南大手門水堀右側土塁

二ノ丸大手門橋と大手門跡石垣

山形城址

大手門桝形石垣

二ノ丸土塁堀桜

本丸堀桜

本丸一文字門桝形高麗門(復元)

一文字門桝形石垣修復

桝形石垣崩壊時の石材(発掘)

桝形右側櫓の石垣

本丸御殿 義光公桜之図

二ノ丸東大手櫓門

二ノ丸東大手門桝形高麗門と多聞櫓

高麗門より桝形

最上義光公銅像

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本丸大手門隅櫓石垣

隅石

石垣石の展示



旧済生館本館

休み処(東屋)卍亭
新潟県北部地震(平成七年四月一日 1995)で倒壊し、その後立て直した東屋。京都・桂離宮の卍亭を模して造ったものです。四つの腰掛の空間が卍形になっており、腰かけたときにお互いの目と目が合わないような設計になっている。

會津八一歌碑
昭和二十二年十月七日、天皇陛下の下越地方巡行に際し、會津八一の「天皇陛下を迎えまつるとて」の連作短歌五首の中の二首を刻んでいる。碑石は、阿賀野市出湯(花崗岩)である。
「みちのへの をぐさのつゆに たちぬれて わがおほきみを まちたてまつる」 
   道の辺の 小草の露に 立ち濡れて 我が大君を 待ちたてまつる
「くにみすと めぐりいまして しなさかる こしのあらぬに たたすけふかも」 
   国見すと 巡りいまして しなさがる越の荒野に 立たす 今日かも
「いねかると たなかにたてる をとめらが うちふるそでも みそなはしけむ」 
   稲刈ると 田中に立てる 乙女らが うち振る袖も見そなはしけむ

松籟庵 (新潟県指定文化財)
因州(因幡国 鳥取県の一部)の茶人・松村宗悦の設計に成る三畳台目の茶席で、幕末の建築にかかり、風害で大破したのを、修理復元したものである。席名は、表千家即中斎宗左匠の命名である。

吉井勇歌碑
昭和三十三年の夏、市島成一が吉井勇と越中(富山県)立山登山の際、新発田名産の豆腐殻鮨を携え、立山弥陀ヶ原の宿で酒を酌んだときの即興の歌を刻んである 碑石は五十公野山の古寺石(玄武岩)を用いている。
「山の夜を われに食ますと 新潟の 鰺のからずし 友は持て来る」  勇

市島家説教所 (新潟県指定文化財)
積年、市島家に安置し祀る御本尊は明治三十年、武州(東京都、埼玉県、川崎市、横浜市)金沢の海中より一回の漁夫の網にかかられた御霊宝であります。もとは戦国の乱世時代より永年海中深く沈まれておられましたが、再び多くの人々のためにこの世に出現されたものであります。そのご、金沢村の旅館・一ノ瀬安右衛門という信仰の篤い人により安置され尊崇されてきました。
明治三十四年の春、当家八代・市島徳次郎が金沢村の旅館・一ノ瀬へお向かれ宿泊の折り、この霊宝の御本尊を拝され世にも稀なる霊佛と思われて是非譲り受けたいと御懇望、安右衛門は快く承諾されたのであります。爾来幾星霜市島家説教所の御本尊として、一般信徒の信仰の中心となってまいりました。実に不思議な因縁と申すべきでありましょう。
二十数年前までは市島家で毎月十七日を説教日と定めて御本尊を尊崇いたしてまいりました。

湖月閣跡
市島家十一世八代・徳次郎(湖月)の造営に係り、明治三十年に完成いたしました。上、中、小段の三間と付属の間を加え合計百八畳の大広間で、別に二階三間十五畳があり、豪華壮重を極めて冠婚葬祭などの公式行事の本座敷、また迎賓館として用いられ市島家最盛期の面影をとどめておりました。
この湖月閣は平成七年四月一日の新潟北部地震に際に惜しくも全壊いたしました。

                        案内説明より

式台玄関上がり框衝立 勝海舟書 (五言絶句)
「高濤天地黒 急雨躍蛟龍 須臾吐月 船入喜望峰」
波高くして天地は真っ暗である  激しい雨にまるで龍が躍りだしそうだ 
一瞬の後には雲間に月が見え  船は喜望峰へと向かってゆく

勝海舟 (1823~1899)
江戸時代末期から明治時代初期に活躍した旧幕臣(旗本)、政治家。名は勝麟太郎、後、勝安房守義邦、海舟は号である。万延元年(1860) 三十七歳の時、咸臨丸でアメリカに渡った。
幕末から明治時代初期にかけて活躍した幕臣で、山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と言われ、「維新の三傑」の木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通とともに知られている。

書斎のオルガン
昭和四年(1929)、天王小学校の増改築で工事経費の大部分を市島家が寄付した際、併せて小学校に寄贈した当時の「YAMAHA・オルガン」です。
平成十九年(2007)小学校のご厚意で「七十八年」ぶりに里帰りしたものです。

扁額 「開物成務」 癸丑三月 市島雅兄請嘱 青淵書
東京王子・飛鳥山にある渋沢栄一の私邸で開催された観山会(下村観山の後援会 市島春城は後援会の会員であった)の席で、春城が渋沢に揮毫を依頼したものです。「開物成務」とは、「人知を開発し、事業を完成すること」(日本国語大辞典)で、多くの人が働く事務所に掲げるにはうってつけの言葉と言えます。
春城の筆録によれば、当日は渋沢が「席上会員の需に応じ・・・中略・・・揮毫す、余も亦宗家主人の為めに額面を請う、渋沢快諾、直ちに開物成務の四字を書き干支と市島雅兄請嘱と書きて贈らる」とあり、この扁額が本家主人、すなわち八代・徳次郎(湖月)のためのものだということがわかります。

帳場 帳場箪笥
通用口に面し、「店」とも呼ばれた。帳簿付けや勘定をしたところで、内事、土地、会計の各係があり番頭などの使用人が門番所を含め三十余人居ました。当時使用した金庫、机、長火鉢などがあります。
帳場箪笥は商家の帳場に置かれ、商売に必要な金品や帳面などをしまっておく箪笥です。盗みに入られたときにたやすく見つけられない様にからくり箱を仕込んだものが多くあります。

葵御紋付き長持
大正四年、市島徳厚と松平隆子(結城松平系津山八代藩主・松平斉民の孫、十一代将軍徳川家斉の玄孫)の婚礼に先立ち、松平家からは大量の「嫁入り道具」が市島家に運び込まれました。
市島家までの道中、それらの道具は葵の紋が大きく描かれた「長持」に収められて運ばれてきました。記録では運び込まれた長持は六棹あったようですが、現在市島邸には葵御紋の長持は四棹が残っています。
               案内説明より

温泉名: 月岡温泉清流苑の湯
源泉名: 月岡5号井源泉
泉質: 含硫黄 ナトリウムー塩化物泉
     低張性 弱アルカリ性 高温泉
     pH 8.0  陽イオン 1201㎎/㎏  陰イオン 2238㎎/㎏
     成分総計 3610㎎/㎏
源泉温度: 50.4℃

湧出量: 440L/min
湧出形態: 掘削動力用湯
注入排出形態: 加水 加温 循環ろ過放流式

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 打身 くじき
    慢性消化器病 痔疾 冷え性
    
切り傷 やけど 慢性皮膚病 慢性婦人病 糖尿病


源泉名: 月岡6号井源泉
泉質: 含硫黄 ナトリウムー塩化物泉
     低張性 弱アルカリ性 高温泉
     pH 7.9  陽イオン 1211㎎/㎏  陰イオン 2149㎎/㎏
     成分総計 3461㎎/㎏
源泉温度: 49.5℃

湧出量: 141L/min
湧出形態: 掘削動力用湯
注入排出形態: 加水 加温 循環ろ過放流式

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 打身 くじき
    慢性消化器病 痔疾 冷え性
    
切り傷 やけど 慢性皮膚病 慢性婦人病 糖尿病


月岡温泉清流苑  新発田市月岡温泉278-2  Tel 0254-32-2000


日本温泉協会による温泉利用証によると泉質に関しては最高の5段階の5
浴槽に対する源泉の注入率が最低の1の評価(清流苑)
浴槽を満たすまでの時間が約20時間を要する源泉量しか確保できていない。
月岡温泉全体の湧出量は減少しているのだろうか。
分配率によっても変わるであろうが浴槽の小さいほど新鮮な温泉といえる。
その点で清流苑は加水の割合が多いと思われるのでこの評価になったのでしょう。
上記の湧出量は協同組合混合泉で合わせて600Lほどで六軒に分配すると一軒当たり100Lとなるので清流苑の浴槽は大きすぎると思われます。

