温泉名: 中山平温泉
源泉名: 1号源泉
泉質: 含硫黄ーナトリウムー炭酸水素・硫酸塩泉  
低張性・アルカリ高温泉
    pH8.9 陽イオン315.1mg/kg 陰イオン673.1mg/kg
源泉温度: 100℃
湧出量: 不明  
湧出形態: 掘削 動力揚湯 
注入排出形態: 完全掛け流し
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩運動麻痺 関節のこわばり 
    うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え症 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 
    
動脈硬化症 高血圧症

利用料: 1000円
利用時間: 10.00~14.00
無休

中山平温泉 琢琇
宮城県大崎市鳴子温泉星沼20-9  Tel: 0229-87-2216


鳴子温泉から鳴子峡を越えたあたり、芭蕉道最高点辺り中山平温泉がある。同じ鳴子温泉郷とはいえ、此処は木々に埋もれた静かな環境です。玄関に入るとお迎えの人力車が人待ち顔で「いらっしゃいませ」通された部屋には大きな木の露天風呂が早く来いよと辺りを映し出していた。
冷めた湯でしたので係りの人に湯加減の方法などをお聞きしてとりあえずは一休み。  
注入される湯は約60℃の高温すぐに適温になります。露天風呂付の部屋としては大きい浴槽で、5~6人は十分入ることが出来る。体を浮かすオーバーフローの湯響きが静寂の中に独り揺らぎの声を出す。
直下に陸羽東線が走っている様で、カタコトとハッキリした音を残して行く。宿の辺りが稜線になっているのでしょうかそれに向かって湯煙が立ち上ってくる。此処の源泉なのか、下の温泉宿の源泉なのか、白く長くたなびくそれからは温度が高い事を臭わせている。
騒々しく女たち(妻と娘)の声がしてひと時の空間に穴が開き「交代」の声で情けなく出た。館内には湯めぐり出来るだけの浴槽があるとのことでそちらに向かう。茅葺の東屋風の露天風呂は先客で大賑わいで、ご同輩が頑張っていらっしゃいました。風呂の隅で小さくなって大音量の漫談劇場を聞く、これが一杯入っているから面白い。
湯疲れしないうちに早めに上がり食事の膳を前にした。女将が挨拶に見え、こちらがアトピーに良いと聴いたから来てみたと話すと、きっと良くなりますからたくさん入って行ってくださいと、言われた。女将さんのお子さんも同じ悩みを持っていたが、今は良くなったとのお話でした。
うなぎの湯と称するだけに肌はつるつるになります。源泉掛け流しの効果は抜群で女共の機嫌がすごくよく、二重の効き目で効能入り確定。恋人を連れてくれば満願成就となる事請けあいますので、いらしてちょ~うだい。
熱帯植物園の辺りを散歩して気がついたことですが、奥まった建物が立ち寄り湯の入り口らしく2、3人の出入りがありました。鳴子峡によってから長い道のりに就いた。

温泉名: 瀬見温泉
源泉名: 町営五号源泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉  
低張性 中性高温泉
    pH7.6 陽イオン676.2㎎/㎏ 陰イオン1194㎎/㎏
    成分総計 1955㎎/㎏
源泉温度: 67.3℃
湧出量: 不明  湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加水
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩運動麻痺 関節のこわばり 
    うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え症 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 慢性婦人病 
    
動脈硬化症 高血圧症 切傷 やけど 慢性皮膚炎
利用料: 大人500円  小人 300円
利用時間: 10.00~15.00
休日: 無休 (問い合わせ)

瀬見温泉 喜至楼
山形県最上郡最上町大字大堀988  Tel: 0233-42-2011


日帰り入浴は本館にて受け付けていますとのことで本館から入ったのですが、上り板場に日帰り入浴は終了しましたとの立札があった。制限時間にはまだ間があるので声をかけたところやっていますとの返事があった。ですがね 待っても声の主はなかなか現れてくれません。時して来てくれましたが、日帰りの受け付けは別館の方でやっているとのことです。あれれ でした。
五百円を払っていざ入浴。まずはあったかいんだからといわれる「あたたまりのゆ(熱湯)」へ。確かに熱めで45℃くらいありそうでした。最初にこの浴槽は無理なので、ローマ風呂に入ることにした。湯温に慣れた上りの湯としてあたたまりの湯は良いのかもしれません。熱湯が加水されていたので他の湯船は加水率は高いと思う。建物から醸し出す雰囲気を味わった得々の温泉であった。 
瀬見温泉は二回目で前回は喜至楼の向いのゆめみの宿 観松館。建物が対照的な宿ですが、子供を含む家族連れには観松館ですかね。

ゆめみの宿 観松館  温泉その6→瀬見温泉 
        

あたたまりゆ

喜至楼本館

喜至楼別館

温泉その7

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温泉と観光へ

温泉名: 鳴子温泉 早稲田桟敷湯
源泉名: 市有下地獄源泉
泉質: 含硫黄ーナトリウムー硫酸塩・塩化物泉
    低張性・弱アルカリ性高温泉
    pH7.3 陽イオン329.6mg/kg 陰イオン638.7mg/kg
源泉温度: 100℃
湧出量: 不明  
湧出形態: 掘削湧出
注入排出形態: かけ流し 加水有 消毒有(清掃時使用)
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩運動麻痺 関節のこわばり 
    うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え症 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 

    動脈硬化症
 高血圧症

利用料: 大人 530円  小人 320円
利用時間: 7.30~22.00
無休

早稲田桟敷の湯
宮城県大崎市鳴子温泉新屋敷124-1  Tel: 0229-83-4751

鳴子温泉郷観光協会
宮城県大崎市鳴子温泉  Tel: 0229-82-2102

宿には早いので以前入った事のある桟敷湯にはいる。
私はどうもこの外壁の色が気に入らない。
色は暖色ですが、近づき難い印象を受けるし、館内も同じ感じです。
設計者としてはイメージどうりでしょうね、感覚に筋が通っています。
ただ、スペクトルの立ち上がった位置だけが違っただけのことです。

あたたまりゆ湯口 
加水されている

瀬見温泉 喜至楼

日帰り温泉施設

新潟市岩室健康増進センター「よりなれ」
新潟県新潟市西蒲区石瀬3331  Tel: 0256-82-2270
公営の温泉保養施設として誕生した遊雁の湯「よりなれ」は、手軽に名湯が楽しめ人気です。大浴場、露天風呂風の2種類の浴室と大広間、食堂、2階には、軽く体をほぐせる健康増進室があります。窓の外に広がる抜群の眺望と共に、ゆったりとした設備でおくつろぎいただけます。
利用料: 大人500円  小人300円  利用時間: 10.00~18.00
休日: 第2、第4水曜日(祝日場合は営業し翌木曜日を休館)

多宝温泉「だいろの湯」
新潟県新潟市西蒲区石瀬3250  Tel: 0256-82-1126
多宝温泉だいろの湯は硫黄が主成分の天然温泉です。日本の日帰り温泉施設として大変珍しい3本の源泉が有り、大庭園露天風呂の1号源泉・内湯の2号源泉・露天風呂・露天打たせ湯の3号源泉とそれぞれの湯に特徴があります。なお、いずれの源泉も温度ムラを無くす為、撹拌はしておりますが濾過はせず100%源泉掛け流しで使用しています。
利用料: 大人 800円  小人 400円  利用時間: 10.00~20.00(入館21.30まで)他17.00より割引あり
休日: 無休 
              岩室温泉協会案内説明より

納屋・土蔵

  庄屋(名主) 山浦家
山浦家は慶長~明治年間に山浦権助によって建築されたと云われている。山浦家は代々権助を名乗り、宿場の問屋としてその役割を担っていた。現在地(跡地)は建物の老朽化により取り壊され、跡地の奥に当時の土蔵が残っているのみである。

  旅籠金丸土屋
文化元年(1804)頃より旅籠を営んでおり、軒の西側に「津ちや」、東側に「土屋」と書かれた一枚看板を掲げている。現在も旅館業を営んでいる金丸土屋旅館。二階の表部分が通りに少し出ている出張り造りで、腕木に彫刻、袖うだつ、煙だしをもっている大屋根など多くの特徴を持っている。

  旧芦田宿本陣土屋家住宅 (長野県宝) 
土屋家は、慶長初期に中山道芦田宿が設置されたとき、その開発に従事するとともに、本陣をおおせつかり、明治に至るまで代々勤めた。 江戸時代後期における土屋家は、客殿・主屋・問屋場・荷蔵・酒造蔵・長屋等多くの建物によって構成されていた。現在も、当時の面影をよく残している客殿が本指定物件で、これは中仙道芦田宿本陣の客室部として、寛政十二年(1800)に改築され、明治維新まで大名、公家などの宿泊や休憩に使われた。客殿は、間口五間(9m)奥行き十一間(20m)の切妻造り、妻入り、桟瓦葺きで屋根の前後に鯱をかかげている。玄関は、唐破風とともに懸魚、蟇股、頭貫、肘木などで構築され江戸後期の様式をよく表している。内部上段の間は、床の間、違い棚、欄間の透かし彫り、組子細工等室内の意匠にも意を用いた書院造であり、京風の造作となっている。建物全体の規模も大きく、上段の間、広間、小姓部屋、湯殿、雪隠などがあり、客室部としての原形がほぼ完全に残され、江戸時代後期の建築物としては中仙道唯一と言われ、数少ない一つであり大切に保存されている。
           案内説明より 
            

昔の酒造道具展示

  酒林(さかばやし)
「酒は飲みたし銭はなし 酒の林を見て通る」
さかばやしは造り酒屋の看板であり、杉の葉を集めて丸く刈り込んで作られたものです。昔は毎年新酒が出来上がる春になると、青い杉の葉で作った「さかばやし」を軒先に吊るしました。古来酒壺のことを「みわ」と呼び、酒の神をまつる大和の国の三輪山の杉を標(しるし)の神木とし、特に尊崇なるようになった。古事に由縁あるものとも云われています。
俳諧寺入道一茶坊(小林一茶)の句に、
「杉の葉の つるしてみるや 濁酒」 「杉の葉の ピンと戦(そよ)ぐや 新酒樽」

