温泉地名: 温海温泉
源泉名: 温海5号 6号 7号源泉 混合
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉
     pH 7.3 陽イオン856mg/kg  陰イオン1419mg/kg
源泉温度: 63.5℃
効能: 切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復
入浴時間: 11.00~16.00 要問合せ 旅館「たちばなや」
入浴料: 1000円 フェイスタオル付 バスタオル貸与
あつみ温泉 たちばなや
山形県鶴岡市湯温海丁3    Tel 0235-43-2211

県境付近の夕陽

羽越線 特急いなほ

あつみ温泉駅

河岸に立つ与謝野晶子歌碑

共同浴場 正面の湯
他に 下の湯 里の湯あり

同じ源泉の足湯 もっけ湯
他に 道中にもっしぇ湯 あんべ湯あり

入浴料 フェイスタオル付 1000円 
バスタオルは貸与

旅館「たちばなや」からの
タオルのサービス

温海川沿いの桜並木

高級感をかもし出す外観

内湯 広々とした浴槽

隣接も東屋風露天風呂
雪除けと目隠し

会津蘆名家断絶の地の菩提寺
萬松山 天寧寺

準?新幹線「こまち」  

境内にある祈念墓碑

葉桜の武家屋敷通り 二枚

今年(2009)に枯れた?大藤の棚
残念ですね

邸内の蔵

展示写真
外国人用のプロマイド?

桧木内川の天然記念物 堤さくら 

角館駅 壁さくらがお出迎え

レンタルサイクル赤号2008

青柳家 薬医門と黒塀み越しのさくら

正面玄関と破風

エジソン電気の蓄音機 円筒板

ベートーベン ヴァイオリン協奏曲作品61
ヴァイオリン:J・シゲティ B・ワルター指揮ニューヨーク フィルハモーニックオーケストラ

モーツァルト アイネ クライネ マハトムジーク
H.V.カラヤン ヴィエナ(ウィーン)フィルハーモニック オーケストラ

武具 武装の展示品

女の子のひな祭り

角館歴史村・青柳家

秋田県角館市束勝楽丁26
Tel 0187-54-3257

無休  9.00~17.00 
冬季 11月~3月 9.00~16.00

内湯 (山王閣ホームページより

岩造りの露天風呂

吉田屋 山王閣外観

館内展示の分析書

明治30年の泉質及び効能書

源泉名: 山代温泉(新1号源泉)
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉
     低張性・弱アルカリ高温線
     pH7.8 陽イオン417mg/kg 陰イオン855mg/kg
源泉温度: 64.3℃
湧出量: 660ℓ/min
利用料: 大人1500円 小人750円 共にタオル付 (要問合せ)
効能: 
切り傷 やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 動脈硬化症
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ 
    慢性消化器病・痔疾冷え性・疲労回復

館内の温泉分析書には湧出量として、660ℓ/minとあるが、ホームページには一日10万ℓとなっている。機械揚湯なので使用量と、湧出量は同等となると思うのですが、66.0/minの見間違いか?。同時にホームページには、山代最多の湧出量と記載されているのでこれからも?。記載の湯量は可能最大揚湯という事なのかとも思う。ともあれ、山代温泉の第1位源泉であることは間違いの無いことらしい。駅から加賀温泉郷の中では近く、バスの便もあり、利用しやすい温泉です。
上から三番目の温泉分析検定書は、100年以上前の明治30年のものです。
内容は次の通り。
泉温: 60摂氏・・・・計測周囲温度華氏15.5度との記載がある。
計測周囲温度華氏15度は摂氏換算で-9.16度で低い環境で測ったことになる?。
計測時に単位の異なる物差しを使うのだろうか?。

記載内容
常温華氏十五度半ニ於イテ摂氏六十度ヲ保チ1千立方センチメートル中ニ
1.704000互羅(グラム)の固形分ヲ含有シ左ノ成分ヨリ成ル
硫酸加両 (硫酸カルシウム)・・・・・0.713(713mg)
格魯児加留 (塩化カリウム)・・・・・0.605(605mg)
硫酸加留 (硫酸カリウム)・・・・・0.236(236mg)
格魯児那篤 (塩化ナトリウム)・・・・・0.016(16mg)
格魯児麻屈 (塩化マグネシウム)・・・・・0.008(8mg)
鉄及苦土 (鉄・マグネシウム)・・・・・0.019(19mg)
珪酸・・・・・0.059(59mg)
硫酸・・・・・少量
炭酸・・・・・少量
燐酸・・・・・痕跡
硫化水素・・・・・0.005(5mg)
右ノ分析成績ハ第4高等学校医学部ニ於イテ為シ源泉検査ハ
薬学得士堀大次郎ノ為スモノナリ以上試験成績ニ与レバ本泉ハ塩類泉ナリ

山代温泉 吉田屋 山王閣
石川県加賀市山代温泉13-1   Tel 0761-77-1001

名湯瑠璃光源泉使用書

加賀温泉駅

本郷の赤門を模している?鼓門

北陸本泉「しらさぎ」

北越急行線「はくたか」

金沢城 三十間長屋 重要文化財

尾山神社 神門

有形文化財 尾山神社東神門
旧金沢城二の丸門

復元された左橋爪門続櫓 中央五十間長屋 右菱櫓 と横角度からの櫓群

祭神 赤母衣衆姿の前田利家銅像

本殿

石川門渡櫓門

石川門の右側切り込みハギ

石川門の左側打ち込みハギ

石川橋から石川門と脇櫓 重要文化財

大手門址の石垣

兼六園 ことじ灯篭

唐崎松

内橋亭

日暮橋

レトロなボンネットバス

温泉名: 八戸温泉
源泉名: 尻内温泉源泉
泉質: ナトリウムー塩化物泉  高張性 中性 高温泉
    pH6.94 陽イオン6804㎎/kg  陰イオン7842㎎/kg

源泉温度: 51.2℃
湧出量: 160ℓ/min
効能: やけど 切り傷 皮膚病 慢性消化器病 慢性婦人病 
     リウマチ 関節痛神経痛 五十肩 運動麻痺等
利用料: 大人 390円  小学生 150  乳幼児 60円
定休日: 無休
営業時間: 5.00~22.00

天然温泉公衆浴場 はちのへ温泉
青森県八戸市尻内町島田17-5  Tel: 0178-27-3337 

左表: 五段階評価
源泉4 泉質5 引湯5 給排湯方式5 加水4 新湯注入量4

八戸温泉と右側に八戸温泉旅館

温泉利用証  
日本天然温泉審査機構

浴槽は広く並んで二つあり、どちらかが高めの設定温度になっていますので、確かめてはいってね。休憩処といえるものはなくロビーにイスと、簡単な食事できる食堂が有る。まさに銭湯といえますが、温泉と言うのはありがたいし、聴くところによると八戸の銭湯は大部分が温泉らしい。羨ましい限りと思いきや、泉質が強食塩泉で浸透圧が強い、高血圧気味の私としては考えものです。青森発の五能線経由秋田行きの時間調整を利用しての温泉で、ゆっくりもしていられず一時間足らずで後にした。

八食センター

合同庁舎前で八食センター行きの100円バスに乗り訪れたのが八食センター。
ここも長居は出来ないので、急ぎ魚介類を買い求め発送手続きを終え後にした。

千畳敷き

青森駅の駅弁

その中身

車内設置の多目的コーナー

好きだからといって前に居ると
お姉さまぁ~

このように沢山の人が観えるのです
列車内で津軽三味線と唄のサービス

長い私の足でも?ゆとりの席

乗車した「橅」

すれ違いの「青池」その他に「くまげら」

青森港と旧青函連絡船「八甲田丸」
JNRのロゴが「今も現役だよ」

一面の雪野原

JR北海道の「スーパー白鳥」

JR東日本の「白鳥」と「橅」

青森駅前 静まり返って寂しそう

青森ベイブリッジ

温泉名: ホテル国富翠泉閣温泉
源泉名: ホテル国富源泉
泉質: ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉  
    低張性中性高温温泉
    pH 6.44 陽イオン291mg/kg  陰イオン636.6mg/kg
源泉温度: 47.6℃  
湧出量: 1520ℓ/min  
湧出形態: 不明
注入排出形態: かけ流し
効能: きりきず やけど 虚弱体質 慢性皮膚病 慢性婦人病等
    神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 うちみ ねんざ 
    慢性消化器病 痔疾 冷え性 疲労回復
日帰り時間: 14.00~20.00 (要確認)
利用料: 大人 1000円  小学生 700円  幼児 500円

ホテル国富翠泉閣
新潟県糸魚川市大所885ー1  Tel: 025-557-2000

姫川温泉の中にあって姫川の左岸側でだだひとつの新潟県温泉旅館。だだし、源泉湧出地は長野県側にあるという。周りがなんとなく寂れた感じのある中で、近代的なひときわ目立つホテル。浴槽も内湯は広く気持ちが良いし、露天風呂も岩風呂で趣があるが、狭い感じ。ホテルの温泉案内板には泉温65.5℃と高いし、加水もするとある湧出量1500ℓ毎分とありますが、使用量は1/4~1/5以下と思います。熱交換器のような装置はありそうも無く、加水を含めるとかけ流しといっても200ℓもあれば十分のような気がしています。1500ℓを65.5℃でかけ流ししていたら、人間は入れませんよね。