清流苑外観

日本温泉協会浴槽利用証

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月岡温泉へ

大浴場

中庭から望楼棟

望楼棟二階 三条実美直筆額濟生館

ローマ風呂風 源泉かけ流し

落葉樹林

竹林

雪椿

板渡し廊下

式台玄関上がり框の衝立
勝海舟 書

書斎

玄関

式台

倉庫 展示場として利用

源泉近くの広瀬館ひてんの音 

不動の湯 大浴場

最上高湯浴槽注湯

望楼高欄回廊

本館入口円柱

建築当時のランプシェード

南山邸広間 襖を取り除く 

建築当時の歪み板ガラス

書斎

外見飾り丸窓

書斎扁額 渋沢栄一書
「開物成務」

月岡温泉発祥の地公園

武石温泉 うつくしの湯    おがわ温泉 花和楽の湯     初谷温泉    天童温泉 滝の湯


秋田温泉 秋田温泉プラザ   小谷温泉 雨飾荘     湯の川温泉 漁火館  函館


谷川温泉 湯テルメ谷川     かくのだて温泉  角館桜     野沢温泉 共同浴場  


蔵王温泉 ホテル喜らく 湯の花茶屋新左衛門の湯     飯坂温泉 駅前つたや旅館        


月岡温泉 清流荘 市島邸 新発田城下

限定品に弱く買ってしまいました

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谷川温泉 水上 yuterume・tanigawa

R254号(上方からは下仁田街道、江戸からは信州街道、その他姫街道)

内山トンネルを過ぎ急な下り坂が途切れるあたり「初谷温泉→」の案内板が。通るたび気になっていた看板です。
ハツタニ ハツヤ ショヤ??正確な名称はショヤオンセンでした。で、帰り道急な思いで立ち寄り湯。時間制限(15.00 到着時に知る))30分前頃に到着。
フロントで念を押され(強い調子ではなく、お願いねってな感じ)急げ急げ。浴室に入ると狭いけれど良い感じがする。人それぞれで、口コミ情報では、1と5がばらばらと入り乱れるかも。上のご案内のようにさら湯につかり、源泉湯にはいる。湯温は体温より低く感じられて長湯もOKですが、できません。ここの源泉の売りは二酸化炭素らしいので、湯温を高くすると炭酸ガスが泡となり気の抜けたサイダー状態になるのでしょうね。
海でも川でも温度の低いほうが炭酸ガス含有量が多く、そのために植物プランクトンや海藻類の生育環境が良くなり結果、それらを捕食する動物プランクトン、魚介類も良い生育環境が与えられているらしい。熱帯の魚介類よりも北海の魚介類の方が胃袋を刺激するイメージが感じられます。時間を気にしてなんとか怒られることもない時間にフロントを後にした。

旅館の裏手に源泉湧出場所があるとのことでよって見ました。寶命水と呼ばれている湧出水が上の写真です。簡単に開けられる蓋を取ってみると、赤茶けた源泉槽です。飲んだ感じでは舌先にピリッとします、これが炭酸ガスのようです。が、甘さを無くした鉄サビ臭いサイダーです。ありがたくPETボトルに少しだけいただいてきました。ともあれ、温泉の含有量が濃く通う方も多いのではないでしょうか。私も入浴時間が解ったことですので、通るたびに時間によってはハンドルを右or左に切るかも。

手前さら湯 奥源泉湯

温泉地名:初谷温泉
源泉名:初谷温泉源泉
泉質: 含二酸化炭素ー
    ーナトリウム・カルシウムー塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉
    低張性中性冷泉
    pH6.4  陽イオン2654.88mg/kg  陰イオン5150.9mg/kg
    含有成分:6975mg/kg  内含二酸化炭素ガス:1163mg
    メタほう酸 5≦155.9mg/kg 
源泉温度:14.3℃
湧出量: 2ℓ/min
湧出形態: 自然湧出  
注入排出形態: 加温有 加水無 循環ろ過無 かけ流し
効能: 高血圧症 動脈硬化症 きりきず やけど 
    慢性皮膚炎 慢性婦人病
 
    神経痛 筋肉痛 五十肩 慢性消化器病 痔疾 
    冷え性 疲労回復 健康増進 うちみ くじき

利用料: 500円 (問い合わせ)
利用時間: 12.00~15.00
初谷温泉  
長野県佐久市内山352-イー1    Tel 0267-65-2221

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温泉名: 天童温泉
源泉名: 天童6号、8号、9号温泉組合混合泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩泉  
    低張性 弱アルカリ性高温泉
    pH8.1  陽イオン 518.5㎎/㎏  陰イオン 1136.1㎎/㎏
源泉温度: 60.6℃
湧出量: 不明
湧出形態: 掘削 動力揚湯
注入排出形態: 加水 加温 循環ろ過消毒
効能: 
きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 動脈硬化症
    神経痛 筋肉痛 五十肩 慢性消化器病 痔疾 
    冷え性 疲労回復 健康増進 うちみ くじき

利用料: 500円
利用時間: 11.00~16.00
休日: 無休

ほほえみの宿 滝の湯
山形県天童市鎌田本町1丁目1-30
Tel: 023-654-2211


天童駅から約15分で温泉街がある。街中にとけこんだように10館ほどの宿がかたまって見えた。以前に泊まった宿の名前が変わっていたが、その時の宿名が思い出せない。市街地で場所が取れないのでしょうか、とってつけたような露天風呂?がある。
大型の施設で整った感じが見うけられ清潔さも逸品です。飲泉所が浴場内にあり手軽にのむことができる。泉質に関しては温泉組合管理施設からの配湯で、引き湯長や配湯量により各旅館の特徴はあるのかもしれない。ここの湯は温泉らしい湯で、消毒臭も感じなかった。



天童温泉 tendoonsen-takinoyu

天然記念物 麻釜熱湯湧泉

浴槽

温泉名: 野沢温泉大湯
源泉名: 大湯源泉
泉質: 単純硫黄泉  低張性 アルカリ性高温泉
    pH8.5 陽イオン190.8㎎/㎏ 陰イオン412.9㎎/㎏
    成分総計717.0㎎/㎏
源泉温度: 66.2℃
湧出量: 不明  湧出形態: 自然湧出
注入排出形態: 源泉かけ流し
効能: 神経痛 筋肉痛 五十肩 慢性消化器病 痔疾 
    冷え性 疲労回復 健康増進 うちみ くじき
    
きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 動脈硬化症
 
利用料: 志
利用時間: 5.00~23.00  (12月~3月 6.00~23.00)
休日: 不定休

野沢温泉観光協会
長野県下高井郡野沢温泉村大字豊郷9780-4  
Tel: 0269-85-3155

温泉公園ふるさとの湯

ぬる湯

建命寺薬師堂

本堂外陣のおびんずる様(なで仏)

鐘楼

ホテル喜らく

   山頂駅 蔵王地蔵尊
蔵王地蔵尊は蔵王ロープウェイ地蔵山頂駅の東約100メートルのところにあり、
安永四年(1775)、諸願成就・災難除けとして宝沢の庄屋によって、三十七年もの長い歳月をかけ建立されました。
高さ2.34m、肩幅1.2m、膝巾1.8m、台座の高さ0.34mの坐像で、安山岩で造られた地蔵菩薩です。
例大祭は毎年五月二十四日(春期)と九月二十四日(秋期)に執り行われています。

                    案内説明より

石切り矢羽跡

豊烈神社参道鳥居

拝殿

本殿

市島邸  

新潟県新発田市天王1563  Tel 0254-32-2555
開館時間 9.00~16.30(4~11月) 9.00~16.00(12~3月) 
休日 水曜日 年末年始  入館料 600円

発祥の地碑と昇龍石

池と松山

池と雪見灯篭

池と石橋

公衆浴場 月岡温泉美人の泉

美人の泉HPより

休業?の宿泊施設

公衆浴場 波来湯  定休日(火)
6.00~22.00  300円

牛タン定食

たんや善次郎

松尾芭蕉像と十綱橋

松尾芭蕉は元禄二年(1689)江戸を出発して陸奥・出羽・北陸をめぐり美濃の大垣に着くまで百五十日に及ぶ俳諧修練の旅を続けたが、この旅行記を「奥の細道」にまとめ後世に残した。この紀行文は我が国の文学史上に不滅の光彩を放っている。この度の途次芭蕉は門弟・河合曽良とともにまだ温泉場としての形態を整えていない当時のひなびた飯坂温泉を訪れている。
飯坂城主・佐藤庄司基治の菩提寺医王寺を訪ね、源義経に従って転戦し討ち死にした基治の息子・継信、忠信兄弟の戦功に耳を傾け、継信、忠信の死を悲しむ母を慰めるため、二人の嫁が夫の甲冑を身に着けて凱旋の様を粧った話に涙を流し「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」の一句を残した。然し飯坂の泊は雷雨降り、持病もおきて寝苦しい一夜であったと云われている。