  若山牧水歌碑
しらたまの 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしずかに 飲むべかりけり
ひとの世に たのしみ多し 然れども 酒なしにして なにの楽しみ
よき酒と ひとのいふなる 御園竹 われもけふ飲みつ よしと思へり (御園竹は武重酒造の銘柄酒)
                   案内説明より

一里塚跡

  中山道茂田井宿入口
慶長年間(1596~1615)、江戸幕府によってつくられた中山道は、近世五街道の一つであり、江戸と京都の交流を結ぶ役を果たしてた。茂田井間の宿は、望月宿と芦田宿の間に位置し、旅人の休み処としての機能を持ち、多くの旅人の往来があった。
今、地域内の街道沿いには江戸時代の往時を偲ばせる土蔵や造り酒屋・民家・道路わきの水路など、旅人に安らぎを与える往時の風情を見ることができる。文久元年(1861)十一月七日、德川十四代将軍家茂に、公武合体のための降嫁された孝明天皇の妹『和宮』の行列が茂田井間の宿を通過された。
また、元治元年(1864)十一月十九日、天狗党水戸浪士の中山道通過に際し、茂田井村が小諸藩藩士四百人ほどの拠点となたなど多くの記録が残されている。茂田井一里塚は、石割坂を上りきったところに位置し、北側には榎の木、南には欅の木が植えられていたと云いう。江戸より四十二番目の一里塚であり、明治初期には豊川稲荷が祀られていた。現在は痕跡だけが見られるのみである。

  茂田井一里塚跡
一里塚は、織田信長の時代に設けられ、德川家康・秀忠が引き継いで、慶長九年(1604)に完成した。中国で道の側に一里毎に土を盛り、その崩れ去るのを防いでエンジュの木を植え、旅人に木陰を与えたという例にならって榎が植えられたと云われている。
また、三代将軍家光が[一里塚には「余の木」を植えよ]と言ったことから老臣が榎と聞き違えて国中の塚に植えたというが、ともあれこの頃一里を三十六町と決定され、五畿七道残ることなく一里塚が築かれたとされている。天保年間(1830~1844)の茂田井村差出帳には、当時この両側に土塚があり、榎の根本が残っていたとある。

  石割坂
勾配がきつく、また大きな石があり通行に不便だったが、その石を割り中山道を開通させたので、石割坂と呼んでいる。
                  案内説明より

橋の強度が低く危険交通止め

  弁天窟と向井去来の句碑
鹿曲川に臨む絶壁を穿って弁才天が祀られている。これは室町時代末期の永正年間(1504~1520)、近江琵琶湖の竹生島の弁才天を勧請したものと伝えられ、弁天窟の上の篆字(篆刻)は江戸後期の書家望月宿本陣名主大森曲川の揮毫である。

  向井去来句碑
「駒曳の 木曽や出るらむ 三日の月」 碑には芭蕉の銘があるが、去来が正しい。

  豊川稲荷大明神
望月橋から正面に見える山の中腹に見える。さほど高い山ではないので楽勝と思われたが、七十才の足には手すりを伝いながらの石段。途中左側に去来の句碑があった。
稲荷神社の社殿は山裾に足場を設けた懸造りとなっている。手入れがなされていないような社殿で、場所柄砂埃が床を覆っていた。寄進帳の木札も古いようですし、長らく修理が行われていないようです。説明板にあるように由緒ある神社であるようなのでもったいないね。
弁天窟はあいにく交通止めになっていて、最近のことではないようです。歴史のある建築物でしょうから、早急に安全を図っていただきたいものです。前述の大伴神社には榊祭りなる行事が行われるとあったが、この山にある榊神社と関係があるのだろうか。
               案内説明より

十二湖駅 アオーネ白神十二湖送迎
アオーネ? 逢おーね? 

川の湯 深湯

狛犬・吽形 国登録有形文化財

奉納燈籠

台座銘 明治三十九年丙午八月建立

あさり天ぷら定植

木更津方面海上橋

重要文化財  大湊神社

この大湊神社は延喜式内社で祭神は、事代主神、少彦名命外五柱で、三保大名人とも号せられ、航海、漁業の守護神として、崇敬されています。永禄年間(1558~1569)朝倉義景は一門の祈願所と定めたが、天正年間(1573~1591)織田信長の兵火にかかり、社殿はことごとく消失しました。元和7年(1621)福井2代藩主松平忠直公が武運長久、国家安全の祈願所として再建されたのが現在の大湊神社の本殿であります。この本殿は桃山様式を取り入れた一間社流れ造の柿葺で、中には伊邪奈岐命の欅一木彫の座像が安置されており、建物とともに件指定の重要文化財となっております。

雄島と雄島橋

雄島の火成岩柱状節理断崖
東尋坊より高低差が大きい

大湊神社本殿

温泉方面と米沢方面分岐

旧板谷駅
夏草や つわものどもが 夢のあと

福島方面から
東栗子トンネルを抜けて直の案内板

川の湯 岩風呂

川の湯 陶器風呂 源泉掛け流し

森の湯 陶器風呂 源泉掛け流し

右守護随身矢大臣

拝殿

随身門から社殿

天然記念物名勝東尋坊

九頭竜川河口三国港から雄島を経て梶浦に至る間の海岸は、其の基盤が第三紀層より成り柱状節理を成せる数々の火山岩が之を貫いている。其の中東尋坊岬に近く露出しているのは直立粗大なる柱状節理を呈せる複輝石安山岩で、その海に面した絶壁の部分を東尋坊といっている。雄島は一種の橄欖輝石安山岩より成り其の柱状節理は斜赱して豪快なる波蝕景を呈し、其の東崎梶の海岸には美麗な柱状節理をした玄武岩、輝石安山岩の大小の岩礁散在し所々に波蝕による幾多の洞窟石門を呈し奇景を極めている。

海岸線を行く荒磯遊歩道

自殺防止呼びかけ立て札
you are not alone

断崖覗き込み

五色 姥湯 滑川分岐

峠駅プレート

峠名物 力水と力餅

歌と舞踊と歌芝居 三題

社務所

鼓楼

海上から東尋坊断崖
具として鶏肉と油揚げ、 油揚げは中に豆腐が残っているしっとりしたものを使った
白米三合 研いて半時水を含ませざるに上げ水を切る。

松茸その他(歯ごたえのない物が良い?)
混ぜ込む具を用意する。

一合につき一カップの薄めのだし汁をとる。三合では三カップ(コンブとかつおを使う)
だし汁をキッチンペーパ等で濾す。
濾しただし汁に松茸を入れ香りを移す。

だし汁半カップに油揚げと鶏肉と醤油を入れ煮立たせる。
鶏肉は予めあくを取っておいた。火を止めて小半時ほどおいてから松茸を入れ、かき混ぜておく。醤油味は濃い目にした。

白米を炊飯鍋に移し全量のだし汁を加え
適量の水加減で炊き上げる。

炊き上がったら具を入れて混ぜ込む。

出来上がり。味?
絶品とはいかずこんなもんかな~ 失敗は成功の基 めげずにチャレンジ!



渋温泉 炭の湯  野猿公苑・信州松茸三昧      中山平温泉 うなぎの湯琢琇  鳴子峡




新鉛温泉 結びの宿愛隣館      和田宿温泉 ふれあいの湯  小諸懐古園    




滑川温泉 福島屋      芦原温泉 セントピア芦原  東尋坊      黄金崎不老不死温泉   




安房小湊温泉  吉夢      太閤山温泉  太閤山天然温泉 太閤の湯      




あさしな温泉  穂の香乃湯     瀬見温泉  喜至楼      和倉温泉  のと楽   




岩室温泉  割烹松屋旅館   

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岩室温泉へ

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欲張りな朝食バイキング

南部の湯 岩風呂

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新鉛温泉 shinnamarionsen-airinkan

温泉名: 新鉛温泉
源泉名: 新鉛温泉第一黄金の湯源泉
泉質: ナトリウムー硫酸塩・炭酸水素塩泉  低張性・弱アルカリ性高温泉
    pH8.3  陽イオン 307.4mg/kg  陰イオン 723.6mg/kg
源泉温度: 48.5℃

湧出量: 不明  湧出形態: 掘削 動力揚湯
注入排出形態: 浴槽により異なる 
          (内風呂: 加温有 加水有 循環ろ過有 消毒有)
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩運動麻痺 関節のこわばり 
    うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え症 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 
動脈硬化症 高血圧症
飲用効能 糖尿病 痛風 慢性胆嚢炎 胆石症 慢性便秘 肥満症

源泉名: 新鉛温泉第三黄金の湯源泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー 硫酸塩泉  低張性・弱アルカリ性高温泉
    pH7.8  陽イオン 689.9mg/kg  陰イオン 1562.3mg/kg
源泉温度: 67・4℃
湧出量: 不明  湧出形態: 掘削 動力揚湯
注入排出形態: 浴槽により異なる 
          (内風呂: 加温有 加水有 循環ろ過有 消毒有)
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩運動麻痺 関節のこわばり 
    うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え症 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 
動脈硬化症 高血圧症

利用料: 大人 800円  小人 400円
利用時間: 10.30~19.00
無休 


新鉛温泉 結びの宿 愛隣館
岩手県花巻市鉛字西鉛23  Tel: 0198-25-2341

宿からの送迎バスに乗りこんだのは辺りが薄暗くなってきたころです。むかえの予定時間まで余裕があったので駅構内待合室で休んでいると声がかかりました。小原庄助さん?そうですが。電車の到着時刻は過ぎているのにバスに乗っていないので見に来ました。どうぞと促されるままにバスに向かうと大勢の方が乗っているではありませんか。出発時刻近くになったら行こうと思っていたので、遅刻してきたような気まずさです。係りの人の話ですと送迎予約をしてある人が乗っていないと一応探すのだそうです。予約しない人は?確認の方法が無いので時刻になったら出発します。ごもっとも、ごもっとも!