内風呂

青みがかった色の露天風呂

ホテル外観

温泉案内板

平岩駅(無人駅)

除雪車両

レールも撤去のプラットホーム
一日10本余のダイヤでは無理もなし

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温泉名: 四万温泉たむらの湯
源泉名: たむらの森混合源泉 (その他岩根の湯等)
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉 
    低張性・中性 高温泉
    pH 6.67 陽イオン844.48mg/kg 陰イオン1420.6mg/kg
源泉温度: 76.1℃
湧出量: 1600ℓ/min  湧出形態: 自然湧出 引湯
注入排出形態: かけ流し 加温無 加水有 消毒有
効能: 切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症
    慢性消化器病 
    神経痛筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ
    痔疾・冷え性・疲労回復

利用料: 1680円  姉妹館 四万たむら入浴可能
利用時間: 10.00~15.00

四万温泉 四万グランドホテル
群馬県吾妻郡中之条町四万4180  Tel: 0279-64-2211


四万温泉 四万たむら
群馬県吾妻郡中之条町四万4180  Tel: 0279-64-2111


仲間8人と恒例の一泊温泉旅行です。移動距離と時間的ゆとりがほしい還暦者たちにとってこの上も無い行程で幹事は偉い!で、到着しました。
玄関先には大型バス2台の先着でフロントロビーは大変な賑わいです。喧騒過ぎ終わってやれやれのお部屋案内で、早速浴衣に着替える。姉妹館にも入浴できるとのことで、とりあえず向かうことにしました。
姉さんの方はエレガンスでハイクラス、こいさんはやんちゃでリーズナブル。どちらにしても両方味わえられることは何よりも嬉しい事で。ホテル前から急な坂道になっていて、蟻の行列のごとく連なっていた。人間考える事はみな一緒です。
浴衣が手形代わりとのことで無事レトロな帳場の関を通過出来ました。館内には五箇所の浴室と八箇所の浴槽があるそうですが、とてもとても完全制覇など時間的にも体力的にも出来る物ではありません。とりあえず、入って真っ直ぐ先の「甍の湯」に草鞋の紐をときました。
外から見える浴槽横の注入口からは湯が全く注がれておらず、浴槽内底部より注がれていました。
私は一瞬これってよくあるパターンの循環ろ過?と思ってしまいました。かけ流しなら横でも中央でも見えるところからの注湯の方が雰囲気があって嬉しい。加水してから適温で浴槽に注湯されているとのことで、大丈夫でしょうが、源泉80℃では火傷で大騒ぎになりますね。浴室によって温泉の匂いが少し変わっていました。源泉から引湯してから浴室ごとに目的泉質になるよう配湯されているのかも。ちなみに、こいさんの湯(同じ源泉)の匂いはほとんどしませんですですよ。
80℃以上の源泉を入浴適温の42℃にするには15~20℃の冷水が約1.5倍必要で、1600リットルが4000リットルになり、一時間でドラム缶1200杯の注湯量はすごいです。もちろんその分成分析書からですと、浴槽内成分は単純温泉になりますかね。ともあれ広くて大きい浴槽は大変気持ちのよいものです。後二箇所の浴室を訪ね姉さんの湯を後にしました。
下りの道半ばの朱塗りの橋の向こう側にあの有名な積善館本館がありました。TVでも取り上げられて承知の事ですが、文化財浴槽が完全かけ流しです。熱交換器で泉温を下げているので源泉そのまんま。日帰り入浴できますとの看板有又の機会に是非とも思う。

利用料: 大人 1000円  小人(12歳以下) 700円 
利用時間: 10.00~17.00   (4時間以上 大人1800円 小人1300円)


四万温泉 旅館 積善館
  
参照: 温泉と観光→温泉その3→四万温泉積善館
群馬県吾妻郡中之条町四万温泉  Tel: 0279-64-2101

私の素人考えですが、加水と加温とを比較した時、泉質(二酸化炭素泉等)や熱量にも因りますが、断然加温の方が判りやすい気がします。特に浴槽清掃後の注湯などはかなりの割合で加水しなければなりません。
結果成分分析書と浴槽の値は異なった数値となります。その後熱い源泉を浴槽保温程度に注がれていても源泉かけ流しとも思いません。但し、成分表の数値が高い方が良いといっているのではありませんし、単純温泉にも、冷鉱泉にも良いと言われている湯がたくさんあります。

外観

1600リットル 82度 源泉案内

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温泉名:桜山温泉
源泉名: 宇塩の湯
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物・炭酸水素塩泉
    低張性 中性冷鉱泉
    pH6.71 陽イオン1191mg/kg 陰イオン2493mg/kg
    メタほう酸5mg≦63mg
源泉温度: 不明
湧出量: 不明  湧出形態: 不明  
注入排出形態: 加水有 加温有 消毒有 循環ろ過有
効能: 切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ
    慢性消化器病・痔疾冷え性・疲労回復
利用料: 大人 600円/3H  小人 400円/3H  
65歳以上 500円/3H
1200円/1日   800円/1日    1000円/1日
利用時間: 10.00から22.00
休日: 毎月第三水曜日 (祭日の場合は翌日の平日)

桜山温泉センター 
(観光協会→藤岡オススメスポット→温泉→桜山温泉センター
藤岡市浄法寺456-5  0274-52-6226

藤岡市観光協会
藤岡市中栗須327  Tel: 6274-22-1211



三波石 亀姿石

尾根筋は開花が遅い

薄紅霞

庭園の若木

正面外観

温泉分析書

木組みを魅せる屋根

中入りの東屋

枝垂桜とつつじ

楓のじゅうたん

さざんか

さざんか

楓と三波石

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うのせ温泉 
minakami unoseonsen-ryokan・miyama

温泉名: うのせ温泉
源泉名: 湯檜曽温泉 厚生省の湯
泉質: 単純温泉(ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉)
    弱アルカリ性 低張性高温泉
    pH8.2  陽イオン 115mg/g  陰イオン 213mg/kg

源泉温度: 45.6℃

湧出量: 不明
湧出形態: 不明
注入排出形態: 源泉掛け流し(露天風呂)他循環掛け流し

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 
    関節のこわばり うちみ くじき 慢性胃腸病 痔疾 
    冷え性 疲労回復

やすらぎの宿 旅館みやま
群馬県利根郡水上町大字大穴737  Tel: 0278-72-2018 

R291水上駅付近から谷川方面へ約3kmの左側。駐車場で柴犬が出迎える。沼田の庄屋家屋を移築して内装にふんだんに使っていると言う。湯はかけ流しで特徴がなく、言い換えれば優しい温泉湯とも言える。浴槽は10人ほど入れる内湯とドアを隔てた露天風呂で、此処は5人程度は入れる。そのほかに5~6人位の内湯浴槽が一ヶ所。露天風呂が一ヶ所のために男湯と女湯を時間により交代する。
源泉温度と浴槽注入温度に温度差(1.3℃)が余ないので自家源泉と思われるが、源泉名が遠く離れた(3km以上)湯檜曽温泉となっているのは何故かな?部屋数からいって十分な浴槽で、シーズンを除外すると満室となる事はないと思う。当日桜満開の4月中旬の客は私たちだけでした。
みやまさんはお風呂より増して料理が美味しかった。味音痴の私が言うとお叱りを受けること必定でしょうが、出された料理をすぐさま口に運ぶ歯ごたえ、舌触りは美味しさに倍する感覚。1分置いたら美味しさ半減でしたでしょう。写真には食前酒、お刺身が抜けています。最低クラスの料金ですので上は知るべしかな。
特別に聞きはしなかったのですが、家族的な旅館で日帰り立ち寄り湯の受け入れは無さそうに思う。問い合わせてから訪問するほうが良いでしょう。泉質からは一般的温泉効能です

HPより外観

温泉成分分析書

内湯

露天風呂

エレベーターホール

七福神




四万温泉河原の湯 simaonsen・kawaranoyu

温泉名: 四万温泉河原の湯
源泉名:
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉
    中性 低張性高温泉
    pH 6.6  陽イオン 545.23mg/kg  陰イオン991.54mg/kg
源泉温度53.7℃
湧出量: 不明  湧出形態: 自然湧出  注入排出形態: かけ流し
効能: きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病
    神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり 
    冷え性 痔疾 疲労回復 健康増進

