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権現堂堤桜・・・・・幸手市 


花の道・・・・・久喜市鷲宮町  
 (ポピー・ヒマワリ・コスモス) 

鷲宮神社・・・・・久喜市鷲宮町
 

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葛西用水花の道  ポピー・ヒマワリ・コスモス

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鷲宮神社 wasinomiyajinjya

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権現堂堤桜 gongendotutumi-sakura

  由緒略記 
埼玉県北埼玉郡鷲宮町鷲宮鎮座  武蔵野国 鷲宮神社
当社は出雲族の草創に係わる関東最古の大社として今昔より鷲宮大明神・浮島大明神または大酉元祖とも称し州群所々に多数の分祀あり

太刀 (国指定重要有形文化財)  作: 備中住人 吉次
寄進: 下野小山城主 小山義政

土師一流催馬楽神楽 (国指定重要無形民俗文化財)
現在、神楽保存会が伝承している鷲宮催馬楽神楽は、その重要性が認められ、
昭和51年(1976)に第一回目の国の重要無形民俗文化財に指定されました。

鷲宮催馬楽神楽とは鷲宮神社に奉納される鷲宮催馬楽神楽は、正式名称を「土師一流催馬楽神楽」といい、平安時代の歌謡の一種である催馬楽が謡われるという特徴があります。
一曲一座形式の神楽で、曲目は基本となる12座に3座を加えて、全部で15座あります。二人以上で舞う連れ舞が多く、四方固めや三度(3歩ずつ歩く)などといった宗教色の濃い動作が含まれ、古い祭りの儀式や作法をしのばせる神楽です。
関東神楽の源流とされる鷲宮催馬楽神楽鷲宮催馬楽神楽は、仮面をつけた舞と素面で採物を持った舞で構成される出雲流神楽に分類されます。
神の依代となる採物を使うこの神楽は、関東各地に広まり、江戸の里神楽にも影響を与えました。このため、鷲宮催馬楽神楽は関東神楽の源流であるとされています。

鷲宮催馬楽神楽の歴史
鷲宮催馬楽神楽の歴史は関東で最もも古く、鎌倉幕府の歴史書である「吾妻鏡」に記されています。
現在に伝わる神楽は、鷲宮神社の大宮司藤原(大内)国久により、享保11年(1726)までに再編され、12座になったものが基本となっています。

  鷲宮神社
鷲宮神社は関東最古の大社といわれ、鎌倉幕府以降、各時代の権力者から崇敬を集めてきました。江戸時代には徳川家康から400石という、寺社としては破格の社領を寄進されています。(400石は武蔵一宮氷川神社をも凌ぐ関東最大級の寺社領です)

鷲宮町立郷土資料館 (久喜市立郷土資料館) 
久喜市の魅力→歴史・文化→郷土資料館
久喜市鷲宮5-33-1  Tel: 0480-57-1200
開館時間: 10.00〜18.00
利用料: 無料
休日: 月曜日 休日の翌日 年末年始 毎月最終金曜日

鷲宮神社
久喜市鷲宮1-6-1  Tel: 0480-58-0438
拝観: 終日 無料

ラキ★スタ関連情報
久喜市鷲宮商工会

久喜市鷲宮4-8-8  Tel: 0480-58-1202

  鷲宮神社の神輿
関東最古の鷲宮神社に伝わる本社神輿は、江戸寛政年間(1789)に造られたものです。台座は縦横とも約1.4m、重さが約3tあり、俗に(千貫神輿」とも呼ばれ、県内では最大のものといわれています。
神輿は例年夏祭り初日の7月13日に渡御していましたが、一回に180人、交代要員を入れると500人以上の担ぎ手が必要なため、大正2年(1913)には車に乗せて引くようになりました。
それ以降「人が担ごう」という話は何度となくありましたが、余の重さと担ぎ手不足からついに実現しませんでした。しかし、昭和58年地元有志により祭輿会が組織され70年ぶりに見事復活しました。
今では担ぎ手も関東1円から集まるようになり、毎年9月の第一日曜日には勇壮な一大ページェントがくりひろげられます。

八幡太郎 源義家「駒つなぎのさくらと」源頼朝「御手植えのもっこく」 
治承4年(1180)12月10日とあり、富士川の戦い後、関東平定に重点を移した時期になるのでしょうか?神社の言い伝えによれば関東武士の信仰厚くとあり、考えられないこともない。

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拝殿

神楽の説明書

朱塗鳥居

本殿

千貫神輿

神楽殿 

源義家  何代目?

源頼朝  切り株

鹿島神社

諏訪大神宮

八坂神社

明神神社

粟島神社

神崎神社

姫宮神社

みひかりの池 龍神が住む

久伊豆神社

神社入り口の大酉茶屋

茶屋の休み処

茶屋の書き込み板

商工会もノリノリ

駐車場は30台

片側渋滞

イケイケ ドンドン ペイント車両

正月も6日なのに賑わっています

饅頭

参拝記念

青銅製の灯篭

その台座

コスモスロード

コスモスロード案内板

休み処 数多く設置されている

蕾も多く花期が長い

コスモスの花色 六種

中央背景は久喜市鷲宮支所