宿まで40分ほどで着きます。フロントに列が出来ていたので待つ事にしました。きれいな宿です。暗いところから来たためか室内の装飾や壁、フロアーまでが光り輝き別世界。
部屋案内の方に聞いてみた、経営者の方はクリスチャン? いいえ、ちがいます。愛隣館の名称でふと思ったので運慮も無く聞いたのですが、勘違いもはなはだしい。浴槽の数が20箇所位あるとのことで早速です。内風呂があり、露天風呂は川に向かって階段状に点在し、立ち湯、瓶湯、岩湯などなど。一人用の陶器瓶湯は源泉掛け流しです。
森、川、南部の湯は時間帯で男女入れ替えての入浴となる為に、今日(到着日 男)入れるのは南部の湯と川の湯、明日は森の湯と川の湯でした。明日は入れない南部の湯を選択する。
時間帯の関係なのでしょうか、2、3人位の先客で、あのフロントの人達はどこへ?当方としてはゆっくり出来て幸いと思うけれど、混んでいないとサミシィー二重人格。少しぬるめの泡風呂は泡の出が良くマッサージ効果は満点でした。で、食事の時間も迫ってきたので。
食事処で「かまどダイニング」なるメニューです。基本用意されていて、他に大釜、大鍋に食べ放題の五品目が用意されている。食べる方に集中し過ぎ豪華?なテーブルの写真を撮るのを忘れた。
食事後、pm10から女湯になってしまう川の湯に入浴。翌朝、再び川の湯と初めてお目にかかる森の湯様にご挨拶して花巻出張はおわる。仕事の後片付けをしてロビーに降りると昨日の感動?が薄れていた。灯りもほそく何気なくさびしいチェックアウト、じゃぁ、またね

おもろうて やがて哀しき 鵜舟哉

玄関正面外観

全て熱いが比較右側ぬるめ

浴槽内のお知らせ

蓄湯タンクから配湯管へ

温泉成分分析書

外観

鳴子温泉

鳴子峡三景

琢琇の温泉「うなぎ湯」について
のお知らせ

食べてからふと気がつき
食べ残りをパシャ

琢琇 泉質と効能 縦看板

石橋の湯

長生の湯 露天岩風呂 混浴

鶴亀の湯 露天亀甲桧風呂

中山平温泉 nakayamadairaonsen-takuhide

道路に面した外観

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ローマ風呂と同じ浴場の岩風呂

他の浴場の岩風呂

瀬見温泉 湯前神社の案内板

庄内町(旧立川町)の風力発電

最JR陸羽西線車窓より 最上川

車窓から 神室の山々

鳴子峡

鳴子駅前 足湯

僕は乗り鉄だよ

鳴子のこけし 車掌

JR陸羽東線 鳴子駅

JR東日本 リゾートみのり

温泉の由来

JR瀬見温泉駅

湯前神社

本館二階と別館フロントへの階段?

いらっしゃいませありがとうございました

大柱時計

松  障子桟の彫刻

穴からの蒸気で温まる

ローマ風呂

温泉分析書

ふかし湯

弥彦山ロープウェイ

索条

麓駅

対向ゴンドラ

岩室温泉へ

親鸞聖人清水舊跡

親鸞聖人清水御舊跡

親鸞聖人御歌

聖人清水石碑

岩室温泉へ

岩室温泉へ

弥彦神社 摂社 末社

摂社 武呉神社

摂社 草薙神社 

摂社 今山神社

摂社・末社参道鳥居

摂社 勝神社

摂社 乙子神社

斎館(貴賓接待所)

宝物殿

弥彦神社御神木

旧本殿の礎石

旧本殿址

御神廟所参詣道(旧本殿参道鳥居)

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岩室温泉へ

弥彦神社

JR弥彦駅神社

駅神社手水舎

弥彦神社通り

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岩室温泉  割烹旅館松屋

温泉名: 岩室温泉
源泉名: 岩室4号源泉
泉質: 含硫黄 ナトリウム・カルシウムー塩化物泉
    高張性 弱アルカリ性 高温泉
    pH7.9 陽イオン4336㎎/㎏ 陰イオン7069㎎/㎏
    成分総計 11414.1㎎/㎏

源泉温度: 52.2℃

湧出量: 不明
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 源泉かけ流し

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり 
    慢性消化器病 痔疾 冷え性 病後回復期 疲労回復 
    健康増進 きりきず やけど 慢性皮膚病 うちみ くじき

割烹旅館 松屋
新潟県新潟市西蒲区岩室温泉603  Tel: 0256-82-5120

弥彦神社    弥彦神社末社・摂社     弥彦山ロープウェイ     弥彦公園 湯神社



本髙寺    親鸞聖人清水     明治天皇行在所跡

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和倉温泉 のと楽

あさしな温泉へ

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飲水処蓼科の水

  蛇石様
江戸時代末期ごろから蛇石神社として蛇石を覆うような社があったとされ、戦前までは清水家のくるわで四月にお祭りを行っていた。蛇石様は夜泣きの神様として、米をおひねりにお詣りすると乳呑み児の夜泣きが治るとされた。現在は、周りが二メートル以上ある大きな石のみが残され、石の真ん中には蛇の通った跡と思われる筋が残っている。

  蓼科の水
古来より、蓼科の山の湧水は中山道を行きかう旅人の喉を潤してきました。現在、この蓼科山の湧水は上水道として整備され、立科町の水道水として利用されております。
                 案内説明より

蛇石

脇本陣跡

蛇石様(蛇石神社跡)

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あさしな温泉へ

中仙道 芦田宿 (江戸から26番目)

旧中仙道芦田宿の外灯

庄屋山浦家住宅跡と残された土蔵

旅籠 金丸土屋旅館

街道の町並み

街道の町並み

武重本家酒造株式会社

長野県佐久市茂田井2179
Tel: 0267-53-3025

武重家本家住宅・酒造(国登録文化財)

若山牧水 歌碑

酒林

武重家本家住宅

酒造所門

牧水歌碑文

牧水歌碑文

牧水歌碑文

中山道 茂田井間の宿 (江戸から25.5宿目)

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あさしな温泉へ

茂田井間の宿 京都口標識

宿案内図ご自由に・・空っぽです

茂田井宿説明板

宝篋印塔

  曹洞宗 望月山城光院
甲州北巨摩郡大八田村 朝陽山清光寺末寺。文明七年(1475)望月城主、望月遠江守光恒の開基。南浦宗清和尚の開山と伝えられ、望月城の西山麓にあって、望月氏代々の菩提寺である。
本堂は享和年間(1801~1804)の建築であって、本尊阿弥陀如来坐像は室町初期の作である。望月氏の祖と称せられる善淵王像は、江戸中期安永年間(1772~1780)に造像である。本堂裏に室町時代末期永正年間(1504~1520)の宝篋印塔がある。
                 案内説明より

望月山 城光院

山門 (薬医門)

山門扁額

本堂

本堂扁額

本堂内陣 七曜紋(望月氏家紋)

通用門

稲荷神社

鹿曲川に架かる県道望月橋

望月橋下流の中山道望月橋

豊川稲荷 神橋

望月宿本陣跡の民俗資料館

模擬本陣棟門

木樋と水割場石(右の四角石

双体道祖神 像は修復で新しい

文字道祖神

望月の駒と駒つなぎの石

望月歴史民俗資料館

大伴神社

拝殿

本殿

大伴神社本殿(延喜式内社)
景行天皇(倭武尊の父)40年の鎮座と伝えられ、現本殿は春日造りで、延宝五年(1677)の建築である。写真の外観からすると本殿は覆い屋で保護されているようだ。

大伴神社 鳥居

手水舎

参道石段

中山道 望月宿 (江戸から25宿目)

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あさしな温泉へ

真山家住宅 国指定重要文化財

真山家住宅 南側から

大森家 本陣跡の木板 
木板には御本陣と記されていた

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安房小湊温泉 awa kominatoonsen-hotelkitimu

温泉名: 小湊温泉
源泉名: 小湊温泉 満願の湯
泉質: 単純温泉 (ナトリウムー炭酸水素)  
    低張性 弱アルカリ性冷鉱泉
    pH8.3 陽イオン160.0㎎/㎏ 陰イオン389.7㎎/㎏
源泉温度: 17℃
湧出量: 38ℓ/min 
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加温 循環ろ過 塩素消毒
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 
    関節のこわばり うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 
    冷え症 病後回復期 疲労回復 健康増進
利用料: 1200円 (タオル付)
利用時間: 11.00~17.00
休日: 無休 (問い合わせ)

小湊温泉 吉夢

千葉県鴨川市小湊182-2  Tel: 04-7095-2111


小湊温泉の大型施設で客室の多くが海側に面して景観は申し分ない。海と岬の対比が理想的な場所に建っていた。視界に海だけが見えるだけならそれは味気ないでしょうね。
館内の施設も行き届いているが、客室棟の通路が狭く感じて、団体客の多かった時代を思わせる造りであった。
夕日のきれいな旅館と説明にあったが外房で夕日とは、朝日の間違いと思った。鴨川湾?が入りくんで西向きの施設なので冬の間は海に沈む夕日が見えるし、夏は遠く館山半島に沈む夕日が見えると思う。残念ながら「鴨川は今日は雨だった」。
浴室は男女別の二か所で、時間により入れ替え制になる。大浴場と屋外に多くの露天浴槽があってそれぞれ海に眺めが良い。温泉の説明よると、湧出量毎分38ℓとあるのですべてを賄える事は不可能と思われる。加水をしていないとのことなので一日あたりドラム缶で270本くらいであろう。
浴槽の湯を入れ替えると温泉の浴槽は限られることになるだろう。どの浴槽が温泉を注入されているかは宿案内には見いだせなかった。塩素消毒の匂いが強いのは、それらを予想させる。機会があれば聞いてみたいと思っている。

吉夢 

車窓から

ウェスパ椿山駅

車内津軽民謡

千畳敷海岸 

橅 buna

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黄金崎不老ふ死温泉 koganezaki-furofushionsen

温泉名: 不老ふ死温泉
源泉名: 黄金崎不老ふ死温泉源泉
泉質: ナトリウム・マグネシウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉
    高張性 中性高温泉
    pH中性 陽イオン8111mg/kg 陰イオン14840mg/kg
              成分合計 23690mg/kg
源泉温度: 50.2℃
湧出量: 400ℓ/min 湧出形態: 掘削湧出
注入排出形態: かけ流し 加水有
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり 
    うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え症 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 慢性婦人病 切り傷 やけど
利用料: 大人 600円  小人 300円
利用時間: 8.00~20.00 (海辺露天風呂16.00まで)
休日: 無休