利用料: 無料(気持ちを置く)  
利用時間: 9.00~15.00  休日: 無休
群馬県吾妻郡中之条町四万温泉  Tel: 0279-64-2321

四万川と支流が合流するYのつけ根、支流に架かる橋を渡って階段を下りる。橋の手前に駐車場があるが5台ぐらいで少なく、30m位川下に止める。モルタル壁に河原の石をはめ込んだ外観で、アイドル歌手の言葉を借りれば、迷うなぁ~ レトロなの? アートなの? どっちのタイプよ
先客はいなく、消灯されていた為にドアを開けると暗く、スイッチを探す。浴場は蒸し風呂状態で湯温も熱め。注入湯量と源泉温度からみて熱交換装置がなければ加水しているのではないでしょうか?他の四万源泉に比べて塩味が濃く感じました。入り口右手に木箱が置いてあり温泉維持のお志をお願いとあります。

河原の湯 浴場の屋根?の案内板

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橋から見る浴場外観

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浅虫温泉 asanusionsen  asamusikankohotel akitaya

浅虫観光ホテル

参照: 旅行見聞録→温泉と観光→温泉その3→浅虫温泉その2

温泉名: 浅虫温泉
源泉名: 浅虫温泉混合配湯泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉
    低張性 弱アルカリ性高温泉
    pH 8.45  陽イオン 312.8㎎/㎏  陰イオン 644.3㎎/㎏ 
    成分総計1027㎎/㎏

源泉温度: 59.8℃
湧出量: 不明 湧出形態: 掘削 動力揚湯
注入排出形態: 引湯 加温 循環ろ過消毒 かけ流し

効能: 
きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病
    神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 
    関節のこわばり 冷え性 痔疾 疲労回復 健康増進
利用料: 1000円or麻蒸湯札(3ヶ所湯めぐり券1500円)1枚
利用時間: 11.00~15.00
休日: 無休

秋田屋
青森県青森市大字浅虫字蛍谷293-12  Tel: 017-752-3239

玄関外観

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中房温泉 有明温泉有明荘 nakabusaonsen & ariakeso

古事記の湯注湯口

薬師の湯注湯口

古事記の湯露天浴槽(あつめの湯)

薬師の湯露天浴槽 (ぬるめの湯)

温泉名: 中房温泉湯原の湯
源泉名: 中房温泉 古事記の湯
泉質: 単純硫黄泉  低張性 アルカリ性 高温泉
    pH 8.8  陽イオン 110.0㎎/㎏  陰イオン 195.5㎎/㎏  
    成分総計 463.6㎎/㎏  メタケイ酸 153.6㎎/㎏
源泉温度: 74.7℃
湧出量: 220ℓ/min  湧出形態: 自然湧出
注入排出形態: 源泉かけ流し (水冷・空冷による注入温度調整)
効能: 切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症
    高血圧症・慢性消化器病
 
    神経痛筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ
    痔疾・冷え性・疲労回復

温泉名: 中房温泉湯原の湯
源泉名: 中房温泉 薬師の湯
泉質: 単純硫黄泉  低張性 アルカリ性 高温泉
    pH 8.6  陽イオン146.2㎎/㎏  陰イオン 248.8㎎/㎏
    成分総計 618.2㎎/㎏  メタケイ酸: 214.6㎎/㎏
源泉温度: 94.6℃
湧出量: 32.8ℓ/min  湧出形態: 自然湧出
注入排出形態: 源泉かけ流し (水冷・空冷による注入温度調整)
効能: 切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症・
    高血圧症慢性消化器病
 
    神経痛筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・痔疾
    冷え性・疲労回復

利用料: 700円
利用時間: 9.30~16.00
休日: 無休(問い合わせ)

中房温泉
長野県安曇野市穂高有明7226  Tel: 0263-77-1488

砂風呂?

鍵付ロッカー

温泉成分分析書

洗い場

温泉温度調整場?

中房温泉

有明温泉 国民宿舎有明荘

温泉名: 有明温泉
源泉名: 有明厚生温泉源泉
泉質: 単純硫黄泉
    低張性 アルカリ性 高温泉
    pH 8.79 陽イオン96.43㎎/㎏ 陰イオン190.01㎎/㎏
    成分総計 439.8㎎/㎏   メタケイ酸 153.3㎎/㎏
源泉温度: 71.6℃
湧出量不明  湧出形態:自然湧出  
注入排出形態:加水 かけ流し

効能: 切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症
    高血圧症・慢性消化器病
 
    神経痛筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・痔疾
    冷え性・疲労回復
利用料: 大人 600円  小人 300円 
利用時間: 10.00~17.00
休日: 無休(問い合わせ)

燕岳燕山荘・有明温泉有明荘
長野県安曇野市中房国有林内  Tel: 090-2321-9991 

内湯浴槽

露天浴槽

オンシーズンには流れ落ちる樋?

脱衣場

露天風呂注湯樋

内湯注湯口

有明荘玄関

温泉成分分析書

有明荘外観

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温泉名: 湯田川温泉 正面湯
源泉名: 湯田川1号源泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩泉  
    低張性 弱アルカリ性 高温泉
    pH8.4 陽イオン405.2㎎/㎏ 陰イオン828.9㎎/㎏  
     成分総計 1287.2㎎/㎏
源泉温度: 42.6℃
湧出量:湯田川源泉 1000ℓ/min  湧出形態:自然湧出
注入排出形態:源泉かけ流し
効能: 
きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病 動脈硬化症
    神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり 
    冷え性 痔疾 疲労回復 健康増進
利用料: 200円
利用時間:8.00~9.00  11.00~19.00
休日:無休 
(月~土曜日 9.00~11.00  
日曜日 9.00~10.00 は清掃のため入浴は不可)

湯田川温泉観光協会
山形県鶴岡市湯田川温泉  Tel: 0235-35-4111 

斜め向かいにある船見商店で入浴券を200円で購入、店の方に浴場のドアを開けてもらった。船見商店は手広く商売をしているのか、ライトバンに商品を積み込むのに忙しそうで(たぶん仕出し食品の配達ではと思われた)対応が後になったが感じの良いおかみさんであった。

新湯投入率抜群の浴槽

温泉分析書

新湯投入率の比較表(山形県内温泉) 浴槽面積に対する供給量となっているが、表の読み方が難解左側数値はおそらく単位が無いので倍数であろうか。浴槽の単位を面積としてあるのは投入率を導入する時の基準として浴槽深さを一定としているのでしょう。そこのところが素人には解りずらい所である。
浴槽の大きさ(浴槽容積)はそれぞれの施設により違うので、同じ量の新湯を注入したとしても浴槽が小さくなるほど投入率は高くなるのは当たり前のことで、利用人数が多い人気温泉地では低くなることもまた当たり前でしょう。新鮮な源泉温水が多量に供給される浴槽は大変ありがたい事ではある。
表の見方としては浴槽面積(深さは基準値)当たり8倍(8杯分の体積)の新湯が4時間の間に供給されている認識を得たが(空浴槽が満たされるまで30分)正解かどうかは表の見方と同じく解らない。

温泉名: 湯田川温泉
源泉名: 湯田川い1号源泉
湧出量: 1000ℓ/min (湯田川1号源泉)
湧出形態: 自然湧出
注入排出形態:源泉かけ流し
利用料: 400円
利用時間: 問い合わせ
休日: 無休 (問い合わせ)

湯田川温泉 隼人旅館
山形県鶴岡市湯田川乙56  Tel: 0235-35-3355 

隼人旅館

排湯桝 もったいないほどの量

源泉かけ流し

小さ目の浴槽

新徴組資料の館内展示


  新徴組本部跡
庄内藩が江戸府内取締りの際、文久三年(1863)庄内藩配下となった浪士組織。新徴組の組士百三十六名とその家族三百十一名が慶応四年(1868)三月、庄内に移住してきたので、藩では湯田川温泉の宿屋と民家三十七軒に分宿させ、約二年の間居住した。この隼人(はやと)旅館は組役所(新徴組本部)で、鶴岡城から係の役人が出張してその監督にあたっていた。その後、明治三年(1870)庄内藩では新徴組のために鶴岡城下大宝寺地内に百棟の住宅を建て新徴組屋敷と称し、一同を住居させることになった。新徴組組士は戊辰戦争に従軍して勇戦奮闘したり、また明治五年創業の旧藩士三千人による松ヶ岡開墾には六十五名が参加したが次々と離脱して、現在では組士の末裔三戸が残っている。なおこの開墾地に新徴組屋敷三十余棟が開墾の組小屋として移築され、現在その中の一棟が復元保存されている。またこの湯田川長福寺の裏山にはここで死亡した組士とその家族二十名が眠る墓がある。
             案内説明より

新徴組縁の宿

鶴岡市内

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日枝神社

弁天池と弁天橋

境内社 弁天社

弁天島にある芭蕉句碑
珍しや 山をいで羽の 初茄子び

西鳥居

正面鳥居

鳥居神額

手水舎

拝殿

拝殿神額

向拝屋根

蟇股 使者の神猿

本殿

境内社 復鎮霊社

境内社 古峯神社

鶴岡市観光連盟 鶴岡市馬場町9-2 5Tel: 0235-25-2111

旧致道館    致道博物館    加茂水族館    鶴岡城公園  


酒井家庭園
    庚申堂   松尾芭蕉足跡    鼠ヶ関

復鎮神社扁額 

致道博物館  鶴岡市家中『新町10-18 0235--22-1190  
開館時間 9.00~17.00 12月~2月 9.00~16.30
入館料 700円  休館日 12月~2月の水曜日 12月29日~1月4日