十綱橋の由来
「みちのくの とつなの橋に くる綱の 絶すも人に いひわたるかな」藤原親隆(千載和歌集)
平安(平安時代)のころ、この地に籐蔓で編んだ吊り橋が架けられていた。文治五年(1189)大鳥城主・佐藤元春(基治)は、源義経追討の鎌倉勢を迎え撃つため(奥州合戦)、この橋を自らの手で切り落とし、石那坂の合戦に赴いた。その後は両岸に綱を張り舟をたぐる「とつなの渡し」にたよったが、摺上川はたびたび氾濫する川で、舟の往還にも難渋した。
明治六年(1873)盲人伊達一、天屋熊坂惣兵衛らの努力によりアーチ式の木橋が架けられ「摺上橋」と命名されたが、一年ほどして倒壊、明治八年に宮中吹上御苑の吊り橋を模して十本の鉄線で支えられた吊り橋が架けられ「十綱橋」と名付けられた。大正四年(1915)橋の老朽化に伴い、当時としては珍しい現在の十綱橋が完成されました。昭和四十年(1965)に大補修が加えられ、飯坂温泉のシンボル的存在となっている。
「飯坂の はりかね橋に 雫する あづまの山の 水色のかぜ」与謝野晶子 は先代吊橋を詠んだ歌である。

福島の地名の由来
律令時代「信夫(しのぶ)」「伊達(だて)」と呼ばれていたこの地方は、古くは湖であったと云われています。湖の中央には現在の信夫山が湖底から吹き上げられたような形の島として浮かんでいました。その島をこの地方の人々は「吹き島」と呼んでいたと伝わります。時代をはるかに下って桃山時代の天正十九年(1582) (1591の説明間違い)豊臣秀吉からこの地を与えられた蒲生氏郷(会津黒川九十一万石)の与力・木村重次(木村吉清であろう)が文禄元年(1592)信夫群五万石を拝領し大森村の山城(大森城)から現在の県庁付近にあった杉目城に移ってきたとき、「吹き島」という名にめでたい文字を当てて「福島城」と名付けた。後藩政時代には福島藩の藩庁が置かれた。
諸説ある中でこのことが現在の福島の名前として引き継がれている。

                      案内説明より

説教所

説教所 教室

仏堂

仏堂

仏堂

庭園池

華鳳 二十数年前に団体旅行の幹事としてプランニングした 泉慶グループの上位大型宿泊施設

道路に面した不自然な空地
建物を撤去した跡でしょうか

和菓子屋さん

温泉饅頭の競演

営業時間 10.00~21.00
利用料金 520円
休日 毎週火曜日と年末年始 
   その他(問い合わせ)

露天風呂

飯坂駅前 つたや旅館

邸内入り口 冠木門

外塀

前庭

温泉成分分析書 河鹿の湯

飲泉OK

露天風呂 最上高湯浴槽
源泉かけ流し浴槽

茶室 襖絵「櫻に雀之図

茶室 扁額

控えの間

松本駅旧駅舎表札

韮崎の観音像
久しぶりの中央線でカメラを向けた

特急あずさ
日本最長の梓川(信濃川)から命名

温泉その1

東大手門二ノ丸水堀と左奥羽本線

旅行観光見聞録へ

温泉と観

久保田城御隅櫓
復元 鉄筋コンクリート造り

最後の殿様佐竹義堯公銅像

秋田駅前 タクシーと
暇そうに雑談する運転手

まめちゃんというラーメン屋

トッピング無の普通ラーメン

いくら うに いくら 三色丼
駅前市場食堂

桧木内川堤桜

紅枝垂桜

武家屋敷通り枝垂桜

浴槽 中央に仕切り有

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温泉名: 蔵王温泉
源泉名: 蛇荒川折口源泉
泉質: 含硫黄 硫酸塩・塩化物泉
     低張性 酸性 高温泉
     pH 1.76 陽イオン234.7㎎/㎏ 陰イオン1598㎎/㎏
     成分総計 2555㎎/㎏
源泉温度: 56.6℃
湧出量: 不明
湧出形態: 掘削湧出
注入排出形態: 源泉かけ流し
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 関節のこわばり 打身 
    くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え性 疲労回復 健康増進
    切傷 やけど 慢性皮膚病 慢性婦人病  
    高血圧症 動脈硬化症



温泉名: 蔵王温泉
源泉名: 源泉名: 蔵王温泉給湯組合混合泉
    (高見屋1号源泉・近江屋1号・2号源泉・海老屋、
    山形屋源泉 若松屋源泉・川原屋源泉)
泉質: 含鉄・硫黄 アルミニウムー硫酸塩・塩化物泉
     低張性 酸性 高温泉
     pH 1.7 陽イオン403.8㎎/㎏ 陰イオン2727㎎/㎏
     成分総計 3657㎎/㎏
源泉温度: 50.4℃(混合泉)
湧出量: 不明  湧出形態: 不明
注入排出形態: 源泉かけ流し(浴槽により循環ろ過 加温 加水)
        引湯
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 関節のこわばり 打身
    くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え性 疲労回復 健康増進
    切傷 やけど 慢性皮膚病 慢性婦人病 高血圧症 
    動脈硬化症

利用料: 700円
利用時間: 11.00~17.00
休日: 無休 (問い合わせ)

湯の花茶屋 新左衛門の湯
山形県山形市蔵王温泉川前905  Tel: 023-694-1212


日帰り温泉施設で充実した設備が整っている。館外に足湯も併設されていて天気が良ければ快適に過ごせそうです。蔵王山頂ロープウェイに乗る前に入ったホテル喜らくの浴槽は新左衛門の湯と同じ温泉組合混合泉を使用しているようであるが、成分分析書に記載されている数値は大きく異なっていた。どちらが本当の数値であろうか、あるいは混合割合が施設によって違っているのでしょうか。新左衛門の湯は平成十九年の測定値と記されていた。
内湯は人工温泉 「マグマ温泉玉源泉気力風呂」とあり、pH10.8のアルカリ性、成分はプラスイオン450㎎、マイナスイオン450㎎の単純泉。最上高湯浴槽(露天風呂)のみが源泉かけ流しとして利用されているようだ。四・六の湯浴槽(露天風呂 加水 加温 循環ろ過)は浴槽が大きく、新湯投入率の違いからこのような方法となったのでしょうか。
因みに加水の理由としては酸性が強すぎるので和らげていると書かれていた。

道標
山頂は猛吹雪で顔が刺すように痛い

開運の鐘

地蔵菩薩坐像の頭部
賽銭箱はスキーを履いていた

  石垣隅石
隅石は石垣の角に使われる長方形の切石です。石垣は出隅を算木(隅石の交互積み)として高さに耐える構造とするほか、稜線部には「江戸切り」と呼ぶ先端を鋭利にみせる加工を施しています。本丸一文字門の隅石は高さ75~80㎝のものが多く、長さは平均180cmあり、重さは平均して約1.2トンあります。
表面は整った隅石ですが、内面には矢穴やノミによる線彫り・はつりの痕跡が良く残ります。隅石には滑り止めに鉄製のカスガイ・石工具の矢(楔)を挟んだ例もあります。隅石は石垣の要であり、石垣造りにおいて最も慎重さが必要だったと思われます。展示されている隅石は角の割れが復元に適さず、新石と交換したもので、重量は2.5トン以上もある大型のものである。

  安政二年の石垣石  
本丸堀跡より『安政二(1855)年』の文字が彫られた石垣石が2石発見され、時の城主は水野氏です。一つは石垣の控え(石垣の内部)にノミで彫られた刻字で、六月に石垣が完成したことを指しているようです。また、前面の上部に「勇」の字も見ることが出来ます。これは石垣を加工した職人の名前なのかもしれません。この石垣は割った痕跡がないので、石垣最上部の天端石だった可能性があります。
もう一方の石も同じ内容ですが、赤い色の石垣の前面に掘ったものです。この石は、桝形石垣の修理に係わる石材と考えられますが、桝形石垣の修理の記録は残っておらず、発掘調査による山形城の歴史の新たな発見の一つです。

  刻印・朱書き・墨書
刻印・朱書き・墨書とは石垣石に付けられた目印です。刻印はノミで石に彫り込んだ記号で、「□ 〇 △」等の図形系統のものや、幾何学系統・文学系統など多くの種類があります。朱書きは染料による筆書きで、井桁「♯」などがみられます。墨書は墨による筆書きで「〇」等の図形系統があるほか、「下山長三郎」と名前が書かれた石垣も見つかっています。
刻印は、石垣加工の時に彫られたものもありますが、朱書き・墨書は加工後あるいは石垣積み上げ後に記されたものが多いと思われます。刻印・朱書き・墨書の意味については不明の点が多いですが、運搬などの際の目印か、石工の区別のための目印と考えられています。