黄金崎 不老不死温泉
青森県西津軽郡深浦町大字舮作字下清滝15  
Tel: 0173-74-3500


ウェスパ椿山駅前に送迎バスが待っています。温泉本館まで約10分。立ち寄り湯なので帰りの送迎バスの予約?をして内風呂に入る。手荷物などは内風呂のロッカー(鍵付)に入れておくと行動が便利。(貴重品はフロントへ)
鉄色(酸化鉄)が濃く、成分の多くがナトリウムと塩素で塩辛さが強い。海水にホカロンを投入したようです。(やってみた事はありません想像です)で、タオル一枚身軽になって海岸露天風呂です。100円ショップにあるような脱衣籠が置いてあり5、6人が入浴中。他入浴しない見物観光客らしき人5、6人が亀のごとく首を出して見学中。
内風呂から比べ湯温が下がった浴槽は目線の先を楽しんで長湯しても大丈夫です。混浴風呂のほか高まったところに女性用露天風呂も隣接しているので安心?です。
快速リゾートしらかみの次発時間まで3時間取れるのであわてずに楽しめます。

不老ふ死温泉導入口

芦原温泉 awaraonsen-saintpia awara

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温泉名: 芦原温泉
源泉名: 芦原温泉泉井28号
泉質: ナトリウム・カルシウム-塩化物泉  
低張性 アルカリ性高温泉
    pH不明  陽イオン750mg/kg 陰イオン1266mg/kg
源泉温度: 44.3℃
湧出量: 42ℓ/min  
湧出形態: 動力揚湯
注入排出形態: 加水 加温 循環ろ過 消毒

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり 
    うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え性 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 きりきず やけど 慢性皮膚病 

利用料: 大人: 500円  小中学生: 300円  3歳以上: 200円
利用時間: 10.00~22.00 (最終受付21.30)
休日: 火曜日 (祝日の場合翌日)

財団法人 セントピア芦原
福井県あわら市温泉4丁目305  Tel: 0776-78-4126

越前海岸名勝東尋坊見学の帰途、越前の名湯に立ち寄ってみた。手軽に入浴できると教えられてセントピアあわらにはいる。外観はかなり立派な建物でしたが、平日の事もあってか人の気配がしなかった。階段を上りようやく左の奥まったところに受付らしきカウンターがあった。
浴場は入れ替えで2ヶ所あり今回は天の湯。ガラス張りの側壁で開放感があり明るい。ガラス越しに弧を描いた露天風呂の浴槽が見える。
特徴は、特徴が無い事が特徴と言える極平凡な日帰り温泉施設。天の湯、地の湯の命名は天国と地獄を連想してししまいそう。施設名のセントピアも何のことやらわからない。
天国、地獄からは6道で仏教?saintからはキリスト教?
sentoからは銭湯? ではピアは何でしょうね。おせ~て(政夫)

セントピアあわら外観

温泉名: 滑川温泉
源泉名: 中の湯源泉  他 (上の湯 下の湯)
泉質: 含硫黄ーナトリウム・カルシウムー炭酸水素塩・硫酸塩泉
    低張性・中性高温泉
    pH7.1 陽イオン321.9mg/kg 陰イオン803.6mg/kg
源泉温度: 51.2℃ (53.6℃ 40.4℃)
湧出量: 不明  
湧出形態: 自然湧出
注入排出形態: 源泉掛け流し 循環ろ過無
効能: 
動脈硬化症 高血圧症 
    神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり
    うちみ くじき慢性消化器病 痔疾 冷え性 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 きりきず やけど 慢性皮膚病
利用料: 500円
利用時間: 9.00~16.00
休日: 冬季休業 11月~4月 要問合せ
       2009年 4月27日より営業予定 HPより

滑川温泉福島屋
山形県米沢市大沢滑川15  Tel: 090-3022-1189



以前宮城県の温泉に行く時、山形県経由で板谷駅~峠駅~大沢駅のルートを通る。峠駅から分岐して姥湯、滑川温泉の案内板を目にした事から今回たずねてみた。道は山道、当然狭い、が所々に待機所があり意外と運転はしやすい。ただ、両方とも3,4台ではちあわせすると困るので車間距離は十分とる事です。特に土曜、日曜日などは注意して、前の車について走らないほうが良いかも。たとえ前の車が遅くともそれに合わせ、50~100mは空けたほうがよいでしょう。
姥湯との分岐に案内板があり姥湯は15.30が入浴タイムリミットとの掲示がある。今からは1時間あるが姥湯に行く時間を考慮して余裕のある滑川による。分岐からは目の前です。
500円を支払い奥まった内湯へ入る。3人の先客がいましたが、知り合いと見えて私が入ると同時に出て行きました。浴槽は意外と広く10人は余裕の広さですが、向かい合うと足が触れる巾。やや緑がかった白濁色で、かすかに硫化水素臭がある。さらに奥のドアを開けると露天風呂への道となっている。桧風呂はまだ2~3分の注湯中で入れず、左に曲がって岩風呂に行く。
岩風呂は内風呂と同じ色をしていて空を写してかやや緑が濃いような。此処のほうが温度が低く入り易い気がした。周りの木々や川の流れとささやきが丸裸で、露天風呂の見本を見たようです。
宿の電気は自家発電で賄われており、水路式発電所でMAX18kw(東芝製発電機)発電小屋の横にダムが見えてので砂防ダム?と思いましたが天然らしく感じました。取水川の前川に架かるつり橋を渡っていくと、20分で滑川大滝に行くとの案内板。で、行ってみました。
急な九十九折の坂を上って行くと水音が一緒についてきます。いよいよ滝は近いか?と思ったら大きな間違いでした。水音が一瞬に消え去り尾根筋に出ましたが、滝の姿はありません。其処は小さな広場になっていて案内に滝見台らしき文字が・・・・・ありましたよ、滝が、はるか遠くに、見えました。滝までは見たところで、1時間半はかかりそうです。それからもう一つ、此処まで20分では来られません、30分位見た方がよいです。

外観

成分分析書

滑川温泉 namerikawaonsen-fukusimaya

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木版画 芦田宿と長久保宿(長久保)
の間にある笠取峠の茶屋

中仙道笠取峠 松並木街道

芦田 望月 長窪宿
笠取峠を挟む宿場プレート

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和田宿温泉 ふれあいの湯 wadajyukuonsen-fureainoyu

温泉名: 和田宿温泉
源泉名: 和田村小日影の湯温泉1号井
泉質: カルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉  
    低張性・弱アルカリ温泉
    pH8.2 陽イオン711.3mg/kg 陰イオン1622mg/kg
源泉温度: 31.6℃
湧出量: 不明  湧出形態: 掘削 動力揚湯 引湯
注入排出形態: かけ流し 加温有 消毒有 循環ろ過
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩運動麻痺 関節のこわばり 
    うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え症 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 
    
動脈硬化症 高血圧症
利用料: 大人 300円  小中学生 200円 他回数券、
     年間利用券有り
利用時間: 10.00~22.00
休日: 毎月1,3,5、月曜日

和田宿温泉 ふれあいの湯
長野県小県郡長和町和田4329  Tel: 0268-88-0001

信州 長和町ー湯遊パーク
長和町観光協会

Tel: 0268-88-2345

通常ルートR254号からそれたR142号沿いにある温泉に立ち寄った。和田峠に向かって長和町和田支所信号の次を左折依田川をわたったところ八角形のドームが目印です。いろいろな施設が有るようですが、今回は温泉だけ利用です。
こじんまりとした温泉施設ですが、きれいです。風呂は内風呂のみで、流行の露天風呂はありません。其処が何となく立派に思える今日この頃の天邪鬼な私です。浴槽は2箇所で源泉掛け流しの30℃ぬる浴槽と、加温した浴槽。加温した浴槽も注入は源泉が注がれている。循環ろ過装置と加温装置のコンビで対応している。
湧出量は注がれている量がコンスタントであるとすると、50ℓ/min以下。浴槽清掃で湯を抜くと初期注入量分が増えるとしても多くは無いと思います。循環ろ過装置、殺菌装置を24時間使用しているとのことですので、湯を抜いての浴槽内清掃は毎日行っていないのではないでしょうか?
週末で混んでいて7~8つのカランはふさがっている状態ですが年間利用券20000円らしい地元の方は平日は1/3くらいだと言う。常連客の人は、「ここいらには温泉がえれえあるずらが、おりゃーな、ここがいちばんだとおもうだに」なるほど、長く湯に浸かっていられるし、湯疲れしない温泉と思えます。
弱アルカリ泉ですが、肌のヌルヌル感は余りありません。ほとんど無味、無臭で透明の湯です。
湯の混み具合に比べて休憩所はゆったりとしていた。女性のお客さんが少ないらしく、以外に感じました。今は何処に行っても昔のお姉さまが元気で男どもを高笑いの風下においているのに。聞いたところでは、長野県の男性は長寿日本一らしいからか?統計では医療費、病院数、医師数、医療床数等と平均余命との間には、因果関係は無いとも言われている。ひらったくいえば、「医療費が高ければ平均余命が高くなる」ことは無い。年総医療費を年平均寿命×人口で除したらその指数は何を意味するのだろうか?