旧西田川郡役所

正面二階バルコニー

人力車 箱型雪上そり

竪穴式住居 竪穴発掘再現レプリカ

夫婦松? 赤松

旧西田川郡役所 (国指定重要文化財)

創建: 明治十四年五月
重要文化財指定: 昭和四十四年十二月十八日
形式: 木造二階建 両翼一階建 玄関突出 中央塔屋根・時計台付 
    桟瓦葺
棟高: 20m  建築面積: 264.99㎡

明治十三年(1880)六月に鶴岡市の大工棟梁・高橋兼吉、石井竹次郎が、初代山形県令・三島通庸の命によって着工し、翌十四年五月に完成した建物である。同年秋、明治天皇東北巡行の折には行在所(御宿舎)にあてられた。創建当初は市内馬場町(現鶴岡消防署)に南向きに威容を誇っていたが、永く保存するため、昭和四十七年現在地に移築復元したものである。(当初は付属建物として議事堂、用務員室があった)
この建物は明治開花期に外国の影響を受けた疑似洋風建築で、外観は簡素ながら均整のとれた意匠をしている。上げ下げガラス窓、玄関柱は柱脚台と頸巻繰形でバランスをとり、軒先廻りの化粧陸棰などはルネッサンス風で、また二階の吊り階段は鹿鳴館時代を偲ぶことができる興味深いものである。

         案内説明より

北前舟 奉納絵馬

北前舟の模型

修復必要かも

民具の蔵

  民具の蔵
この建物は御隠殿に付属して、江戸時代末に建てられた桁行十間、梁間三間の二階建土蔵造りの建物である。当初は藩主の武具、調度品類が収納されていたが、昭和二十五年博物館設立後は、「民具の蔵」と称して、庄内地方の民俗資料を保存展示している。
現在は一階に商業資料ならびに日本海海運業資料、二階には瓦人形や竹塗り、黒柿細工など、鶴岡の伝統的手職資料を展示している。

  庄内藩と海運
庄内地方は古来から有数の米産地で、庄内藩の経済の基礎は米にありました。したがって藩は代々農政に力を注ぎ、また米の流通に大きな関心を払い、その組織機構の改善に努力しました。寛文元年(1661)には米札の発行によってほかの地方への移出も増大しました。
藩の年貢米の内、家臣に支給される以外の約五万俵は藩主の生活や藩運営にあてるため、大部分は酒田蔵、加茂蔵から船積みされて上方に輸送売却されました。当初日本海沿岸の港から運ばれる物資は主に敦賀、小浜を中継とする琵琶湖経由で大津に入り、ここから陸路で大坂に送るか、桑名からさらに江戸へ船積みで送るという方法がとられていました。
寛文十二年(1672)幕府の命により河村瑞賢が幕府の御城米(天領米)の廻米制度の改革にあたり、海路運送体制の改良整備に務めました。当時羽前地方の天領米は寒河江、谷地、庄内、由利を加えて十五万石に達していましたが、瑞賢は最上川河口に米置き場をつくり、ついで最上川上流の船着き場に御城米の積み出し所を設けました。
航路の確立にともない同年寛文十二年五月初めに酒田港を出港した御城米輸送船は、三千九百石の御城米を積み日本海を南下し、下関から瀬戸内海を経て紀州沖を通り江戸に入る距離は、八百里(約千八百海里 3150㎞)の長航海で、二ヵ月かけて七月初め江戸に到着しました。この航路は西廻りといわれた航路です。そして、北海道まで及びました。
その他に東廻り航路も開かれ、日本海沿岸から津軽海峡を抜け三陸沖を通り安房沖から江戸にはいりました。また一部は利根川を遡り中継地を経て江戸川を下る航路も見られました。十七世紀末には全国的な海運網が出来上り、大坂・江戸の二大中央市場を中心とする商品輸送量は急速に増大しました。
西廻り航路の開発によって庄内藩でも領米を大坂に直送し大きな利益を上げましたが、内陸地方の諸藩もこれに倣い、最上川の水運を利用して港に送り取引するようになりました。江戸中期には酒田港に出入りする船は最上川の舟運も合せて春から秋まで二千五百~三千隻に達し大変な賑わいであったといわれています。
当時の積荷として播磨の塩、大坂・伊勢の木綿、出雲の鉄石、美濃の茶・陶器、北方の木材・塩干魚・海藻などがあり、また最上・置賜方面からも米、大豆、紅花、漆、蝋などが送られましたが、輸送量の大きなものは何といっても米でした。また、綿や古手(古着)などを運ぶ船には船足を安定させるため重い石材、瀬戸物などを積み込み、それらも商品として流通しました。さらに文化文政期には北海道の米需要が増し見返り商品としての海産物が多量に移入されるようになり、港は一層活況を呈し酒田、加茂などの港には船問屋が並び盛んな取引が行われました。

  北前船
江戸中期から明治中期にかけて、西廻り航路で就航した廻船のことを「北前船」と呼んでいました。北前船には、「弁財舟」と呼ばれる貨物船が使われました。船名の由来はよくわかっていませんが、櫂や櫓を使わずに一枚の巨大な帆を利用して帆走する和船で、中世末(室町末期)に瀬戸内海地方で発達したものです。
江戸中期まで使用されていた北国船や羽賀瀬船よりも船体が堅牢で積載量も多く帆走性も優れていました。北前船は生産地から消費地への米の輸送と共に、西国で木綿や陶磁器・石材を仕入れて北国で売り、北国からは昆布や鰊、魚肥などを買い入れて西国で売ることが多くなりました。船主が荷主を兼ねた買い積みで、当時、地方によって商品価格に大きな差があるため、北前船は商船として大きな利益を得ることができました。明治中期になると鉄道の普及で急速に衰退し、北前船の渡航は見られなくなってきました。

  奉納船絵馬
絵馬は祈願と報謝のために神社やお寺に奉納する板絵のことで、元来、神馬献上に由来し、馬を描いたものでしたが、やがて他様々な画題を描いて奉納することになりました。主に「千石船」と呼ぶ大型の帆前船の図を描いた絵馬を「船絵馬」といい、船主や水夫たちが乗船の際に、航海前の安全を祈願し、あるいは無事帰国した際の報謝のために神社仏閣に奉納したものです。
持ち船の名前を入れたり、背後に寄港地の風景を描いたものもありました。酒田や加茂、鼠ヶ関などの北前船の寄港の神社をはじめ庄内地方にも多くの船絵馬が奉納されています。絵馬師が描いた大型絵馬も多く、当時の北前船の姿を偲ぶことができます。酒田市の白鳥神社には難破船を描いたものや船頭の髪の毛を奉納したものもあり、九死に一生を得たことを御神前に報謝したものとも云われています。

               案内説明より

  重要有形民俗文化財収蔵庫
この建物は國・謙・市の助成と多くの方々のご支援によって建てられた民俗文化財を保存する施設である。重要有形民俗文化財とは、わが国の生活文化の特質を示す民俗資料のうち特に重要なものを保存・保護するために国が指定したもので、庄内地方では当館所蔵の下記の八件が指定されている。これらは当地方の生活文化の推移や地方的特色を考える上で貴重なものである。

庄内地方の「ばんどり」コレクション・・・・・・116点
庄内地方の「木製酒器」コレクション・・・・・・・77点
庄内地方の「仕事着」コレクション・・・・・・126点
鶴岡の「大宝寺焼き」コレクション・・・・・・234点
庄内山村の「くりもの」コレクション・・・・・・250点
庄内浜及び飛島の漁労用具・・・・・・1937点
最上川水系の漁労用具・・・・・・810点
庄内の米作り用具・・・・・・1800点

  旧渋谷家住宅(田麦俣多層民家)  国指定重要文化財
創建 文政五年(1822)  文化財指定日 昭和四十四年十二月十八日  一重三階寄棟造・茅葺  
桁行 八間半(15.4m)  梁間 六間(10.9m)

東田川郡朝日村田麦俣は、湯殿山麓の村落で、全国でも有数の豪雪地帯である。江戸時代には出羽三山参詣のための道者宿をしたり、強力や馬子を勤めて生活していたが、明治維新後、宗教集落的性格を失い、わずかの田畑を耕し、養蚕と炭焼きを生業とするようになった。
この地方の代表的な当建物は、そのため創建当初の寄棟造りの破風窓のある妻の部分を切り取り、養蚕場として十分な採光・通風の窓(高はっぽう)としたので、現在のような美しい輪郭と反りをもった「兜造り」という独特な外観の民家が出来上がった。
この民家は部屋の天井を高くし、高窓を設けるなど雪国らしい手法が見られ、構造は上屋柱と下屋柱からなり、小屋はさす組、軒はせがい造りである。近年の急激な生活様式の変化によって消滅寸前であったため、昭和四十年当館に移築復元したものである。