                    案内説明より
  
   旧済生館本館(国指定重要文化財)

旧済生館本館は、明治十一年(1878)山形城旧三の丸七日町大手門を入ったところに、旧薩摩藩士で新制山形県初代県令三島通庸によって県立病院として建てられ、その外観から「三層楼」と人々からよばれ親しまれてきました。
鹿児島出身の原口祐之が大工棟梁となり、山形の宮大工たち三百人により二月から九月にかけてのたった七ヶ月で完成させました。当時の金額で43025円(今の価値で5~6億円)をかけ、外来診察と病院、医学校を持つ総合病院となりました
広い中庭と廻廊を持つ三層四階、高さ二十四メートルの見事な洋風建築です。当時の太政大臣三条実美がこの病院を「済生館」と命名しました。二階講堂にその時の御真筆の額が飾られており、済生館正面の金文字の扁額はこれを木彫りにしたものです。
三島県令は、オーストリアからアルブレヒト・フォン・ローレツを医学学校寮の教頭として招き、西洋医学の教育と診療を実施しました。この病院と医学校は東北地方におけるドイツ医学のメッカとなりました。
明治初期の擬洋風建築も傑作としてその文化的価値が認められ昭和四十一年国の重要文化財に指定されました。しかし、源所在地で保存することは、敷地や管理の上から不可能との判断から、旧山形城内霞城公園に移築して復元保存することとなり、指定翌年七月、解体工事に着手し、昭和四十四年十二月に現在地に復元完成したものです。
旧済生館本館の特徴は、三層の楼建築で一階は変形の八角形の平面で、正面前半に吹き放しのベランダを設け、塔屋背面後半から円形の廻廊になり、十四角形のドーナツ形をなしている。廻廊室は左右前半に三室の小部屋が置かれ、その後半部に一室の大部屋が配されている。
二階は十六角形の広間で、屋根はドーム型の大屋根である。二階から螺旋階段で中三階の階段室に至り、さらに三階に登る。三階は八角の小部屋で前面に広いベランダが出ている。
構造は、角面からなる円形の特異な形態で、明治初期における木造下見板張造りの最高作とうたわれ、本格的洋風建築と、無縁な地方人の設計、施工からなる創造意欲の表れとして高く評価されている。現在この建物は「山形市郷土館」として、医学資料を中心に郷土資料が展示され、一般に無料公開されています。

                  案内説明より

望楼への螺旋階段

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蔵王温泉へ

月岡温泉へ

冬支度

春日燈篭

湖月閣跡

倒壊前の湖月閣 現地案内写真

湖月閣間取図

入浴した「秋田温泉プラザ」

隣の宿泊施設「秋田温泉さとみ」

さとみの日帰り温泉施設
「温泉センターりらっくす」

温泉名:小川温泉花和楽の湯
源泉名: 小川湯元天然温泉
泉質: 単純温泉
    低張性・アルカリ性・低温泉
    pH10.1  陽イオン62.5mg/kg 陰イオン125.7mg/kg
源泉温度:27.8℃
湧出量:100?毎分
湧出形態: 動力揚湯
注入排出形態: 加温有 加水有 循環ろ過有 消毒有
効能: きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 
    神経痛 筋肉痛 五十肩 慢性消化器病 痔疾 
    冷え性 疲労回復 健康増進 うちみ くじき

休館日:不定休 館内点検等で臨時休館あり
利用料: 大人 1350円  小人(小学生以下)675円
利用時間: 10.00~24.00

おがわ温泉 花和楽の湯
埼玉県比企郡小川町大字角山26-2  Tel:0493-73-2683

成分分析書

施設利用料金が改定
近くにある道の駅併設日帰り温泉と同料金になりました。私としてはうつくしの湯を利用する場合が多いので残念 とはいえ泉質などこちらのほうが入りやすいので
ただ惜しむらくは、湧出量が少なく、浴槽の容量がそれなりにあるので1時間当りの新湯投入割合が低すぎる事です。数値としては0.013(浴槽:254㎥ 投入湯量:3.35㎥ 浴槽を満たすまで3日以上を要する)浴槽清掃は週1回で換水するとなっているので、再利用は無いのでしょう。休日が毎水曜日ですので貯水槽には浴槽を満たす量の湯が蓄えられ、木曜日には新湯として投入されて、木曜日は100%の鮮度が味わえるが、火曜日は最も劣化した湯であろうことが想像される。結果として、常時の新湯投入量は1/2となり新湯投入割合も0.007に低下する。

平成の大合併で上田市に編入された武石村。面積、人口など何も変わることが無いのに色々メリットを並べ立てる声 多い?少ない?市債や国からの補助金で優遇されるから?どっちにしても、私、市民であるし、国民でもある 結局全部引き受けなければならないのです。
我が自治体にも合併協議会なるものが発足した。市民の皆様の意見を聞きたいとのことでアンケート調査アンケートの質問、要望なるものとは。
曰く、合併後に期待することは?、心配することは?。合併後に受けたいサービス?やその重要度?。合併後に望む将来の自治体、まちのあり方?。そうなのですよ。合併を前提及び既定としたようなアンケートなのです。なるほど、合併協議会でしたね。

群馬県境から福井県境までに3市が挟まっているだけの合併劇場.。昔「大きいことはいいことだ」と髭の音楽家のCMが流れていたっけ。きっと良いことも沢山あることでしょうし、夢のある将来にむかって。

温泉成分分析書

滝の湯玄関

露天風呂(雪国仕様)
浴場フロントと食事処

窓越しの雪景色

最上義光歴史館

安政二年 勇の字がある石垣石

枯山水庭園

最上踊り里帰り記念碑

篠竹の道

資材倉庫(裏土蔵)

宝形三重塔

月岡温泉の歴史 旧湯公園案内板

芸能舞台を囲む弁天池と水瓶の女神像

秋田温泉 akitaonsenpuraza

温泉名:武石温泉 うつくしの湯
源泉名:武石温泉源泉
泉質:カルシウム・ナトリウムー塩化物・硫酸塩泉
   低張性 弱アルカリ性高温泉 
       pH8.13 陽イオン1781.2mg/kg 陰イオン3180mg/kg
    成分総計:5050mg/kg

源泉温度:46.5℃
湧出量: 55.9ℓ/min
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加温有 加水無 循環ろ過有 消毒有

効能: きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 
    神経痛 筋肉痛 五十肩 慢性消化器病 痔疾 
    冷え性 疲労回復 健康増進 うちみ くじき
    関節のこわばり等

利用料: 大人 500円  小中学生」250円  
各種割引有り(問い合わせ)
利用時間: 10.00~21.30
定休日:毎週水曜日 但し祝日の場合は営業 木曜日休業

武石温泉 うつくしの湯

長野県上田市上武石1454-3 Tel:0268-85-3900

山形城址(霞城公園Kajho khoen  旧済生館本館



飯坂温泉 
駅前つたや旅館 iizakaonsen-tutayaryokan

月岡温泉 昇龍石

翡翠色の龍が群れを成して天に昇る姿に見立てて命名した。
風水では龍は「富貴吉祥」究極の幸福のシンボルとされ、
大地のすべてのエネルギーの源であると考えられています。
手湯で御手を清めて昇龍石の龍姿を筋撫することで、愛情運・財産運を呼び込み、
あらゆる運気を開運に導きましょう。

市街地の温泉と聞いていたのですがバスで駅前から結構な距離のりました。秋田のバスで気がついたことがあります。普通運転手の上に(バスの前方)行く先なり、次の停留所名が普通電光掲示板で示されると思うのですが、
秋田のバスは違っていました。何駅かブロックにして、階段状に運賃が上がっていくのはわかるのですが、電光掲示板に示される停留所名が、NEXT停留所ではないのです。次に運賃が上がる停留所名なのです。全く知らない私・・・  降りる停留所名「秋田温泉前」が示されたのでボタンを押し降りてしまいました。
温泉案内には停留所近くとなっていたので探しましたですです。それらしき物はありませんですです。道行く人に尋ねたところ、なんとなんと、三つ先の停留所でした。歩いても10分余とのことで、歩いちゃいましたです。以上私の勘違いでしたら関係者の方々深くお詫び申し上げます。もしも私の感じたような案内方法でしたら目の御不自由な方や耳の不自由な方、初めて乗る私のような方注意しなければなりません。
城址公園で佐竹家の名を見たとき、なんと環境の違うところに流されてしまったことでしょうと思わすには。もちろん悪い環境ですが。下総、常陸の多くの武士団を養える肥えた農地と、温暖な気候を捨てさせられて、雪国の経営はいかに?。ともあれ平安の昔から近代までの長きに渡って続く数少ない武士の名家はなんと凄いことでしょうね。
戊辰の役において久保田藩佐竹家が列藩同盟と距離を置いていたのがなんとなくわかるような気持ちではあるのですが、四方を敵に囲まれる危険を承知で決断した思いは比類なきものなのでしょう。
そうでした!温泉です。内湯が2つで内泡風呂浴槽1 屋根付露天風呂1内湯は広く洗い場も清潔感があるし、肌がすべすべの美人湯。なんといっても露天風呂が気持ちよい中央に大きな檜の浴槽がありその周りをまた木で作ったてテラスが囲んでいる。人が少ない昼下がり、ごろりと裸でテラスに横になると開放感が2倍です。が、訪れ人よ、想像は現金(厳禁)です。