平成の大合併で長門町と和田村が合併して頭文字で長和町となった。川筋を同じとする自治体同士の合併で同じ川筋の丸子町が上田市に併合。和田村と言うより和田峠が有名な自治体で、和田村だから和田峠なのか?和田峠があるから和田村なのか?その思いは私が小学生の頃読んだ図鑑風の読み物にある。
「峠付近には古代石器の材料の黒耀石と東餅屋付近の小川で柘榴石が採種できます」との書き込みがあって、和田峠の言葉だけが脳裏にのっこっていた。
子供の頃の印象と思い込みは後々まで残ると見えて町の名前まで変えたという。本当か嘘かは定かではないがこんな事を聞いたことがある。愛知県のある市に本拠を置いた製造会社が大きくなり順調に業績を伸ばしてきた頃、セールスマンの嘆きとしてこんな事がささやかれた。
あなたの田舎(故郷)はどこなの? 
私の故郷はころも市です。
そう、良いところね、島崎藤村の詩でも有名ですもの、私も行ってみたいわ。
???
あら、知ってるでしょう、小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ。
ころも と こもろ  挙母 と 小諸

学校で全員?が習う詩集のために脳裏にインプットされた地名。企業城下町で国際的になりつつある挙母市としては市の名前が間違われる事は屈辱。そこで挙母市の名前を変えようとの動議が出されたそうな。で、企業城下町の企業の名をとって豊田市と変えたそうな。
 

温泉成分分析書

ふれあいの湯外観

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第一黄金の湯 成分分析書

温泉成分分析書

聖人清水湧き口

末社 二十二所神社

末社 八所神社

末社 十柱神社(国指定重要文化財)

樹叢の遊歩道

御手洗川 参宮橋

神域

出張りに設けた袖うだつ

酒林の謂れ

中仙道宿場乃地酒造處の看板

酒造所

石割坂

馬頭観世音

十王像

梵鐘

鐘楼

豊川稲荷参道石段

案内板傍の句碑 去来の句碑ではない

西宮戎神社

歴史が有りそうな双体道祖神 

境内石の祠

狛犬

成分分析書

浴場 奥ぬる湯 手前適湯
ふれあいの湯ホームページより

渋温泉 shibuonsen

出張りと腕木 「津ちや」側

「土屋」側

高札場跡

街道の町並み

茂田井間の宿街道用水

佐久市立 望月歴史民俗資料館

施設案内→佐久市文化施設→歴史


内風呂

寄り道傍の庚申塚

御神木

休憩室 

弥彦山山頂駅

越後平野

視界悪く霞む佐渡島

曹洞宗 本髙寺  新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦2980

岩室温泉へ

重・軽の石

石油蒸留釜 旧本殿鳥居前

参集殿

  旧本殿址
弥彦神社は明治四十五年三月、門前町から起こった大火により類焼して、遂にこの地にあった本殿までも御炎上になった。再建にあたり故実を調べ将来の災害を避けるため本殿は現在地に移し、その旧地に元本殿の礎石を据えて記念とされている。
  弥彦神社御神木
御神木椎の木は往古御祭神が携えられた椎の杖をこの地に挿し、「もし此の地が自分の住むべき土地ならば繁茂せよ」と仰せられたところ、やがて芽を出し根を生じて大木となり、天下に異変があれば即ち奇端を現わすと伝えられている。明治末年の大火に焼けて太い幹だけがを残すのみとなったが、たちまち新芽を吹き出して元の姿にもどった.
この御神木について地元(新潟県三島郡出雲崎町)の僧侶・良寛禅師は御神木を見て歌を表した。
  御神木讃歌 良寛
伊夜比古の神のみ前の椎の木は 幾世経ぬらむ 神世より斯くしあるらし 
上つ枝は照る日を隠し 中つ枝は雲を遮ぎり 下つ枝は甍にかかり 
久方の霜はおけども 永久に風は吹けども 永久に神の御世より
斯くしこそありにけらも伊夜比古の 神のみ前に立てる椎の木

いやひこのかみのみまえのしいのきは いくよへぬらむかみよよりかくしあるらし
かみつえはてるひをかくし なかつえはくもをさえぎり しもつえはいらかにかかり
ひさかたのしもはおけども とこしえにかぜはふけども とこしえにかみのみよより
かくしこありにけらしもいやひこの かみのみまえにたてるしいのき

  石油蒸留釜
田代虎次郎は信濃川河畔の山田島(現新潟市西区山田)に生まれました。この石油蒸留釜は明治十七年頃、田代虎次郎により考案された、わが国初の石油精製装置です。二十石蒸留釜とも称され、原油を締め切った釜に入れ、下から熱を与え原油から蒸発するガスをパイプに通し、原油の温度別にガスを水中で冷やし液体にする簡単なものです。特に良質な灯油を得ることができたという。この種の蒸釜窯は現在わが国では二基しか現存していません。あとの一基は新潟県出雲崎町 「越後天領の里」出雲崎天領時代館・石油記念館に展示されています。
越後の「燃える水」と云われた石油は、日本の石油精製産業の礎を弥彦神社のお膝元であるこの地で始りました。その縁で石油精製産業との結び付きを得たことで、産業界の弥彦神社尊崇の念は強まったと云われます。その時代には灯に使用する「安全な灯油」の供給が求められ、その需要に応える事が必要でした。この蒸留釜は、日本石油化工(現JX日鉱日石エネルギー) 柏崎工場より平成十三年三月奉納されたと記されています。この年柏崎工場は閉鎖され、縁あった弥彦神社に奉納されたものと思われます。
  津軽火の玉石・重軽の石
旧本殿鳥居右前にひっそりと置かれています。この石を持ってみて軽く感ずると願いがかなう吉、重く感ずると願いがかなわない凶であるという。事前に重たいものを持って置き、筋肉を慣らしておいてから挑戦するのもよいと思いますが、神様は御見通しです。
弥彦村HPにはこの石について記されています。
弥彦村→観光情報→観光情報一覧→弥彦の昔話→津軽火の玉石  
慶長年間(1596~1615)弘前藩(現・青森県弘前市)の城主、津軽信牧候が、江戸表より航路帰国の途中のことです。佐渡沖合を通過する際、にわかに暴風雨に遭い、みるみる大波のため、御座船がくつがえらんばかりになりました。かねてより、彌彦大神の御神威の広大さを聞いていた殿様は、激しく揺れ動く船中から、はるかに弥彦山に向かって鳥居奉納を誓って神助を願ったところ、たちまち海は静かになって、一同は無事、帰国の途につきました。それからは、毎年使いをつかわして礼参を続けていましたが、鳥居献納のことはそのままに過ぎていきました。すると不思議なことに、しばらくすると、毎夜のように、天守閣を中心に城内を二つの火の玉が大きなうなり声を発しながらぐるぐる飛び廻る、という異変が起こりました。城中一同は、毎夜毎夜、この現象にすっかり悩まされるという大騒ぎになりました。
驚いた津軽候は、さっそく城内をくまなく調べたところ、この二つの火の玉石はちょうど大人の頭ほどの大きさの石であることが判明しました。津軽候は心中深く思いをめぐらしたところ、彌彦神社に自分の誓願を果たしていなかったことを思い出し、さっそく工事にかかり、元和3年(1617)9月、めでたく大鳥居を奉納したと伝わります。同時に、この霊威を示した火の玉石もいっしょに彌彦神社に納められました。現在、この二つの火の玉石は、俗に「津軽火の玉石」「重い軽いの石」と呼ばれ、表参道神符授与所前の一角に安置されており、昔から、心願のある時これを持ち上げられれば事は成就し、重くて上げられない時はかなわないと言われ、今も熱心にお祈りしている人々を見かけます

味噌・醤油製造元 (株)酢屋成

看板

主屋門

大澤酒造

杉玉

大澤家中庭

現代版 中山道休み処

馬具 江戸時代

機織り

石段灯籠
寛永三年庚午三月十六日

  狛犬
銘に皇紀二千六百年 昭和十五年(1940)二月吉日奉建とある。戦時の困窮の中、神国日本を祈ったであろう記録がこの地にもあった。

  大伴神社社号碑
書道家 比田井天来の揮毫社碑。
比田井天来は、明治五年(1872)望月(現佐久市望月)協和郷で生まれました。若いころから書を独習し、上京して哲学や漢字を修め、日下部鳴鶴(1838~1922)に書法を学びました。書を学ぶ基本を古碑帖の臨書に求め、やがて剛毛筆によって書法を一新し、近代書法の基礎を確立しました。
東京と鎌倉に書学院を建設し、後にそこから日本の書道界をリードする多くの書家が輩出しました。書家として初めて帝国芸術院会員に推されました。天来は現代の書芸術を切り拓いた書家であり、また、書学・文字学において新しい地平を築いた研究者でもありました。
現在、望月宿には屋号・看板・石碑など、比田井天来門下による天来流の書が多く、書の楽しみを与えてくれます。望月宿本陣跡に建てられた望月歴史民俗資料館傍に比田井天来記念館があります。

           案内説明より

両澤家住宅

両澤家屋敷門

街道の古民家

温泉説明掲示板

浴場入り口 男女入替え制

中央道 双葉SA

第三黄金の湯 成分分析書

正面玄関 
赤いじゅうたんに導かれるのは

十柱神社向拝海老虹梁

向拝の蟇股

社殿梁の蟇股

御手洗川の御手洗場

一之鳥居神額

一之鳥居 四脚鳥居 浮柱である

五石(約900L)大釜

酒槽

街道の町並み

街道の町並み

観音堂(平和観世音菩薩)

境内稲荷社

庚申塔 青面金剛像

豊川稲荷の鳥居

拝殿

懸造りの社殿

大伴神社社号碑

本館入り口 バス停

ふれあいの湯入り口

中央道諏訪SA 中央前山の後ろ蓼科山が見えた。温泉街の湖畔に日本最大級の間欠泉があるらしいが、観たことはない。

芦田宿本陣跡

本陣屋敷門(長屋門)

中庭

私設民族資料館

屋敷門正面の主屋

露天岩風呂

曹洞宗本髙寺

本堂

僧堂(選佛堂)

望月宿の出梁格子(海野格子)
滋野氏・海野氏の一族の望月氏

街道の古民家と漆喰土蔵

街道の古民家と漆喰土蔵

大浴場

天の湯浴槽 他露天風呂有

中央道 諏訪SA
湖の上に雲がかかって湖水の色もどんより

露天風呂からの夕日
吉夢ホームページより

飲泉所

注湯中の桧風呂

地蔵菩薩

不動明王 禅寺なのに

観世音菩薩

本陣宿客殿

本陣宿客殿 唐破風鬼板と懸魚

式台玄関

望月宿の出梁格子

花鉢を背負った望月の駒

花鉢を背負った望月の駒

南部の湯 大浴場

部屋付の露天風呂
湯煙が立ち上がっている

境外末社 祓戸神社鳥居

祓戸神社

参道の樹叢

一枚岩から彫られた神橋欄干

御神橋

御神橋・玉の橋(神が渡る橋)

境内庭園 通常水が流れているようだ

境内庭園

仏教の女神吨枳尼天(稲荷)と豊川稲荷大明神の扁額

本殿

海平線目線の露天風呂

加水無の源泉100%お知らせ

長野道 梓川SA 北アルプス遠望 
まもなく白一色に
長野道 梓川SA 北アルプス 中央常念岳 右端有明山 

鶴亀の湯 露天岩風呂

絵馬殿

玉砂利と石畳の参道

休み処

寄進帳 薄くなって読めない

稲荷の一段高く鎮座の榊神社

路傍の小さな祠

展望内風呂

ふれあい広場
八角形の吹き抜けドーム

お世話になった渋温泉 炭乃湯
渋温泉 御宿 炭乃湯

川の湯 大浴場

札所

手水舎

二之鳥居

参道石段途中の去来句碑

参道脇の聖徳皇太子石碑

弁才天窟

小湊港

遠くに霞む鴨川温泉街

朝食 バイキング

リゾートしらかみ 青池 aoike

芦原温泉行きバス

駅前バス停

セントピアあわらバス停

天然のダムか?