                   案内説明より

雅楽を奏でる楽器展示

孔子像

東御門

西御門

小屋根付漆喰下見板張り囲い塀

水堀木橋と正門

薬医門

水堀 学門の世界との境界

聖御門(孔子廟御門)

聖廟(孔子廟)

講堂の扁額

講堂

泮宮(藩校)の扁額 

書院 御居間

御次間

御三之間

  旧致道館  国指定史跡
この致道館は、藩校としての遺跡をよく留めている全国有数のもので、しかも、火災・戦災を受けることもなく存在することは、日本の史蹟としてまことに貴重なものであるとし、昭和二十六年六月九日、国の史蹟として指定を受けたものです。
藩校を創立したのは、庄内藩酒井家九代藩主・酒井忠徳で、武士道が乱れ、華美を好み、横暴をきわめる弊風を刷新するのは教育にありと、大宝寺の地(現駅前通り・日吉町 このページ日枝神社参照)に、文化二年(1805)学問所を創設したのが始まりです。
その後、文化十三年(1816)十代藩・主酒井忠器は、政教一致をはかるため、居城に近い三の曲輪内の現在地に移し、藩の政務を処理する会所と学校とを合わせた珍しい仕組みとして整備しました。致道館の教育方針は徂徠学(荻生徂徠)を本旨とし、画一的な講釈を好まず各人の能力に応じた少人数を対象とする個別的な指導法をとったために、多くの小教場を必要とし、数多くの室が設けられました。
明治維新により、明治六年(1873)廃校となった後は、苗秀学校、鶴岡建長、鶴岡警察署などに使用され、さらに、明倫学校、朝暘小学校などの校舎と変遷し、昭和四十年から復元工事に着手、昭和四十七年から一般に公開されております。なお、致道館とは、論語の一節「君子学ンデ以テ其ノ道ヲ致ス」から名付けられたものです。

  現存建物と主な遺構 
表御門  藩主の御成りの門
廟門・聖廟・・・・・学校の中枢であり、教育の源と考えられ、孔子と顔淵の聖画を祀るところ
御入りの間・・・・・藩主臨校の御居間があり、藩主聴講の場でもあったところ
講堂・・・・・広間型講堂で、生徒が一堂に会して講義を受けていたところ
西御門・・・・・藩の家臣や教官の出入りの門
東御門・・・・・生徒の通用門
養老堂・・・・・藩士、御手回り中の隠居、七十歳以上の老人を招待し、敬老の実をあげたところ

  致道館講堂
三十畳敷きの講堂と、周囲一間半の畳敷き縁より出来ている。政教一致の御趣意により、学校に会所を立てたが、その時の郡代、大目付などの重職は講堂に列座し、諸役人の中の行列以上は西畳縁に、行列以下は東畳縁に座した。また、舎生・試舎生などの生徒が新年の始業式を行うなどのこともあった。(行列以上とは、役付藩士又は三百石以上の武士のことをいう)

  致道館扁額
この額は大宝寺境内にあった致道館開設当時からずっと講堂に掲げられてきた額である。文化三年(1806)、当時、侍医であり、致道館の助教県司業であり、庄内を代表する書家でもあった重田道樹(1754~1811)が揮毫したもので、この時、下書が長持ちにいっぱいになったという逸話が残っている。なお、字が浮き上がっているように見えるが、お近くで篤とご覧ください。

  泮宮
享和三年(1803)大宝寺に学問所として建てた時、その正門にこの「泮宮」の額を掲げようとしたが、幕府から許可を得られず、遂に掲げることができなかった、この文字は、中国宋の時代の書からとったものと云われている。

  御入りの間
御居間   
御居間は又御入りの間とも言いました。藩主昇校の際の御入りの間で、床下は人の出入りを防ぐようになっていた。藩主在城中は正月十五日の講初めから毎月日を定めて昇校し、生徒の会業武芸修練の場に臨み、これを激励した。
御次の間
藩主御留守の年は、会所日に出座する家老の詰所であった.。
御三の間
藩主が御成りの時、御供の者たちが控える所である。
御台子の間
会所日などに出席する藩主をはじめ、御供の家臣に茶菓・食事などの準備をする台所で、藩主御留守の年には会所の御用留役并に小右筆の詰所であった。

  明倫学校
明治十七年(1884)十一月、鶴岡警察署が移転したのを受けて、女子を教育する明倫学校がおかれたが、翌明治十八年四月朝暘学校と合併して「朝暘女教場」と称したので、明倫学校の名は僅か六ヶ月で消えたのである。

  敬天愛人扁額
致道館が廃館になってから三十四年後、旧致道館の建物の一部は、朝暘第一尋常小学校の校舎として名残をとどめていた。「敬天愛人」の扁額は、旧朝暘第一尋常小学校の東体育館に掲額されていたものである。

  庄内藩酒井家
出羽国鶴岡を城地とする譜代酒井家を藩主とする大名である。元和八年(1622)山形藩五十七万石の改易により出羽国の分割が行われ、信濃国松代(長野市松代)から、酒井忠勝が十三万八千石で庄内に入封した。山形藩の鳥居忠政とともに奥羽の外様大名(伊達家、南部家、佐竹家、上杉家など)の鎮めとして配置されたといわれる。
忠勝以後十二代にわたり、鶴岡を城下に明治維新まで存続した。出羽国櫛引・田川・遊佐(飽海)の三郡を領地とした。
寛永九年(1632)に千石加増されている。正保四年(1647)四代藩主・酒井忠当は、弟に松山二万石、大山一万石を分与して支藩を立てた。天保十一年(1840)、武蔵国川越藩主を庄内藩主に、庄内藩主を越後国長岡藩主に、長岡藩主を川越藩主にそれぞれ移封する幕府の三方領地替は、農民・大地主にわたる全領民の阻止運動により撤回された。
元治元年(1864)、江戸市中の警備、新徴組の支配を委任されるなど、佐幕の雄藩として活躍し、その功により二万七千石の加増を受けた。戊辰戦争後、所領を没収されるが、明治二年(1869)十二万石で庄内に復帰、同年に大泉藩と改称した。大泉県、酒田県、鶴岡県を経て、明治九年(1876)山形県に編入された。

  酒井家中興の祖 酒井左衛門尉忠次
出羽庄内酒田家の初代とされる。三河国井田の城主・酒井忠親の二男として生まれる。家康の父・松平広忠に仕え、その妹碓氷姫(酒井家二代・家次の生母)を妻とした。
德川家筆頭重臣として、軍事・政局の両面に亘り活躍した。德川家康時代には、本多忠勝、井伊直政、榊原康政とともに德川四天王の一人として家康を補佐し、「德川家に忠次あり」といわれた。永禄七年(1564)三河を平定(一向一揆)して、家康より吉田城(愛知県豊橋市)を与えられ、永禄九年(1566)三河を統一した徳川家康(この年松平から德川と改称)家臣団として各戦役に活躍して功をたて、江戸幕府成立の礎となった。
慶長元年(1596)十月二十八日京都桜井で逝去  享年七十
庄内酒井家二代の酒井家次は天正十八年(1590)下総国臼井で三万石を賜り、その後、上野国高崎五万石を経て、越後国高田で十万石に封じられた。江戸時代初期の元和八年(1622)、庄内酒井家三代忠勝が出羽国庄内十三万八千石を賜って入封、酒井家初代庄内藩主となった。

  瓦と家紋
致道館は、創立当時から瓦屋根に葺き替えるための費用を少しづつ貯えていたので、文化十三年(1816)、現在地への移転と同時に念願通りの瓦葺とすることができた。これは当地方における瓦屋根の始まりと云われている。
また、酒井家の「丸にかたばみ紋」は、「酒井家世紀」によれば、大祖広親から五代あとの忠善のころ、主君松平長親が忠善の輝かしい軍功にあやかろうと、酒井家の「三つ葵紋」を献上させ、代わりに与えたものと云われている。いわゆる「葵のご紋」は、もともとは酒井家の家紋だったのである。

  華陽中台先生顕彰碑
中台元と言い、華陽と号す。天保九年(1838)旧庄内藩の藩医・中台元倫の嫡男として生まれる。嘉永五年(1852)、藩校致道館に入学し、明治元年(1868)、致道館助教、明治六年(1873)上京し、文部省師範学校で新教育の授業法を学び、帰郷し、郷里の伝習学校、朝暘学校などで教鞭をとった。また、私塾を開き子弟教育にあたる。門人・海軍中将・佐藤鉄太郎、漢学者・芳賀剛太郎らはその学徳を慕い、昭和五年(1930)この顕彰碑を建立した。

                  案内説明より

鶴岡市立 加茂水族館  鶴岡市今泉字大久保657-1  0235-33-3036  開館時間 9.00~17.00  無休 
                 入館料 大人1000円 小人500円

加茂水族館

クラゲの描かれた名称碑

クラゲ館入館案内

旧加茂水族館跡

跡地は駐車場

高台より水族館

クラゲ館入口

館内食堂 鱈汁定食

水族館より湯の浜温泉方面

荒埼灯台 明治36年1月1日初灯

灯台崎中腹の神社鳥居

神社祠 祭神?