温泉名:秋田温泉
源泉名:秋田温泉元湯
泉質:ナトリウムー塩化物、炭酸水素塩泉
    高張性弱アルカリ性温泉
    pH: 不明   陽イオン4500mg  陰イオン8500mg 
源泉温度:42℃
効能:
 きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 神経痛 筋肉痛 五十肩 
    慢性消化器病 痔疾 冷え性 疲労回復 健康増進 うちみ くじき
営業時間:平日 10.00~22.00  休祝祭日 9.00~22.00
入館料: 大人520円   小人(6歳以上)420円  幼児(6歳未満)無料   
その他回数券 4500/11枚

秋田温泉プラザ
秋田市添川字境内川原142-3    Tel 018-833-1919

笹川の流れ付近の夕日

鳥海山?五月の残雪がきれい

羽越線を走るいなほ

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おがわ温泉 花和楽の湯 kawaranoyu

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うつくしの湯正面入り口

うつくし浴場 大浴場

うつくしの湯の由来
美ヶ原高原の王ヶ頭と王ヶ鼻
松本からの写真でうつくしの湯からは望めない

北アルプス遠景

TVで紹介され行ってみたく、距離も秩父よりは近くドライブ日和とて、県道27号から国道254に出た。日曜日で道路はスムース消防署交差点を右折してすぐの所。敷地内の?駐車場は狭く満車状態、で警備員の指示どうりにテレビの紹介の為?、と言いながら道路を隔てた変形駐車場に。のれんを横目に受付へと向かった。処が、処がですよ 1時間待ち!入場制限に引っかかりました。
待つ1時間は長い。とりあえず受付に記入して順番が来るのを待つことに。病院の待合室よろしく館内の長いすで、温泉施設では初めての経験です。考えるに良心的な営業ともいえる。
暇つぶしに館内提示の温泉分析票みてpHが10でアルカリ。湧出量は100ℓ/minで動力揚湯とある。(現在のHPでは天然自噴温泉となっているので新しく掘削?)
で、お声がかかりました。
受付でパックに入った入浴一式セット(浴衣・タオルセット・食事処菓子無料券)を受け取りいざ入浴。内風呂は温泉ではないらしく井戸水を沸かした浴槽で名前がつけられていた。井戸水でも赤穂の天然塩を溶かし込めばナトリウムー塩化物泉てな事になりうるかもね露天風呂は平面的な配置の浴槽が(尾張・三河の戦国三傑から命名)三つで、昔のヘルスセンターの印象。ですが、館内は明るくきれいですし、お客さんを大事に扱ってくれている雰囲気がありました。平日に来ればゆったりとした感じがプラスされベリーナイスでしょう。
館内に食事処も有ったのに、近くのコンビニで弁当で腹ごしらえです。あらためて昔風人間に、あぁ~あッとためいきです。昔風人間の定義とは・・・難しいことは言わないでチョーダイ!帰りは良く立ち寄る花園野菜・花卉売り場と道の駅の菓子屋さんで〆。
ちなみに花和楽の湯の命名は、この場所に か・わ・ら 工場があったからとか。

休憩大広間

美ヶ原高原遠望
浴場からは見ることができない

中央の函館山に沈む夕陽

駅弁も食べちゃいました

玄関

稲庭うどん

角館駅

秋田 こまち号

荒船山 艫(とも)岩の岩壁
(R254 内山トンネル群馬側入口)
クレヨンしんちゃん作者が転落死した

湧出地 ステンレスの蓋を開ける
湯飲みが置いてあってすくって飲む

寶命水湧出碑

洗い場

湯治湯風な客室外観

会員が増えてきた秘湯を守る会

玄関

初谷温泉 shoya onsen

天童駅

雪多し

休みどころからの雪景色

飲泉所

脱衣所鏡面台

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   麻釜熱湯湧泉由来
野沢温泉が「湯山村」として歴史に現れたのは、鎌倉時代中期の文永九年(1273)であります。また、弘治三年(1557)には概に近隣に聞こえた出湯であったことが知られていました。この麻釜(おがま)は、古くは釜潭(熱湯のたぎるふち)と呼ばれており、往時の景観が偲ばれます。温度は90℃余あり、里人は野沢菜をはじめ、野菜や山野草をこの高温を利用して食膳に供している。泉質は、弱アルカリ性硫黄泉で、湧出量は500ℓ/minです。
麻釜には5か所の湯釜があり、それぞれに湯温や目的に応じた名前が付けられている。

大釜)  2ヶ所の湧出口をもち、90℃の熱湯が湧出する。高温のため茹物に適し、
     山菜、野菜などを茹でる。
茹釜)  温度90℃、2ヶ所の湧出口を有し、大釜と同様に山菜などの食品類を茹でる。
円釜)  現在は方形であるが、もとは円形であったのでこの名がついている。 
     温度は71℃で、工芸品の材料である根曲竹や、あけび蔓柳条を浸し加工し易くしたり、
     養蚕の盛んな時代には蚕具の消毒にも利用した。
竹伸釜) 東側の大石下から湧出し、温度は80℃で、円釜と同様な利用ををしている。
下釜)  南方に一列をなして湧出するが、ガス成分が多く、温度は85℃。 

                    案内説明より

大釜での野菜茹

左丸釜 右竹伸釜

麻釜熱湯源泉湧出地

秋葉の湯

出羽三山 湯殿山石碑

洗濯等利用湯槽

熱い湯58℃ ぬるい湯52℃
入れませ~ん

鍵付ロッカー

家事温泉利用棟

薬師堂

この忠治地蔵菩薩は、国定忠治が亡くなって三日後の嘉永三年(1850)十二月二十四日、忠治が以前野沢村惣湯(大湯)前の旅籠屋に中風治療のため湯治に来ていた時に長らく忠治のお世話をしていた宿の関係者の娘さん、畦上つまさんによって供養のため建立されたものです。
長い間中風除けとして県内外の人々によって親しまれ信仰されていましたが、昭和二十五年に訳あって忠治地蔵菩薩が須坂市の寺、寿泉院に移されました。その後、永年にわたり村民から再建を切望されておりましたが、六十余年ぶりに地元の有志によって元の場所に復元、再建いたしました。人もお湯も温かい優しい地元の娘畔上つまさんの供養地蔵菩薩でもあります。

                 案内説明より

国定忠治地蔵菩薩(薬師堂前安置)

大湯

大釜源泉分析書 昭和50年

家事浴槽

河原の湯

十王の湯

横落の湯

導入道の看板

あつ湯

一般人立ち入り禁止看板

麻釜足湯

麻釜の御嶽神社

道祖神神社

  道祖神神社
この場所は野沢温泉の聖地、天孫隆臨の地であり、この地より湯澤神社例祭の際、高燈籠を目標に天孫隆りんされた神々を猿田彦命が湯澤神社までの参道の聖域を悪魔祓いをしながら先導する。この聖地に国の重要無形民俗文化財『野沢温泉道祖神祭り』の祭神、道祖神神社がある。主神は八衢田毘吉(彦)神、八衢毘賣(姫)神、猿田彦神である。
道祖神は主に村境や辻において災厄の侵入を防ぐ神とされ、子供の成長や、子宝・縁結び・五穀豊穣祈願等の対象として、全国に広く祀られている。また、その神を木像や石像などに刻んで祀り、行事として小正月(一月十五日)にお祭りを行っている。
野沢温泉の道祖神祭りの歴史は定かではないが村内の数ある道祖神碑の中でも下根の文字碑と祠は、天保十年(1839)で発祥の地にふさわしい歴史をもつものである。野沢では昔から上根と下根の道祖神があり、それぞれ独自に行っていたが大正のはじめに防災上の理由で統合し、現在に至っている。
平成五年国の重要無形民俗文化財に指定された野沢温泉の道祖神祭りは、地区を代表する野沢組惣代が総元締めになり、厄年の強固な組織に支えられ、道祖神祭りの地域的性格を良く示し、また、我が国における道祖神信仰を知るうえできわめて貴重な行事である。
                      案内説明より