発電機小屋の放水

ミニ清水

露天風呂からの眺め
川岸のライトアップ

  親鸞聖人清水
聖人清水は、彌彦神社門前町の旧家林部宅の裏にあります。浄土真宗の開山親鸞聖人は承元の乱に都を追われ、承元元年(1207)、35歳の時、越後の国府(現・上越市五智)に配流の身となりました。越後国在住中に彌彦神社を参拝し、その時宿泊したのが当時の庄屋林部四郎左衛門宅でした。
一帯は昔から堅い岩盤で、水不足に悩まされていました。ある日、近くの川から水を汲み上げて運んでくる老女を哀れみ、林部宅の裏の竹林の一隅を持参の杖で突いて仏に念じたところ、たちまち水がコンコンと湧き出したと伝えられています。人々はこの聖人の徳を喜び、以後、今日に至るまで「聖人清水」と呼ぶようになりました。
親鸞聖人が彌彦神社参拝の折に詠まれた和歌一首が次のとおり語り伝えられています。『願はくは 都の空に 墨染の 神吹き返せ 椎の下風』親鸞聖人が林部家に滞在した際、使ったといわれる「鍋」が、いつのころからか、大字麓の分家林部名兵衛家に渡り、その後、麓の廣福寺(こうふくじ)(浄土真宗仏光寺派)に納められました。聖人は越後国に7年間滞在しましたが、各地に伝説が残されています(親鸞聖人の越後7不思議伝説)。その後、聖人は常陸国(現・茨城県)に移られました。
                 案内説明より

廃校跡(商工会)の二宮金次郎像

梵鐘

庫裡

枝が八方に伸び「蛸欅」と呼ばれている

  十柱神社 国指定重要文化財)
入母屋造、平屋、間口(梁間)二間半、奥行(桁行)三間祭神 大穴牟遅命(出雲・大国主命)の外、明治六年信濃川分水工事中止の際、同工事のため民部省土木司の石湊に創建した石湊神社御祭神(九柱)を祀っている。本社殿は、元禄七年(1694)長岡藩牧野家三代藩主・牧野忠辰(タダトキ)が和霊(ニギミタマ)のために奉建したもので、蟇股、虹梁などに桃山時代の手法が見られます。

  弥彦神社末社 住吉神社大欅
新潟県天然記念物  指定:昭和二十七年十二月十日
この大欅は、樹齢およそ千年、樹高三十メートル、胴回り八メートル余の巨木である。大枝を伸ばして立つ姿は大蛸が八本足を広げている様子によく似ているところから、古より「蛸欅(たこけやき)」と呼ばれている.。樹齢から推定すると神社の御神木ではなく、御神体と崇められたのでしょう。
                   案内説明より

中仙道芦田宿 用水の跡はない

中庭に祀られている祠

望月の駒民話の陶板画

  望月の牧
望月の牧は、千曲川と鹿曲川そして布施川とに囲まれた四方五里の御牧原台地に営まれていた牧で、平安時代には、朝廷の左右馬寮に属する勅旨牧(朝廷直轄の牧)であった。貢馬に関する文献は、大化改詔『書記』(645・646)や『日本書紀』(668)にもすでに見られるが、文武天皇四年(700)に、「令諸国定牧地放牛馬」とあり、各地の適地の牧場で牛馬が放牧されていたことがわかる。この頃はまだ御牧原台地に牧が存在したという記録はないが「、古墳文化の存在する勢いから見て、この地方をすでに治めてい地方豪族によって牧が営まれていたことは推定できる。

  望月の駒 (民話 望月昔物語より)
昔、信州佐久の望月城に姫君が生まれました。他に比べようもない美しい姫君でした。また同じ日に、美しい月毛(赤みを帯びた茶色)の馬が生まれました。こちらの馬も他に比べようもない名馬でした。殿さまは、姫の生まれた日にこのような名馬が生まれたことを喜び、姫の名を生駒姫と名付け、その名馬は姫の乗る馬と定められました。
やがて、姫が十三歳になったとき、その美しさを聞いた京の帝から自分のもとへ来るようにとの知らせが何度もありました。その話を聞くと、月毛の駒は、えさを食べなくなってしまいました。なんと月毛の駒は姫に恋をしてしまったのです。それを知った姫は、「月毛の駒を捨てて京には上がれぬ」と言いだしました。困った殿さまは、月毛の駒に「四つの鐘(午前十時ごろ)から九つの鐘(午前十二時ごろ)までの間に、御牧七郷を三度駆け巡ることが出来たなら、姫を駒にやろう」と約束しました。出来るはずがない約束をさせて、姫のことをあきらめさせようとしたのです。
ところが、姫を思う月毛の駒は、四つの鐘と同時に信じられない速さで駆け出し、南の布施谷から矢島の裾を越えて、駒寄、御馬寄より川を渡って、下塚原から耳取小原、小諸、西浦を通り、布下、島川原、羽毛山、塩川、長瀬を回り、上八重原、藤沢、観音寺を過ぎ、あっという間に二度回ってきました。その速さは電光石火の様で、もう一周は簡単だろうと思われました。
「このままでは走り切ってしまう。 走りきらぬうちに鐘を打ってしまえ!」殿さまは、駒が観音寺まで来たとき、九つまではまだ時間があるのに九つの鐘を撞かせました。鐘の鳴るのを聞いた月毛の駒は、たちまち息が切れて、天狗の洞穴がある岩から落ち、そのまま倒れて死んでしまいました。一部始終を聞いた姫は、直ちに豊かな黒髪を切って尼になり、昼夜念仏を唱え、駒の冥福を祈りました。そのありさまを見る人はみな心から気の毒がったと言います。月毛の駒が死んだところには、馬頭観世音菩薩を安置した観音堂が建てられたと言うことです。

  望月の駒の歌
逢坂の関の清水に影見えて いまや引くらん望月の駒・・・・・  紀貫之
望月の駒ひき越ゆる山見れば 覚束なくも飽かずぞありける・・・・・紀貫之
あづま路をはるかにいづる望月の 駒に今宵やあふ坂の関・・・・・源仲正
あふ坂の山立出て雲の上に 影さしのぼるもちづきの駒・・・・・後鳥羽上皇
東より今やひくらむ曇りなき 御代のためしの望月のこま・・・・・宗良親王
ひきわくる声ぞいはゆる望月の 御牧ヶ原や恋しかるらむ・・・・・俊頼朝臣
望月のみ牧の駒は寒からじ 布引山を北と思へば・・・・・西行法師
もちづきの御牧にあるる春駒は 秋の半や人にひかれん・・・・・慈鎮
故郷の御牧が原のはなれ駒 さこそ野かひのあはれみゆらむ・・・・・俊成

  釣瓶沢の水割場の石と木樋
水割場は、蓼科山の五斗水水源から引いた用水に設置されました。全水量の九分(幅長さで一尺八寸)を布施村(佐久市望月布施)へ流し、一分(二寸)を五郎兵衛新田村(佐久市浅科甲)へ分流した。
明治十一年から十七年にかけて水争いが起こり、その結果、九分と一分の分水が決められた。木樋は昭和十八年に畳石用堰として布施村によって設置された。天然カラマツを刳り貫いた見事な樋で、これによりはるか村まで水が運ばれた。

  機織り
望月町(佐久市望月)では、大正時代頃まで女の人の冬の仕事として機織りが行われていました。町の糸屋から紺色に染めた木綿糸を買ってきて、着物や布団地を織りました。ヒゲエリバタと言って一日に一反の機を織ってしまう人もいました。機織りは女の人の一人前の条件でもありました。

  駒つなぎの石
江戸時代末の望月宿は道幅が五間で、その中央を川が流れており、旅人や荷継の馬などに利用されていました。駒つなぎの石は、馬や牛などを止めるため利用したもので、馬には動かせないが、人が持てる重さでした。

  高札場 定書(慶応四年三月)
       定
何事によらず よろし  からさる事に大勢申合候を  ととうととない ととうして  しいてねがい事くわたつるをごうそといい あるひは申合せ  居町居村をたちのき候を てうさんと申す  堅く御法度たり若右類の儀これあらハ早々 其の筋役所へ申出べし  御ほうひ下さるべく事
慶応四年三月 太政官
右被  仰出之趣堅可相守者也  中野県庁

江戸時代と明治との狭間の激動期に出された新政府による定め書きです。中野県庁とあるのは、現在の中野市に県庁がおかれたことによる。旧仮名遣いで書かれているが、何となく意味が伝わってくる。上から目線で民衆を見下した官の独善性が見て取れるが、これも現代と比べてのこと。私見ですが、民衆を意識統制する一党独裁政権国や一家継承独裁国を思い出す。

同じ年に出された御誓文(五箇条御誓文)を見てみた。
  御誓文
1)広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
1)上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フべシ
1)官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
1)旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
1)智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ 

  本陣宿木札
本陣に掲げられた木札と思われる。木札には、尾張中納言殿休、松平阿波守休、彦根中将休、大久保彦左御宿と読めるような?尾張藩主徳川家、阿波・淡路藩主蜂須賀家、彦根藩主井伊家が御休憩なさったのかも。手前の木札は大久保彦左御宿とも読めるが、あの天下の御意見番でしょうかね?
            案内説明より