灯台より日本海

ゴマフアザラシ

アシカ

アシカショウ会場 冬季は休みます

アシカの調教中

荒埼灯台

クラゲ

アマクサクラゲ
天草地方に多くみられる。小魚やクラゲなどをたくさん食べるので、生長が早い。
毒の強さ: 強



アカクラゲ
乾燥したアカクラゲのふんまつにより、くしゃみを発することから「ハクションクラゲ」と呼ばれることがある。
毒の強さ: 強

アマクサクラゲ

アカクラゲ

ブルージェリー

ブルージェリー
ユウレイクラゲの仲間で青みがかっている。クラゲを食べるクラゲでミズクラゲを餌として、与えている。
毒の強さ: 強



ブラックシーネットル
成長すると体色が黒紫色になるが、小さいうちは白っぽい。傘径1m、長さが6mにもなる大型にクラゲ。
毒の強さ: 強

ブラックシーネットル

インドネシアシーネットル
他のクラゲや小魚を食べるクラゲ。加茂水族館では初めての展示なので、今後どのように成長していくのか、様子を見ているところです。
毒の強さ: 強



カブトクラゲ
体側には、有櫛動物特有の八列の櫛板列があり、光を反射しきれいに光る。
毒の強さ: 無毒

キタユウレイクラゲ

キタユウレイクラゲ
世界最大級のクラゲで刺胞の毒はかなり強い。シャーロックホームズの小説にも登場した。
毒の強さ: 最強


キタユウレイクラゲ属の一種
キタユウレイクラゲの仲間は英名で、
Lion’Mane Jellyfish(ライオンにたてがみクラゲ)と呼ばれている。このクラゲはブリテッシュコロンビア大学との、生物交換によって当館で繁殖させたものです。
毒の強さ: 最強

ニチリンヤナギクラゲ

オキクラゲ

ニチリンヤナギクラゲ
世界で室蘭水族館と当館でしか見ることができない。以前はアカクラゲと同種とされていたが、別種と認定された。
毒の強さ: 強



オキクラゲ
鉢クラゲの仲間では珍しくポリフ世代が無い。フラヌラから直接クラゲに変態する。刺激を与えると発光する。
毒の強さ: 強

パープルオーレリア

パープルオーレリア
ラピアータとよく似ているが、口腕の縁がうっすらと紫色に見える。
毒の強さ: 弱


サビキウリクラゲ
アミガサクラゲと似ているが体に厚みがあり、容易に見分けることができる。
毒の強さ: 無毒

サビキウリクラゲ

パシフィックシーネットル

パシフィックシーネットル

パシフィックシーネットル
アメリカ西海岸のカリフォルニア州~
オレゴン州に生息し、時に大量発生し、
海岸に押し寄せることがある。
毒の強さ: 強

サムクラゲ

サカサクラゲの一種

サムクラゲ
傘の中央が黄色く色づき、目玉焼きのように見えることから、英語ではfried egg lelly と呼ばれている。
毒の強さ: 強



サカサクラゲノ一種
2013年のパラオリサーチで、コロール島の海水湖から持ち帰ったクラゲから繁殖した個体。
毒の強さ: 強

シロクラゲ

シンカイウリクラゲ

シロクラゲ
光に集まる性質が強く、照明を付けると一斉に光の方向に泳ぎだす。
毒の強さ: 弱



ヤナギクラゲ
北海道太平洋側では通年、東北太平洋側では春に出現する北方系のクラゲ。山形沿岸に出現した記録はない。
毒の強さ: 強

シンカイウリクラゲ
深海調査などで見られるクラゲで、庄内浜には春に表層で見られる。
毒の強さ: 無毒

ヤナギクラゲ

シンカイウリクラゲ

スナイロクラゲ
青みがかった色をしているが、水槽に入れて飼育していると段々と色が薄くなってくる。
毒の強さ: 強



ユウレイクラゲ
クラゲを食べるクラゲで、自分っと同じ大きさのクラゲを与えても半日ほどで消化する。
毒の強さ: 強

スナイロクラゲ

ユウレイクラゲ

タコクラゲ
水玉模様の傘が特徴的です。傘の下に餌を取り込む口腕があり、先に8本の付属器がついている。
毒の強さ: 弱

タコクラゲ

タコクラゲ

大型水槽のミズクラゲ  カラーライト

大型水槽のミズクラゲ

  ミズクラゲ
「クラゲと言えばこれ!」というくらい、メジャーな種です。日本近海で最も多くみられるクラゲです。
ミズクラゲに刺されてもかゆくなる程度ですが、何度も刺されると過敏(アナフィラキシー・ショック)になるので注意が必要です。
庄内浜では、冬に3mmほどの幼生、春~秋に大型のクラゲが出現し、最大で40㎝にもなります。時に大発生すると、発電所の冷却水取水口をふさぎ、出力を停止させたり、魚を取る網にかかり、漁師の邪魔をすることもある。人間にとっては時々困りものだが、そしらぬ様子で優雅にふわふわと水に漂う様は、なんとも美しい。
加茂水族館では、ミズクラゲを1日に最大で1000匹ほど、繁殖させることができる。1日目~8日目まではクラゲバーで育て、その後は成長にあわせて3つの水槽で展示している。毒の強さ: 弱である。
               案内説明より

キタユウレイクラゲ属の一種

本丸水堀 鴨の楽園 

本丸水堀 凍結

本丸石垣 切込み接ぎ・落し積

鉢巻石垣 腰巻石垣は取り壊した?

本丸隅櫓石垣か?稲荷神社近く

本丸御殿玄関跡 護国神社参道口辺

鴨の休み場も今は静か

本丸内側土塁

白鳥 わずかに残った水辺

本丸北堀橋より北門口

北門跡

北門跡標識

本丸西堀土塁

現北門 荘内神社の北門 棟門

二之丸堀 老若桜並木

辰己の守り内川 と三雪橋

二之丸南堀

二之丸櫓石垣?

鶴ケ岡城を横切る県道47号

旧致道館 御入りの間

タブの巨樹 県指定天然記念物

平田安吉遺徳碑

鶴岡市立 藤沢周平記念館

二之丸西門跡 県道47号交差

  馬場町のタブの木 県指定天然記念物
タブノキはもともとわが国の暖地に自生する植物であるが、対馬暖流の影響で酒田市・飛島をはじめ秋田県、青森県の日本海沿岸に自生している。このタブノキは基幹周4.77m、目通りのところは、こぶ状に膨らんで周5mを越している。地上2mのところで二股に分れ、高さ約15mに及んでいます。
この地は、江戸時代服部瀬兵衛という庄内藩酒井家の家老の屋敷のあったところです。おそらく藩主が庄内藩に入封した折、屋敷を賜った頃、他より移されたものと思われるが、山形県のような気候の中でこのような巨木に生育したことは極めて珍しいことです。樹齢凡そ400年と推定されており、鶴岡市が所有、管理を行っています。

  平田安吉の遺徳碑
この石碑は、明治時代に農業の発展に尽くした平田安吉の業績を後世に残すために建てられたものです。安吉は、鶴岡の三日町(現昭和町)の豪商の家に生まれ、自らも多くの田地を買い集めて大地主となりました。先進地の福岡県に赴いて乾田馬耕などの新しい農業技術を取り入れ、勧農会を組織してその普及に務めました。また、リンゴ園や牧場を経営し、当時珍しかった牛乳の販売を行っています。
事業家としては鶴岡米穀取引所を創設し、印刷所や荷馬車屋を開業しました。また、奨学資金の貸し付けや、酒田地震における被災者への金品の施与などの慈善事業も行っていますが、それらは公には秘し、些かも名誉欲はなかったといいます。明治二十九年七月十九日に脳溢血で急死しました。
享年四十

               案内説明より

荘内神社  本丸内

手水舎

宝物殿

斎館

荘内神社 裏参道

宝物蔵?