高欄楼門

山門

薬師堂脇の梵鐘(柱に浄財箱)

当山の梵鐘は先の大戦に供出の厄に遭い昭和48年総檀中の発願により新たに楼を構え梵鐘を建立いたしました。しかしながら厳寒大雪幾星霜のなか、阪神淡路大震災の年に残念ながらひび割れてしまいました。平成8年檀中再々発願により現在の梵鐘を再鋳いたしました。よってここに小楼を組み「慈しみの鐘」として割れた梵鐘を置き世の中に災害があったときに集まった浄財を寄付したいと思います。鐘を撞かれた方のお志をお願いいたします。
                  案内説明より

野沢菜は宝暦六年(1765)建命寺第八代晃天園瑞大和尚が京都遊学の折に持ち帰った天王寺蕪の種を播種したところ、野沢特有の風土により変種したと伝えられている。爾来幾星霜寺に護られ、村人に育まれ、広く世の人に支えられ、、全国的に愛好されて今日に到っている。茲に晃天園瑞大和尚の遺徳を讃える碑と共にこの碑を建立した。
                   案内説明より

山門左前の六地蔵菩薩

建命寺産野沢菜源種の種販売

野沢菜発祥の地記念石碑

野沢温泉商店街

最寄りの駅 戸狩野沢温泉駅

温泉薬師堂

この薬師堂は今から凡そ350年前、飯山藩主松平遠江守の寄進によって建立されたと伝えられています。本尊薬師如来は人々の心身に災いするすべての苦悩を癒す仏様と云われ、特に温泉と深いかかわりを持つ医療の仏として内外の人に信仰されてきました。昭和7年、不幸にして火災の厄に会い堂宇諸仏を焼失し、現在の建物は昭和28年に再建されたものです。以来、野沢組がすべての管理の任に当たっています。本堂に安置されている本尊脇侍及び十二神将は、わが国現代仏像彫刻の第一人者大内青圃先生の作であり、温泉と村人の守護として新たな尊崇を集めています。
                      案内説明より

長野パラリンピック聖火台と
聖火トーチ

スキー場 ジャンプ台

村内辻の庚申塔

この聖火台は(左の写真)開会式の演出のモチーフでもあり、国の重要無形民俗文化財に指定されている、野沢温泉村の道祖神祭りの「社殿」です。道祖神祭りの社殿は高さ約7m(柱の高さは17m)、横幅約7mで、柱や桁はブナ材を使用しています。野沢温泉道祖神祭りは、古くからの伝承を受け継いだ祭りで、門外不出のものでしたが、今回初めて村外で社殿が建てられました。祭りでは、毎年1月15日に社殿を建て、その日の夜の火の攻防戦の後社殿に火が入れられて1年の無病息災を願います。この社殿は、大会終了後に解体し、木工品の材料に使われました。
                    案内説明より

高野辰之終焉の地に建てられた朧月夜の歌詞石碑

ふるさとの湯の入口辺りにある。
先生は晩年を野沢温泉で過ごされ、此処で生涯を終えました。
墓は野沢温泉を見下ろせる道路沿いの高台にあります。

おぼろ月夜の館

高野辰之先生の胸像

唱歌 春が来たの歌詞石碑

野沢温泉の外湯十三湯は、それぞれの湯場を管理する湯仲間により管理されている。湯温の管理や清掃、湯屋の保守営繕などの苦労は大変だと思われる。湯仲間、住人には浴槽と合わせ、洗濯場としての家事に供する施設をそなえているところもある。
源泉の温度は80℃と高く、源泉からの距離により(引き湯)浴槽に供給される温度が異なっていると思われる。これらの外湯の売りは源泉のかけ流しで、且つ泉質の新鮮さにあるとのことです。浴槽もあつ湯、ぬる湯の二つの浴槽をもっていて、注湯量の多少で温度管理をしている所もある。ただし、入浴した外湯はすべて入浴に適した温度からすると、非常に高く、浴槽を撹拌しても湯につかることはできなかった。時間帯に因ると思われるが、多くの人が入る頃は適温になっているでしょう。浴槽にはどの外湯も温度調整用の水道が設置されていて温度を下げることが出来るのですが、湯温がもともと高いので、容易ではない。
適温になるには多くの人を介してからの事と思われます。源泉かけ流しにはなっているものの、実質入浴者にゆだねられた源泉かけ流しとなっている。結果、加水されたかけ流し浴槽であることは間違いではないと思っている。
外湯巡りをされるのなら、その雰囲気を味わうことを目的にし、新設されたふるさとの湯を最後にするとよいと思っている。比較的温度の低い源泉で、温度調整もされていて洗い場もあり、髪の硫黄臭を流すこともできる。ただし、志ではなく入館料500円がかかり、日帰り施設ではありますが簡単な長椅子の休憩所しかありません。

蔵王温泉  ホテル喜らく  湯の花茶屋新左衛門の湯

蔵王山ロープウェイと樹氷   山形城址(霞城公園)旧済生館本館   


  霞城公園
霞城公園は、市街地のほぼ中央に位置し、約35.9haの面積を有する山形城跡の公園です延文元年(1356)に出羽国探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城したと伝えられ、現在の城郭は最上家第十一代最上義光(1546~1614)が築いたものが原型とされています。
本丸・二ノ丸・三の丸の三重の堀と土塁で囲まれた、全国有数の規模を持つ輪郭式の平城で、出羽の関ヶ原合戦「長谷堂合戦」で城郭が霞で隠れたことから「霞ヶ城」とも呼ばれていました。現在残っている二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上家改易後、元和八年(1622)に城主となった鳥居忠政により整備されたと伝えられています。昭和六十一年に史跡指定を受け、平成十八年には「二本百名城」に認定され、現在は桜と観光の名所になっています。

  二ノ丸東大手門(復元)
山形城の石垣は、市街地を流れる馬見ヶ崎川の玉石(安山岩)を用い、割肌を表面に見せる野面積みで、日本でも類を見ない優美で堅固な石垣である。
二ノ丸東大手門は山形城の正門である。桝形の南北両側に多聞櫓を持つ独特な形式の桝形門で、江戸城の諸門に匹敵する規模を持っています。現在の建物は、幕末の城絵図や明治時代初期の写真などを参考にして日本古来の建築様式で復元され、平成三年三月に竣工した。工期四十五ヶ月、工費十一億円余。

  山形城の堀と土塁 (堀と土塁の役割と遺構の保護と復元)
堀や土塁は人工的に造られた防御施設です。本丸東堀は深さ約7m、土塁を含め高さ約10mの土手となっています。
堀の幅は33m、鉄砲・弓矢からの攻撃を避けつつ、城内からの射程距離も考慮した造りとなっています。
土塁は堀の掘り上げ土による盛土で、堀側(外法)は急角度で侵入を防ぎ、城内側(内法)は緩く守りやすい工夫が見られます土塁上には土塀が巡り、防御性を高めるとともに城の威厳を整えており、土塀基礎石列が二ノ丸土塁上に現存しています。堀は豊な湧水による水堀で、かつては現存の二の丸堀と同じ趣を備えていたものと思われます。
本丸・土塁は発掘調査により遺構・遺物が発見されています。土塁裾には『護岸石垣』(堀の水から岸を護る玉石積)が、中段にはより古い時代の『土塁中段石積』が発見されました。これらは貴重な山形城の遺構であり、記録をとった後埋戻しして保護しています。また、本丸東土塁の裾からは大量の瓦が出土しました。これらは土塀に葺かれていた瓦と推測されています。
復元にあたっては、資料(図絵・発掘調査)を尊重し堀底・法面には保護層土を被せ、土塁盛土には地滑り対策の補強シートを使用しています。法面には在来のコグマザサ(小熊笹)を植え、表面の保護と美観を整えています。また将来的には、堀内に水を入れる予定です。

  本丸一文字桝形門
本丸一文字門は本丸の大手にあたり、櫓門・高麗門・桝形を含めた全体の呼び名です。櫓台石垣の上に載るのは櫓門形式の一文字櫓で、櫓の形が漢字の「一」に見えることから付いた名前です。大手橋を渡り高麗門をくぐると石垣・土塀に囲まれた「桝形」に入ります。本丸に入るには右に折れ櫓門を通らなければならず、敵の侵入を食い止める城防備の工夫の一つです。大手橋は幅約5.5m、長さ約21.8mです。復元にあたり発掘調査により出土した木材を樹種鑑定し、出土材と同じ材質で橋脚・高欄(スギ)、橋板(クリ)、桁・梁(マツ)を使っています。また、高欄の外観は二ノ丸東大手門の古写真を参考にしました。
本丸一文字門の復元は平成八年の発掘調査に始ります。明治時代に埋められた本丸の姿を復元するために、桝形・櫓台石垣の修理を平成十から十五年、大手橋の復元が平成十七年に行われました。