イベント会場兼軽食堂

JR芦原温泉駅

温泉たまご 源泉温度44度で?
俗称おんせんたまごです

滑川大滝 遠景

神社背後の欅の樹幹

境外末社 住吉神社

14畳の部屋 3人でゆったり
夕食 久しぶりのビール、コップ一杯
手前の鯉こくアツアツで まいう~
渋温泉
湯田中・渋温泉郷にあって最大の湯量全ての宿ての浴槽源泉かけ流し。ただし高温源泉で入浴困難の時は、入浴客に温度管理おまかせ。その点では外気が下がる冬の方が良いかも。
 
神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり うちみ くじき 慢性消化器病 
痔疾 冷え性 病後回復期疲労回復 健康増進 きりきず やけど 慢性皮膚病 虚弱児童 
慢性婦人病 動脈硬化

森の湯 大浴場

神馬舎

奉納神馬木造

楽殿・舞殿(神楽殿)

望月橋より見た弁天窟

弁天窟上の文字(蟠龍窟)

東尋坊

一番湯 初湯 胃腸病
二番湯 笹の湯 湿疹
三番湯 綿の湯 切り傷
落梅集 小諸なる古城のほとり
懐古園の詞碑
四番湯 竹の湯 痛風

森の湯(黄金の湯) 深湯

随身門

左守護随身矢大臣

狛犬・阿形 国登録有形文化財

峠駅 待合室?峠の茶屋 

峠駅 スノーシェルター

滑川温泉まで6km

五番湯 松の湯 脊椎病
六番湯 目洗いの湯 眼病

小諸城址から 千曲川

七番湯 七繰の湯 外傷性障害
八番湯 神明滝の湯婦人病
目洗い湯の浴槽 

川の湯から見たつり橋

拝殿

拝殿向拝虹梁

拝殿向拝蟇股

滑川 姥湯分岐 姥湯まで20分

九番湯 大湯 神経痛
番外湯 薬湯(信玄かま風呂)
ここのみ入湯料必要
明神滝の湯の浴槽

外湯 大湯のみ利用可能 (外湯9箇所の鍵は共通です) 
利用料: 500円 利用時間: 10.00~16.00

渋温泉旅館組合 長野県下高井郡山ノ内町渋温泉 Tel: 0269-33-2921
 

飲泉所 糖尿病 痛風
慢性胆嚢炎 胆石症 慢性便秘 肥満症

祈祷殿

本殿

お札授与所

越後一之宮 弥彦神社
新潟県西蒲原郡弥彦村
弥彦2887-2
Tel: 0256-94-2001

通称ライオン岩

柱状節理断面

海上から雄島

最後におまいり満願成就
渋高薬師  和光庵(庵主様居られます)。正に温泉治療、薬師瑠璃光如来様。効能ことのほか多し。薬壺に絶えることなく溢れる源泉をお持ちです。

新花巻駅

花巻神輿

花巻鹿踊 春日流

海上から東尋坊タワー

土産商店街

駅行きバス停

温泉街から30分程、サルの入浴でおなじみの地獄谷野猿公苑 
ここのサルは清楚で気品がある。しかし野生だからご用心の程を。 
強請り、強盗やりたい放題で有名な日光とはちょっと違う。
いい湯だなハハァ いい湯だなハハ
高く吹き上げる地獄谷の熱湯噴煙
松茸小屋の近くに鎮座 生島足島神社
樹齢800年といわれるケヤキの御神体
今回のメインイベント

松茸とご対面  松茸小屋AZMT山荘  料理10品コース
1香の物   2松茸刺身(サービス品)   3松茸なべ(すきやきなべ風、肉の変わりに松茸)   
4松茸土瓶蒸し  5松茸茶碗蒸し   6松茸天ぷら   7松茸銀蒸し(松茸アルミホイル包み焼き)   
8松茸吸い物   9きのこうどん(松茸なべの残り汁で炊き上げる)   10焼き松茸   11松茸ご飯   
12松茸姿焼き(松茸1本形のまま網焼き)
松茸刺身 生醤油をかけて
松茸なべ
松茸茶碗蒸し
松茸天ぷら
きのこうどん
焼き松茸
松茸姿焼き2本と焼き松茸
焼き松茸二人前と松茸姿焼き一人前
鶏肉と油揚げを煮込んだあとに松茸を混ぜ込む
料理小屋で食べ切れずに
持ち帰った松茸

二人では多めの三合
適当に切り裂いた松茸
やや大きめ
松茸ご飯完成
松茸ご飯作ってみました
松茸の歯応えはやはり一級品。
香りは今ひとつと思えた。
だけど傘に開いた松茸を使った、
なべやご飯は香りは良かった。
産地ならではの食べ応えで、
お腹一杯満足としよう。

立科町役場

平石遺跡 復元竪穴住居

高札場 定書

本陣 宿木札

鷹野家 脇本陣

脇本陣

中山道旅籠 山しろ屋

海ほたる休憩

道の駅ふれあいパーク きみつ

鴨川オーシャンパーク

吾妻 幸楽苑中華そば

矢板北パーキングエリア

安積パーキングエリア

温泉街内には大衆浴場があり、外湯めぐりが楽しめる。宿泊客はタダ。入り口の鍵を借りて自由に。
九つの番湯と番外が一つ

長和町紹介リーフ

  越後一之宮 弥彦神社
御祭神は天照大御神の御曾孫にあたる天香山命(アメノカゴヤマノミコト)です。天香山命は高天原より神々が天降り遊ばされた折に御一緒に降り、紀州(和歌山県)熊野に住まわれ、神武天皇のご東征の時、フツノミタマの剣を奉って大功を立てられました。
神武天皇が国家統一を終え、大和の橿原の宮で御即位になられた四年後に今度は越後地方の開拓経営の命をうけ、日本海の荒波を舟で渡られ、はるばる越の国の野積浜にご上陸になられました。そこで早速、漁民に海水を焚いて塩を作ることや網、釣針を用いて魚を取る術を教えられました。さらに弥彦に宮の居を定めてから蛮族(大和に逆らう民族)を平定され、住民に稲作の道をご指導なされました。
また六代にわたるご子孫も協力、継承して越後地方の産業文化の基礎を造られました。つまり越後開拓・文化産業の祖師神であります。弥彦神社は越後開拓の神と仰ぎ、この地に奉祀したのが始まりで、その年代は定かではありませんが、万葉集から推測して、今から1300年以前であることは明らかです。神社記によれば和銅四年(711)の詔により神域を拡げ、社殿を造営したとあり、このころすでに神社が創建されております。

  弥彦神社社殿
現在の御社殿は明治四十五年に門前町から出火した火の延焼にあって炎上したため、大正五年に造営されたものです。本殿は三間社流造向拝付、回縁高欄、脇障子を備え、銅板葺です。幣殿も三間社流造、大床昇階擬宝珠高欄を付し、銅板葺きです。祝詞舎は二十坪両流箱棟造りで、それに続く(前方に)拝殿は五十坪、入母屋造、向拝、裳階(飾り軒屋根)付、銅板葺です。
また、本殿は東京帝国大学教授・伊東忠太工学博士が設計し、当時の新潟県に委託され、直営工事により大正五年に再建されたものです。平成十年九月二日、「造形の規範となっているもの」として、県内では二番目の登録有形文化財として文化財登録されています。

  弥彦神社境内
広々とした越後平野の中央にそびえたつ弥彦山の麓に鎮まります弥彦神社は、古くから“おやひこさま”の敬称で広く広く住民に親しまれてきました。境内は鬱蒼とした樹林に覆われ、亭々たる老杉、古欅は見るからに神々しく、古い歌集である万葉集にも“いやひこおのれ神さび青雲の棚引く日すらこさめそぼふる”と歌われています。
緑の映える朱色の一之鳥居を入るとすぐに弥彦山からの清流・御手洗川を渡りますが、その上流に「御神橋・玉の橋」が架かっており、いっそう荘厳な雰囲気を醸し出しております。石畳の参道右側には御神苑があり、巨木に交じって里桜も多く、春には可憐な花を咲かせ、参拝者の目を楽しませてくれています。
御神苑には鹿苑があり、十数頭の鹿が群れ遊んでおります、この鹿は古来より神の鹿と称されて、同じく万葉集に“いやひこ神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮服(かはごろも)着て角つきながら”と詠まれています。弥彦神社は、参詣者を今なお遠い万葉集の古に引き込んでいます。

  御神橋・玉の橋
弥彦神社古記録によると、和銅四年(711)勅命により宮殿が改められた境内建造物の中に、御池「玉の橋」が記載されている如く、古くから参道中程に「御神橋」があり、室町時代の境内古絵図にもえがかれている。「玉の橋」についての古い言い伝えでは“今の人心玉の橋を求めて神慮に通わしめて真の道を得る心なり”とある。
明治四十五年、弥彦大火の祭、社殿を始め境内建造物を焼失した中で、明治二十九年改築された「玉の橋」だけはその難をまぬがれました。その後、境内拡張、社殿造り替え事業に際し外苑・弥彦公園に一時移転されていたが、昭和六十年の御遷座七十年奉祝を期として、霊峰弥彦山の清流・御手洗川に修理復元したものです。

  JR弥彦駅舎
JR弥彦線弥彦駅は弥彦神社をイメージして建てられました。大正六年の建築で、神社建築を模した全国でも珍しい駅舎です。新潟県の近代化遺産の一つです。
               弥彦村観光説明案内より

小諸城址 三の門

玄関前石灯籠

休み処

岩風呂 注湯樋

露天風呂 岩風呂

露天風呂 寝湯等

温泉成分分析書

正面玄関外観

瓢箪馬印のデザイン

温泉名: 太閤山温泉
源泉名: 太閤山天然温泉太閤の湯
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物・炭酸水素塩泉  
    高張性 中性高温泉
    pH7.24 陽イオン6302mg/㎏ 陰イオン9486㎎/㎏
    成分総計: 15990㎎/㎏    
源泉温度: 46.2℃
湧出量: 132ℓ/min  湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加水 加温 循環ろ過 塩素消毒

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 うちみ 
    ねんざ くじき 冷え性 
疲労回復等 
    切り傷 やけど 慢性皮膚病 慢性婦人病
 

利用料: 大人 800円  小人(小学生以下) 350円  
     二歳以下 100円
利用時間: 10.00~23.00
休日: 無休 (臨時休業有り 問い合わせ)