拝殿社号扁額

本殿

  荘内神社
元和八年(1622)、酒井家三代・酒井忠勝公が幕府の命により庄内藩に移封され、庄内藩初代藩主となられました。以来、歴代の藩主が二百五十年に亘り領民と共に力を合せ豊かな国を築かれた。
幕藩体制終焉の後も、旧藩主を敬慕する人々の総意で、明治十年(1877)、鶴ケ岡城本丸跡に酒井家初代・二代・三代・九代の御霊をお祀りし、出羽之国庄内の総鎮守として庄内一円の人々の心の拠りどころとして創建されました。
           案内説明より

鶴岡護国神社  本丸内

護国神社

拝殿

本殿

  鶴岡護国神社
明治二十八年(1895)旧藩主・酒井忠篤公の御発心により、戊辰・西南の戦役に殉じられた藩士の御霊をはじめ、日本国の存亡を懸けた諸外国との戦いで殉じられた鶴岡主市出身者四千九百三十柱の御英霊をお祀りしています。拝殿は、庄内藩酒井家八代藩主・酒井忠器公の御霊廟で、江戸時代の貴重な霊廟建築である。
             案内説明より

御城稲荷神社  二之丸内北東(鬼門)

瓦小屋根付き板塀

鋼板小屋根付板塀

庚申堂 

冬季閉館中

門の掲木板

駐車場

外庭

聖徳太子光寿無量堂

庭園小座敷

二階座敷

仏間 襖仏壇

石置き屋根

檜皮葺石置き屋根

台所 板の間

トラス構造梁

奥書院

次の間

中の間

表書院

金庫大扉 土蔵

内金庫

中庭

丙申堂近くの風間家住宅

無量光苑釈迦堂屋敷門(薬医門)

玄関衝立絵

螺鈿細工

  無量光苑釈迦堂
明治四十三年(1919)に風間家別邸として建築され、昭和十八年(1943)頃まで来賓の接待や関係者の集会の場として使われました。その後、昭和二十六年頃まで綴れ織りの大家として知られる・遠藤虚頼氏、和田秋野氏が居住され、昭和二十七年からは、風間家九代目当主風間眞一の私邸として現在に至っています。
風間家は代々浄土真宗に信仰が厚く、建築時より上座敷に「無量光」の額(黄檗木庵書 オウバクモクアン)を掲げであったことに因み、八代目当主・幸右衛門が建物と庭園を含めて「無量光淵」と名付けました。さらに、九代目当主(風間眞一)が、書院床の間に御石仏・「釈迦如来坐像」(大正十二年 1923、東京帝国大学印度哲学科・常磐大定師より寄贈)を安置して「無量光苑 釈迦堂」と命名しました。
優れた構造、意匠が用いられた建造物として、平成十四年二月に国登録有形文化財に指定されました。また、付属屋の土蔵、表門、中門、北門、西側の板塀は、平成十五年七月に国指定有形文化財に指定されました。 庭園は、桜、萩、紅葉など、四季折々の風情を望むことができます。特に五月頃のツツジは、池を取り囲むように花を咲かせ、見事な景観を見ることができます。

  風間家の歴史
風間家の祖先は、越後の国・沢海藩(ソウミハン 現在の新潟市江南区横越地区を藩庁としていた越後新発田藩の支藩)の武士であったが、沢海藩の廃藩にともなって商人となり、村上、酒田を経て、鶴岡には十八世紀後半に移住したと伝えられている。
その後鶴岡城下で藩の御用商人として呉服、太物屋を営み、幕末には鶴岡第一の豪商と云われるようになった。明治になってからは貸金業に転じ、庄内地方では酒田の本間家に次ぐ大地主に成長し、鶴岡の産業振興に力を注ぎました。その一方で児童福祉などの慈善事業を行い、現在は育英事業などに尽力しています。

           公益財団法人克念社リーフレット説明より

鶴岡カトリック教会天主堂

天主堂中央祭壇ステンドグラスが美しい

教会の付属幼稚園が敷地内にある

併設の幼稚園

旧藩士表門(薬医門)

祭司館

  奥の細道・内川乗船地跡
元禄二年(1689)の春に江戸を出て、陸奥から出羽を巡っていた俳聖・松尾芭蕉は、六月十日(陽暦七月二十六日)に羽黒山を下り、鶴岡城下の庄内藩士・長山重行宅で地元の俳人たちと誹諧を楽しむ三日間を過ごしました。
十三日にはこの内川の船着場から船に乗り酒田に向かいました。
当時の酒田通いの船は、内川より赤川を経て最上川河口の酒田まで七里(約28㎞)、はぼ半日を要したと云われています。

  長山邸跡
出羽三山を巡拝した俳聖・松尾芭蕉は、元禄二年(1689)六月十日(陽暦七月二十六日)羽黒山を下って鶴岡城下に住む庄内藩士・長山五郎右衛門重行の屋敷に入りました。芭蕉は出羽三山の巡礼の疲れからかすぐに休息したが、夜になって河合曽良・長山重行・図司呂丸(出羽三山案内人)と歌仙を巻いた。「めずらしや山をいで羽の初茄子」はその時の芭蕉の発句で、食膳に供されたこの地方名産の一口ナス(民田ナス)が目に留まったものでしょう。

芭蕉は重行宅に三日間滞在し、十三日に近くの内川船着場から川船で酒田に向かった。長山重行は、図司呂丸や岸本公羽と共に芭蕉門下の俳人として、鶴岡俳壇に重きをなした人物であった。重行は元禄十三年に屋敷替えになるが、このあたりは今でも長山小路と呼ばれています。

                   案内説明より

  奥羽三大古関
奥羽三大古関といわれている勿来の関、白河の関、念珠の関のうち勿来の関は名を知られてはいるが、場所は特定されていない。福島県と茨城県の県境のいわき市に勿来の関公園があり、勿来の関跡の石碑があるが根拠のあるものではないという。
小高い山で在ったとすると軍事的に特化したもので見張り台のようなものと想像する。いわき湯本温泉の帰途寄ったが印象に残ることはなかったが、桜の木が多かったのでその頃は見事なものと思う。

白河関には目的をもって立ち寄ったので、それを記したページを示す。
陸奥・白河関 まちさんぽ→東北その1→道の奥関所 


  古代・中世鼠ヶ関址および同関戸生産遺跡
古代・中世鼠ヶ関遺跡は、山形県と新潟県県境にまたがって存在している。古代の関所「鼠ヶ関」は、陸奥国の菊多関(勿来関)、白河関と並んで奥羽への三大関の一つです。鼠ヶ関は能因法師の歌枕(十一世紀)に「ねずみの関」とあって、十世紀ころにはすでに旅人に親しまれていました。また「吾妻鏡」文治五年(1189)源頼朝の鎌倉府による奥羽征討の条に、「越後の国より出羽念種関にでてがっせんを遂ぐべし」とあり、室町時代の「義経記」に、義経、弁慶一行の関所通過が劇的に描かれています。
歴史上ほぼ確かな「鼠ヶ関」の存在は平安中期から末期ないし鎌倉初期までの十世紀から十二世紀頃までということになります。昭和四十三年の発掘調査の結果も、それに対応するものであることが確認されました。古代・中世鼠ヶ関の遺跡は「千鳥走行型柵列址並建物址」(D地区)のほか「製鉄址」(A地区)、「土器製塩址」(B地区)、須恵器平窯址」(C地区)からなっています。
つまり軍事警察的な防御を目的とする関所としての施設と、その内にそれを支える高度の生産設備をもった「関戸集落」によって「関」が成立していました。平安中期後の出羽国の開拓もずっと北にのびた段階で、南を検問し防御する関門としての性格を物語っているのです。


  近世念珠関址
近世念珠関は江戸時代には「鼠ヶ関御番所」と呼ばれていました。その規模は延宝二年(1674)や弘化三年(1846)の絵図によると街道に木戸門があり、門に続いて柵が立てられていました。番所の建物は三間(約六メートル)に七間(約十四メートル)平屋建て、茅葺で屋内は三室に仕切られ、中央が取調所、両側が役人の上番、下番の控室になっていました。またこの番所は沖を通る船の監視や港に出入りする船の取り締まりもしていました。番所の建物は廃止後、地主家の住居となり、後に二階を増築するなど改築されたが、階下は昔の面影をとどめています。


  鼠ヶ関と源義経
「義経記」の義経一行奥州下りの鼠ヶ関通貨の条は、歌舞伎の「勧進帳」を思わせるごとき劇的場面として描かれています。また、当地方には次のような物語が伝えられています。義経一行は越後の馬下(現村上市)まで馬で来るが、馬下からは船で海路をたどり鼠ヶ関の浜辺に船を付け難なく関所を通過した。そして、関所の役人の世話をする五十嵐治兵衛に宿をもとめ「、長旅の疲れを癒し、再び旅立っていったと伝えられている。

                  案内説明より

  曹源寺のヒサガキ(山形県指定天然記念物) 
曹源寺の後庭に植えられているこの二株のヒサガキは、ヒサガキの自生のない山形県において飛島とここだけであり、
地方的に珍しい種類であるとともに巨樹としても価値があるものである。
昭和二十八年二月十三日山形県の天然記念物市指定されました。

南(左側)の株の根回り2.0m、高さ5.26m、根際は合着しているがまもなく五本立ちで、
各々の基部の太さは1.2m、0.575m、0.48m、0.60m、0.55mである。
北(左側)の株は高さ4.57m、根際は株立ちの相生で、その根廻りが2.35mある。
この株は地上1.3mで七本立ちとなっており、西方の枝が合着した明瞭な連理枝となっている。
各々の基部は太さは1.4m、0.41m、0.385m、0.38mである。

これらの形状といい、また寒冷地帯で異常な発育をとげたものとして貴重な存在である。
このヒサガキは、慶長四年(1599)佐渡の峯庵禅師が鼠ヶ関沖で遭難して助けられ、
この寺で手厚いもてなしを受けたお礼に植樹したものと云う言い伝えがある。