  最上義光公勇戦の像
慶長五年(1600)の秋九月、怒涛の如く攻め寄せた会津上杉方の謀将直江山城守兼続の率いる二万三千余の大軍を迎え、自ら陣頭に立って指揮奮戦し敵を撃退してよく山形の地を死守した。この像は山形城主最上義光が決戦場富神山にむかって進撃せんとする英姿であり、鎧兜は
時代考証にとらわれず表現したものであります。右手にかざして持っているのは鉄の指揮棒で、「清和天皇末葉、山形出羽守有髪僧義光」と刻んであります。

  霞城本丸 義光公桜花之図 (中村哲叡 2010)
本画は四百年のいにしえ、最上義光公の時代に思いを馳せ、戦国武将たちの栄華と今にも残る桜の花を日本画として表したものです。図柄は史実にもとづいた復元中の山形城の完成予想図ではなく、武人の動きと桜花の静のコントラストを「城」を象徴として表現することにより、過ぎ去りしものと残り行くものの盛衰に歴史の心を感じていただければ、と思います。      
           
                案内説明より

東大手門櫓石垣(復元石垣)


  ローレツ先生(1846~1884)胸像レリーフ
先生はオーストリアに生まれ医術をウィーン大学に学び、駐日オーストリア公使館医官として来日した。後、招かれて名古屋及び金沢に赴いて医学教育に尽力された。明治十三年七月山形県の招請により済生館医学寮教頭として来任、数十名の医師を教育し、山形県の医療に新風を起こし済生救民の父と仰がれた。
明治十五年八月任を終え帰国、ウィーン郊外アムヒンメル病院長となり、同地にて歿した。此処に先生の面影を掲げ万里同仁の校風をたたえる。

  木村逸堂顕彰碑
逸堂は医師で、名を良達といい、米沢の医師、山田玄智の二男であったが、後に山形旅籠町の医師木村北山の養子となった。逸堂は医学はもとより、儒学・経史も修めた篤学の士である。明治初期の済生館の医官を務め、また家塾を営み、幕末から明治半ばまで教えた町屋の子弟は、五百名を超えたといわれている。明治三十二年(1899)死去 享年七十二
この顕彰碑は彼の生存中に、弟子たちが雁島公園内(旅籠町二丁目市役所付近)に建立したもので、篆額(篆字体で書いた額)は東久世通禧の筆で、碑文は文学博士川田剛の選、書は書家巌谷一六の筆である。雁島公園から現在地に移建された。

  一位の老木
旧済生館本館横にある一位の老樹は目通り2.47mあり、市内の一位木では最も太いもいのである。主幹の内部は、腐蝕と空洞化が進んでおり、樹勢も衰えを見せているのが惜しまれている。この場所は江戸時代には城内社稲荷神社が祀られていたが、この一位は、最上義光時代からここに存在したものと推察される。

  首洗いの岩
天正十二年(1584)最上義光が谷地城主白鳥長久を斬殺、その首をのせたとされる石水鉢。

  最上踊り山形城記念石碑
碑文には、「最上踊り 三百九年の時を経て 山形城内に舞う」と記されている。最上家十四代当主最上義智(義光曾孫)が近江国蒲生郡に領地(五千石旗本)を得、地内大森に陣屋をおいた。義智は朝廷より元禄八年(1695)十二月十八日従五位下侍従駿河守に叙任した。その叙任を祝って領民が踊った祝踊りが今も伝わる最上踊りとして引き継がれているという。最上踊りは滋賀県無形文化財に指定されている。
最上家の旧領山形藩五十七万石の縁を以って近江国蒲生郡大森に伝わる最上踊りを山形の地で披露した。碑文に三百九年を経てとあるので2014~2015年に奉舞されたのではないかと思われる。このことは山形藩に最上踊り成るものがあったわけではなく、旧領主最上家縁の祝踊りが単に山形で披露.されました。活字的にはこの文面で十分であろう。
羽後秋田の郷土芸能が常陸水戸で披露されたり、豊前小倉の郷土芸能が信濃府中で披露された様なものでしょうね。山形の最上家への郷愁が感じられる出来事です。

                   案内説明より

一位の老木

温泉投入口

浴槽温泉表示

内湯

温泉名: 蔵王温泉
源泉名: 蔵王温泉給湯組合混合泉
    (高見屋1号源泉・近江屋1号、2号源泉・海老屋、
     山形屋源泉 若松屋源泉・川原屋源泉)
泉質: 含鉄・硫黄 アルミニウムー硫酸塩・塩化物泉
    低張性 酸性 高温泉
    pH 1.45  陽イオン 674.3㎎/㎏  4828.6㎎/㎏ 
    成分総計 5710㎎/㎏

源泉温度: 48.4℃ (混合泉)
湧出量: 不明
湧出形態: 不明 注入排出形態: 源泉かけ流し 引湯
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 関節のこわばり 
    打身 くじき 
    慢性消化器病 痔疾 冷え性 疲労回復 健康増進
    
切傷 やけど 慢性皮膚病 慢性婦人病 高血圧症 
    動脈硬化症

利用料: 500円 
利用時間: 11.00~17.00
休日: 無休 (問い合わせ)


蔵王温泉 ホテル喜らく
山形県山形市蔵王温泉935-25  Tel: 023-694-2222

ホテル喜らくフロント

湯の花茶屋 新左衛門の湯

マグマ温泉分析書

内湯 人工温泉マグマ源泉浴槽

本丸大手門桝形復元絵図 (現地案内板)

安政二の刻印がある赤石垣石

豊烈神社

望楼棟二階階段

山形市郷土館 (旧済生館本館)

濟生館本館扁額

資料館展示フロント

山形市立病院 濟生館表札(大正期)

ステンドグラスアーチ窓

診療棟中庭

ローレツ先生胸像

木村逸堂顕彰碑

首洗いの岩

蔵王温泉へ

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  豊烈神社
文政四年九月    遠江国浜松城主水野忠邦が家祖水野忠元公を浜松城内に祀りしに始まり、
             朝廷より豊烈霊神の称号を賜る。
弘化五年十月    忠邦の子忠精出羽国山形移封により、浜松より山形城二の丸に遷座する。
明治三年五月    忠精の子忠弘近江国朝日山移封により山川(茨城県結城市)に遷座する。
明治十三年十月   明治維新後旧山形藩士勧請して分社を現在地に造立し氏神として祀る。
明治四十一年五月 旧香澄町に鎮座せる八坂神社及び稲荷神社を合祀する。
大正二年四月    山川の本社をここに遷座し併合し祀る。
大正十年十月    水野家中興の祖水野忠邦の霊(英烈霊神)を合祀する。


山形城跡公園から山形駅に向かう途中に神社が見え立ち寄ってみた。
德川家康の生母於大の方(伝通院 水野忠政娘)の実家水野家の系統を祀る神社であった。
山形藩水野家は最後の山形藩主として明治維新をむかえた。
由緒・沿革の案内があったので記してみた。

豊烈神社

狛犬と手水舎

境内社稲荷神社

御神木

豊烈神社

祭神 水野忠元(忠政ー忠守ー忠元系水野家)豊烈霊神
    水野忠邦(幕府老中)英烈霊神
    八坂大神
(素戔雄尊)
    稲荷大神
倉稲魂命)
    大山大神(大山祇命)
    明治維新殉難者二十四柱

山形藩主水野家 水沢瀉紋

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温泉名: 飯坂温泉
源泉名: 若竹分湯槽 (大門、筑前、一本松、新19号、
     24号、馬場、八幡内、公民館の混合泉)

泉質: 単純温泉  
    低張性 アルカリ性 高温泉
    pH 8.7  陽イオン 233.7㎎/㎏  陰イオン 477.7㎎/kg
    成分総計 789.4㎎/kg.
源泉温度: 60.2℃

湧出量: 
湧出形態: 掘削動力用湯
注入排出形態: 源泉かけ流し

効能: きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 神経痛 筋肉痛 
    五十肩 慢性消化器病 痔疾 冷え性 疲労回復 健康増進 
    うちみ くじき

利用料: 500円
利用時間: 10.00~21.00
休日: 無休(問い合わせ)

つたや旅館
福島市飯坂町字十綱町2  Tel 024-542-3164

月岡温泉 清流苑 tukionaonsen-seiryuen


市島邸  新発田城下

回遊路

落葉した欅

角部屋の蹲

會津八一の歌碑

休み処(東屋)