太閤山天然温泉太閤の湯
富山県射水市黒河5424  Tel: 0766-56-2345

太閤山温泉 taikoyamaonsen-taikonoyu

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望月宿  茂田井間の宿  芦田宿   

温泉名: あさしな温泉
源泉名: あさしな温泉 1号源泉井
泉質: ナトリウムー塩化物泉  
    高張性 アルカリ性 冷鉱泉
    pH9.1 陽イオン5110㎎/㎏ 陰イオン7955㎎/㎏
    成分総計 13290㎎/㎏ メタホウ酸 216.9㎎/㎏
源泉温度: 21.0℃
湧出量: 不明  
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加温 循環ろ過 消毒


温泉名: あさしな温泉
源泉名: あさしな温泉 2号源泉井
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物泉  
    低張性 弱アルカリ性 低温泉
    pH8.0 陽イオン347.5㎎/㎏ 陰イオン592.0㎎/㎏
    成分総計 1012㎎/㎏
源泉温度: 29.6℃
湧出量: 不明  
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加温 循環ろ過 消毒

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり 
    うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え性 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 きりきず やけど 慢性皮膚病
利用料: 大人 400円  小人250円
利用時間: 10.00~22.00 最終入館 21.30
休日: 毎週火曜日

あさしな温泉 穂の香乃湯
佐久市甲1071-1  Tel: 0267-58-0033 

国道142あさしな温泉信号下り方向左折して100m足らずの日帰り温泉施設。入浴客のほとんどは地元に人たちと思われます。観光の道すがら立ち寄るには便利ですが、東京に向かうには残りの距離が多すぎる。
内湯大浴場と露天の岩風呂・木風呂があり、投入されている湯量も多い。湧出量は不明ですが、このような施設にありがちな循環ろ過ですので、浴槽の横・底面よりの吹き出し湯もあります。
館内提示の分析書は二通あり、1号源泉、2号源泉と表示されているが、結果混合されているのか、浴槽別の供給なのかは聞いてみなかった。成分分析からすると1号が高張性、2号が低張性で、大きく違っている。湧出地は同じなので、掘削深さの違いだろうと思う。浴槽の配置などから想像すると、露天風呂の木浴槽と内風呂・露天岩風呂とに分けて供給されているようだ。帰ってから考えると、なめてみると簡単なことと気がついた次第でありんす。

温泉館

露天風呂

2号源泉井

1号源泉井

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あさしな温泉 穂の香乃湯
 asasinaonsen-honokanoyu

展望風呂

露天風呂箱庭

露天風呂

大浴場

成分分析書

和倉温泉夜景

のと楽外観

温泉名: 和倉温泉
源泉名: 弁天崎5号・8号・10号・13号混合泉
(和倉温泉(資)源泉)
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物泉  
高張性 弱アルカリ性 高温泉
    pH7.6 陽イオン7493㎎/㎏ 陰イオン12340㎎/㎏
    成分総計 19970㎎/㎏  
源泉温度: 84.6℃
湧出量: 990L/min (混合泉源泉)  
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加温 加水 循環ろ過 消毒
効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり 
    うちみ くじき 慢性消化器病 痔疾 冷え性 病後回復期 
    疲労回復 健康増進 きりきず やけど 慢性皮膚病 
利用料: -
利用時間:-

和倉温泉のと楽
石川県七尾市石崎町香島1-14  Tel: 0767-62-3131

和倉温泉 総湯(共同浴場)
石川県七尾市和倉温泉  Tel: 0767-62-2221

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり 
    慢性消化器病 痔疾 冷え性 病後回復期 疲労回復 
    健康増進 きりきず やけど 慢性皮膚病 うちみ くじき
利用料: 大人440円  小学生130円
利用時間: 7.00~22.00
休日: 毎月25日 (土日曜日の場合翌月曜日)

岩室温泉へ

岩室温泉へ

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長き参道続きます

  弥彦トンネル( 弥彦隧道) 新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦字御殿山667-1
国登録有形文化財 2011年7月25日登録 宗教法人弥彦神社
弥彦公園内の中央西側に位置する小山(御殿山)に、大正七年(1918)建設されました。馬蹄形アーチ断面になる煉瓦造の歩行者用トンネルで、延長55m、幅3.1mを測る。坑門はアーチ周縁や壁柱、笠石を花崗岩で造り、壁面を煉瓦で化粧する。造営時の気風を伝える象徴的な公園施設です。

  湯神社温泉源泉所
源泉名; 湯神社温泉源泉  源泉温度: 47.9℃  湧出量: 570L/min  掘削深度1500m  
平成十八年十一月二十七日

  湯神社の由来
今を去ること一千年の昔。伊夜日子の里(弥彦)に権九郎(一説には雁九郎)という猟師が住んでいました。ある年の秋の一日、朝早くから十宝山・弥彦山・国上山の峰々を駈け廻りましたが、その日に限らず、あいにくと兎一匹、山鳥一羽も獲ることができず、夕暮れ近くすっかり疲れ果てて熊ヶ谷の林中に入りました。「何という不猟の日だ。やれやれ仕方がない。家へ戻るか。」と、ひとり言をつぶやきながら、ぼんやり山道を歩いていると、突如、目の前の林中からバタバタと大きな羽音をたてて一羽の山鳥が飛び立ちました。
「やーれ、良き獲物ござんなれ。」と権九郎は素早く肩の弓矢を取り直し、ヒュ-ッとばかり弦音多角一矢射放したが、残念なり。矢は山鳥の下羽近くを傷つけたのみらしく、手負いの様子のまま飛び去ってしまいました。「えー、くやしいっ。」と、がっかりしたものの、それでもなおあきらめきれずに、山鳥の飛び去った方向に向かってどんどん林中を進むと、突如、目の前がにわかに開けて、行く手の低地の中頃にきれいな池があるのが目に入りました。
のどの渇きを癒さんと思った彼は、生い茂る草をかき分けつつ池に近寄ったところ、こわ不思議、池の中央からコンコンときれいな湯が湧き出ていました。しかも池の中には先ほど射損じた山鳥をはじめ、たくさんの鳥獣がいっしょに仲良く湯浴みをしている様子です。驚きのあまり声もなく、しばらくそっと眺めていた権九郎は、やがてハタと膝を打ち、心中深くうなずくや、さっそく自身もくるくると身につけた衣類を脱いで、静かにこの池の中に身を沈めました。
お湯の加減もちょうどよく、一日の疲れがみるみる取れていくのがわかりました。しかも、朝から山中を歩き廻って受けた切り傷やカスリ傷の痛みもどんどん快復していく様子に、今やすっかり狂喜した彼は、取るものも取りあえず、すぐさま里に飛んで帰り、村人にこの事実を告げて廻りました。権九郎の話を聞いた村人たちは、さっそくわれもわれもと熊ヶ谷に押しかけ、先を争って入浴しました。話の通りのすばらしい効果に、たちまち湯の評判は広まり、しばしの間に熊ヶ谷一帯はにわかに開け、人家が立ち並び、「弥彦の霊泉」と遠近にその名声もひびいて、大層な賑わいを呈するようになりました。
かくて、村人たちは彌彦神社の神官にお願いして、池の傍らの大岩を背に神社を建立し、お湯の神・薬の神・熊ヶ谷集落の守護神として大穴牟遅命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)二神をお祀り申し上げ、神社の名称も「湯神社」とお呼びして深い信仰を捧げ、弥彦霊泉はその後ますます発展しました。
しかし、時代も移って数百年の後、自然とお湯の噴出も止まり、だんだんと人家も散じて徳川時代の始めにはすっかり集落もなくなり、わずかにこの湯脈のつながりでもあるのでしょうか、山裾の観音寺集落に霊泉の名残をとどめて現代に至っています。にもかかわらず、湯神社の信仰のみは、人家も絶え、集落が消滅しても尚変わりません。その後も神仏混交時代に一般民衆の名付けた「石薬師大明神」の呼び名のもとに、特殊信仰は代々地方民衆の間に伝わって今日に至っています。
現在の弥彦温泉の源泉は弥彦山麓の上赤坂地区にありますが、上赤坂地区と丘陵続きで彌彦神社外苑弥彦公園南西の地にある熊ヶ谷の山中に、大穴牟遅命・少彦名命を祀る彌彦神社境外末社湯神社が鎮座まします。俗に、「石薬師大明神」と一般から呼ばれて、今でも各地に信仰者があり、年間を通して賑わっています。
この石薬師にはもう一つの伝説があります。矢立の石薬師は、珍しい形の石を二個重ねて祀り、傍らに梨の古木が一本茂っていました。結実が多く、形は普通ですが、味が悪くて食用にはなりません。歯をわずらう人が、梨を断ってこの石薬師に祈念すると、たちまち治るといわれました。
                  弥彦村HP説明案内より

社殿が見えました

森の中へ

家内安全 商売繁盛 無病息災
奉納幟旗

御殿山配水池跡

石置祠 弥彦神社摂社。勝神社御廟

弥彦トンネル 文化財プレート

湯神社 社標と鳥居

湯神社参道広場

奉納灯籠 右側石置き祠

鳥居が続いています

湯神社本社

湯神社拝殿

湯神社

手水舎

弥彦公園噴水池

弥彦公園入口 (弥彦駅前)

湯神社温泉源泉所

湯神社参道

弥彦隧道(弥彦公園トンネル)

弥彦神社末社 湯神社

  明治天皇行在所跡
明治天皇が明治十一年(1876)北陸東海ご巡幸の際の九月十五日弥彦神社神職・五十嵐盛厚宅の奥庭に行在所が設けられました。翌日弥彦神社に御参拝なされご巡幸を続けられました。
後行在所の建物は明治四十五年(1912)三月弥彦神社門前町にて出火した「弥彦大火」により焼失し、その火災により弥彦神社の社殿も焼失しました。焼失後手付かずのままでしたが、現在は行在所跡地を整備して、水と樹木に囲まれた参拝者などの憩いの場所に供しています。
           案内説明より

行在所跡

行在所跡記念碑

碑文 明治天皇駐蹕之所

明治天皇北陸巡幸行在所記念碑

明治天皇行在所跡 万葉の道

木段参道

弥彦神社奥宮参道二之鳥居

弥彦神社奥宮参道一之鳥居

万葉の道

万葉の道

万葉の道