扁額「忠孝節義」 市島春城書
主君に対する「忠」 親に対する「孝」 そして人としての正しい道を守り通す「節義」 この四字をしたためた書を春城自身が幼少のころ前原一誠(1830~1876)から贈られている。前原は長州藩士の子として生まれ、明治維新にあたり北越戦線(戊辰戦争)に従軍していた前原が越後府判事を務めていたとき、しばし春城(当時は雄之助)の家を宿舎として使用したことがあった。
そのとき前原が出立にあたり雄之助を連れて帰りたいと言ったが、もし同行していたら後の萩の乱(旧萩藩 山口藩の不満士族による明治政府への反乱)で運命を共にしていたかもしれない と、春城は後年語っている。
とは言うものの、前原が春城を自身の主張に引き入れて与させることはなかったでしょう。戊辰戦争終結後の改革で維新を主導した薩長による政府内の主導権の問題だったからである。主に仕えそこから俸給をもらいその代償として武を得ていた特権階級にとって平民にも武を与えることは、秀吉による刀狩以前に戻すことであり特権のはく奪以外の何ものでもなかったのである。
ですから特権階級の前原はその戦いの中に身分の異なる者を引き入れることは戦いの大義名分になりえないからである。

會津八一 (1881~1956)
歌人、書家、美術史家として同時代の人々に多大な影響を与えた會津八一(号 秋艸道人、渾斎)もまた市島家ゆかりの人物です。市島家の分家・葛塚市島家二代の助次郎の子である政次郎が會津家に入り八一が生まれました。
新潟尋常中学(現 県立新潟高等学校)に学び上京、明治三十五年(1902)、東京専門学校(同年早稲田大学と改称)に入学、明治三十九年(1906)に文学科を卒業すると、英語教師として郷里新潟の有恒学舎(現 新潟県立有恒高校)に着任しました。さらに明治四十三年(1910)に上京し、早稲田中学の英語教師となりました。
上京した八一を支えたのが同じ市島家出身の市島春城であり、八一が(秋艸堂)と名付けた東京下落合の住まいは春城が所有していたものでした。大正十四年(1925)に早稲田中学を退任した八一は、翌年早稲田大学文学部に東洋美術の教員として着任、昭和六年(1931)には教授となりました。その後は大学教授として後身の指導に当たりながら書家、歌人としても多くの作品を残しています。そして戦後は大学を退職し帰郷、歌集の刊行、書画展を開催するなどして過ごし、昭和三十一年(1956)で永眠しました。 享年七十六  法号 渾齋秋艸同人
東洋美術研究者、歌人、書家として多くの人々に影響を与えた會津八一は、若いころから古都・奈良を愛し、教授時代にも学生たちを連れてたびたび訪れるとともに古都への憧れを歌った『南京新唱』 『鹿鳴集』は今なお多くの読者を得、歌碑も全国各地に数多く建てられています。今日、そうした作品の多くを新潟市會津八一記念館、早稲田大学會津八一記念博物館で見ることができます。

櫻に雀図襖絵 (品川篁圃画 絹本淡彩 明治二十六年(1893)
落款 明治癸巳(明治二十六年)春 篁圃から市島邸竣工当時の明治十年(1877)にはこの襖絵はここになかったことがわかる。作者の品川篁圃について詳しいことは不明だが、北海道の教育者・永久保秀二郎の明治四十四年(1911)十二月の日記に函館在住の人物として「品川篁圃」のながみえる。

仏間
八畳三間と三畳一間から成り、回廊をめぐらし始祖以来市島家歴代の霊を祀ってある。これに続く一帯は、家族の居間や寝室になっていた。この一郭をを六世二代・喜右衛門の号に因み南山亭と呼んでいる。

                     案内説明より

書院

「忠孝節義」 市島春城書

茶室

広間

市島邸

市島家はもと丹波(兵庫県)に発し、慶長三年(1598)始祖治兵衛の頃、溝口候の新発田移封に当たり加賀大聖寺より随従し、次第に栄華を極めました。
市島宗家は当初、五十公野(現新発田市)に居を定め、次いで水原移り、福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発に努め、ついには県内有数の大地主として、北越屈指の豪農となりました。
その後、戊辰の役で水原の邸宅が戦火をうけて焼失したため、市島家七代徳次郎(静月)が旧中浦村大字天王の地に移り、新たに現在の市島邸本邸を造営しました。
この邸宅は敷地八千余 坪、建坪六百余坪に及び、建物の大半は明治初期の代表的住宅建築として簡素優雅な作風を示し、これを囲む回遊式の庭園(静月園)は、自然の風致に存し、幽水閑寂で野趣に富み、庭園中の各所に歌碑が建ち、広い池をとりまく樹木はそれぞれの四季を映しています。
昭和三十七年(1962)三月、表門、玄関、朔月閣、南山亭、松籟庵、水月庵、説教所など十二棟一構が、新潟県文化財に指定されました。
                 新発田市HP市島邸説明より

表門 総欅造切妻銅板葺四脚門 (新潟県指定文化財)
総欅材破風造りの四脚門で、明治四十年(1907)に銅板桟葺に改装されました。
いかにも往時の豪農邸宅を飾るにふさわしい堂々とした構えである。

玄関 (新潟県指定文化財)
入母屋造り銅板葺、式台腰板は欅材を用いた建築で、前庭の松、楓とよく調和し気品が漂っている。

米蔵 切妻桟瓦葺漆喰造り腰板張り
この建物は、明治中期に建設された市島家の旧米蔵で天王蔵(天王の地名)と呼ばれ、米約三千表の保管ができました。市島家はこのような米蔵をこの地方に大小約二十か所程度所有しておりました。

大甕 (水甕)
この「大甕」は市島家の大地主時代、番頭はじめ使用人が五十人余りもおり、当時の大台所で水甕として使われたものです。当時、大甕の「くびれ」から下の部分を土中に埋めて使っていました。

市島兼吉胸像設置
当館・市島宗家は、新発田藩主・溝口家に仕えた御用商人であり、慶長三年(1598)に、溝口家が加賀国大聖寺より新発田へ移封する際に随従し、五十公野に居を定めたのが新発田における歴史の始まりです。
早稲田大学初代図書館長である市島兼吉(号・春城 1860~1944)は、市島宗家の分家筋・角市市島家に生まれ、長じて開成高校(現 東京大学)に入学、高田早苗、坪内逍遥、小野梓、大隈重信の知遇を得て、東京専門学校(現 早稲田大学)の創立に関与されました。
平成二十年(2008)三月、財団法人継志会より市島邸を引き継いだ新発田市は市島家の歴史や功績を調査する中で、宗家は豪農の財力を近隣地域で暮らす人々のために、また、将来の日本を支える人材を育成するために役立てていたことがわかり、中でも市島兼吉や会津八一など市島宗家に縁のある人々を通じて早稲田大学との間に深い絆が結ばれていたことを知ることができました。
市島兼吉像は平成二十二年(2010)三月、早稲田大学が初代図書館長・市島兼吉の生誕百五十年を記念し、その功績を顕彰するために制作された二体のうちの一体を御寄贈いただいたものです。早稲田大学と新発田市の結びつきをさらに進展させていくとともに、「深蔵如虚(大切な資料も収蔵しているだけでは無いものと同じ)」と考えた市島兼吉の志を新発田市のまちづくりに活かす証として、また、早稲田大学をはじめとして本像の制作に携われたすべての皆様への感謝の念を込めてここに銅像を設置いたしました。

水月庵
池水に架した六畳と四畳半の数寄屋(茶室)で、明治九年(1876)、静月翁(宗家七代徳次郎)の造営に係り、当主が風月を楽しみ、時に賓客の接待に充てたところである。

                      案内説明より

母屋と湖月閣を繋ぐ渡り廊下

渡り廊下より

玄関座敷

市島邸外観

表門

表門
銅板桟葺総欅造四脚門

月岡源泉

浴槽には六つ子の湯かけ小僧がいる

露天風呂

温泉組合管理混合泉分析書

いい旅無事帰る

浴室中庭紅葉

飯坂電車 飯坂駅

石橋

茶寮

回遊路

廊下

仏壇

倉庫(米蔵)

市島兼吉胸像と設置由来碑

水月庵(茶室)

割烹の宿 いま井 

数寄屋風の建物

河鹿の湯

露天風呂

蛇荒川折口源泉分析書

温泉成分分析書

椚道

松籟庵

吉井勇歌碑

邸内から見た三重塔

家族部屋(婦女子)

家族部屋(婦女子)

倉庫

倉庫(土蔵)

水瓶

露天風呂からの眺め

飯電車両

十綱橋(後)と芭蕉像

駅前観光案内所

植物園

梅林

休み処

床の間掛け軸 軍鶏之図

水月庵

水月庵

水月庵

白玉の湯 泉慶

白玉の湯 華鳳

歓迎 華鳳門

番頭部屋

番頭部屋

渡り廊下 長持(葵の御紋入り)

天王屋敷上棟棟札

帳場

相対帳場