  村上屋の念珠の松(山形県天然記念物)
このクロマツは、元村上屋旅館(昭和三十五年四月廃業)の庭にあり、臥龍松の一型である。
枝はすべて匍匐幹の上方だけに生じ、いずれもねじれており、その太さも大体同橖で異様な形をしていて、
成長の過程で相当庭師の手が入っている。

主幹は高さ四・二メートル目通り周囲一・二メートルで、東北方角と西南方角に出る支幹は一直線をなし、
東北に延びている枝の基部周囲一・三メートルで本幹よりも発育し、七メートルほど地を這いそれから斜上して
高さ三メートルの支柱で支えられ、全長は二十メートルに及び先端は切止められている。
また、西南に伸びる枝は、高さ一・五メートルの所から分岐し、
ほぼ水平に伸び約七メートルのところで切り止められている。

この松は、他の臥龍松のように匍匐幹が屈曲しないで直線状で僅かに斜上しているところに特徴がある。
昭和三十年八月一日に山形県の天然記念物に指定された。


  念珠の松庭園
推定樹齢四百年と言われているこの象徴的な「念珠の松」は主幹の整った姿、匍匐幹の長さ枝振りなど
総合的には“日本一の松”であろうと専門家の評価がなされています。
これまでわずか二百四十平方メートルの敷地に永々と息づいてきた「念珠の松」を絵画的に修景し、
庭園的には多種多様な樹木や草花を植栽することによって自然庭園の趣を形成しつつ、
日本古来の伝統文化である日本庭園の特徴をも併せ持つ空間の創造をこの庭づくりのテーマとしております。 

この松を一見して“世界に示す郷土の誇り温海の念珠の松”と称賛した世界的に著名な造園家・中島健氏から、
この庭園設計施工監理に携わっていただいたことは誠に幸運であり喜びであります。
中島氏は「良い庭を見ているとなんだか不思議な気持ちになる。木と石と人間が自然のままにある庭、
それが日本の庭であると思う」
と語られていますが、この言葉こそが庭に対する日本人の心であり自然観だと考えます。
自然の情景の中の“松の風景が”ともいえる念珠の松庭園が訪れる人々に多くの感銘と安らぎを与えてくれるものと
確信しています。
 

温泉その2

仁王 吽形像

仁王 阿形像

聖天 仁王安置の仁王門

旧庄内藩校 致道館

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あつみ温泉 たちばなや 角館        山代温泉 吉田屋山王閣   金沢



八戸温泉 公衆浴場  五能線        姫川温泉 ホテル国富翠泉閣     



桜山温泉 桜山温泉センター        四万温泉 四万グランドホテル 四万たむら     



浅虫温泉 浅虫観光ホテル 秋田屋        
水上うのせ温泉 やすらぎの宿旅館みやま    



四万温泉 共同浴場河原の湯        第一ホテル鶴岡 湯田川温泉      



中房温泉と有明温泉  中房温泉、国民宿舎有明荘  

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あつみ温泉 atumionsenーtatibanaya

巨岩庭園 左奥が浴場

山の中腹に大仏像が見えた

食べ掛けの駅弁

利根川を越える手前妻沼町にある聖天様によってみた。20年前は郷里の松本に行くときにはR17号の混雑回避のためによく使った経路。で、斎藤別当実盛のかの有名な白髪を黒く染め、北陸道の陣中に後れを取らずに死んだとされる銅像がある。この歓喜院は、開基を斎藤実盛としており、1179年仏像を安置し、長井の庄の鎮守府としたことがが始まりとされている。
私はニックネームで悪源太義平を名乗っている関係上興味があったんで、館跡といわれている所によってみた。堤防横にひっそりとしてそれはあった。時は移れども関東武士団をささえた武蔵のいにしえが堤防のうねりと共にふと過ぎる。
郷里の長野県には信濃の国と題する県歌がある。その最終章に、朝日将軍義仲も仁科五朗信盛も~♪の一節がある。強引に因縁つけて、悪源太義平・朝日将軍義仲・斎藤別当実盛の物語。
八幡太郎義家の孫為義に義朝、義賢の兄弟がいて相争っていた。義朝の長子源義平(悪源太)は叔父の源義賢を攻め殺してしまう。当時義賢の幕下にいた実盛も義朝に従属するが、義賢の長子を関東から遠い信濃の仲原兼遠のもとに落ち延びさせる。義平はのちの平治の乱で斬首、弟たちは伊豆へ遠島や仏門へ。時代は平氏にあらずんば人にあらずで、実盛も草木もなびくごとく平氏へ。
時はたち信濃の木曾で成長した義賢の長子は源(木曾)義仲と名乗り、平氏打倒の令旨をむねに立ち上がる。越後、越中を進軍し加賀国境の倶利伽羅峠で勝利しこの先篠原での戦いに挑む。だが、相手陣中には命の恩人である実盛が平氏方として参陣していた。NHK風には「そのとき歴史は動いた」となって、白髪染め像になる。
後日談として、兜首の検証で実盛として晒された首の髪は青黒く、義仲は実盛ならば白髪のはずと疑ったが、池の水であらってみると白髪が現れ、恩人を討ち取った後悔であわれなものだったそうな。

最後は平氏方として戦ったが、ご恩と奉公で戦った生粋の関東武者であったでしょう。都武士に関東武士の強さを聞かれ、弓の強さは尋常でなく、親は子を、子は親を踏みつ乗り越え戦い、嘆き悲しみ戦いをやめ葬儀を行うことはない。
都武士にとっては恐怖の武士集団であり、実盛にとってはこの上のない自慢であったことでしょう。

聖天山 歓喜院 shiyoutenzan-kangiin    この項 尾崎亜美コンサートより転載 
  

桜山の冬桜を見に行く時道すがら温泉センターの看板見っけ。帰りの寄ろうよ、で来ました。木造の屋根が高く、一昔前の学校の体育館の骨組みを思い出す。特別の印象は残らなかったが、それだけに体に優しい湯ではないだろうか。
道はわかり易く、本庄児玉IC国道462をそのまま道なりに、突き当たりの浄法寺交差点を左折600mで案内板を右折少し上ったところです。寄居方面からは、国道246を児玉バイパス分岐を市街地方面へ仲町左折でR462。
桜山公園にはその先5km位、鬼石小学校を左に見て次の信号右折すると駐車場の縦看板がある。駐車場は臨時に数箇所用意されていて困る事はなかった。

うっすらと淡く咲く冬桜は春の桜と違って控えめに其処にあった。枝に遠慮しがちに下を向いて咲いている。季節は紅葉が大見得を見せる中で、脇役も対等演じていた。まだ四、五分咲きで気温の低くなる分満開期間は長くなるのではないだろうか。

露天風呂

下界の150%~200%

穂高川砂防ダム

中部山岳国立公園

中房温泉は有明山懐深く入ったところにあり、表アルプス銀座の登山口となっている。穂高駅から中房温泉まではバスが一日5便あり、復路も同じ車両で同じく5便あります。シーズンや、休日などによって発車時刻が二通りあり事前に調べていくことが必要となるが、概ね一便の穂高駅発の時間の違いとなっていて、その他の便の運行時間は時刻表では同一となっている。
道路事情が良くなっても自動販売機の価格は150%以上になっていて、抵抗感がある。幾多の事情があろうかとは思うが、全国の旅館内の販売価格と比べると許せる範囲内かとも思う。
有明荘を運営している会社は燕岳に近い「燕山荘」を経営していて、50年以上昔になるがそこで水を求めると、アルマイトのコップ一杯(約100ml)当時のお金で10円していた。生サンマ3~4匹で10円、ラーメン一杯25円~30円の時代であったと思う。水を入れたブリキの一斗缶を3~4缶かついで麓から人力によって運んでいたので、貴重な一滴であった。



  花のあと ~以登女お物語~
城下からおよそ二里ほどの山麓に、家中、町方の者を問わず人が行く湯治場がある。十軒あまりの湯宿がかたまる場所だった。
湯治場といっても「、中には藩主家の奥の人々も滞在する、それにふさわしい格式をそなえた湯宿もあり、三方を緑の丘に囲まれ、かたわらを流れる渓流には河鹿がなく、風光いやしくない土地である。以登の家でも、その湯治場に定宿を持っていて、毎年かわるがわる人が行っては、数日滞在するならわしになっていた。

                       案内説明より 小説の一文

  山王日枝神社
当社は、古くから「山王様」「お山王はん」として親しまれてきました。この土地に住む人々は山王日枝神社の御前に赤き清き心を奉じてひたすら神の恩に感謝し健やか心身、豊なる生活の御加護を祈念してまいりました。
氏子としては明治以前より鶴岡市内の上肴町、七日町、下肴町、八間町、荒町、馬場町、若葉町、鷹匠町、新屋敷町、鳥居町、与力町、日和町、宝町、高町、泉町、髙畑町、最上町、大宝町、文下、茅原、及び大字本田、大字荒井京田、大字覚岸寺を有し、上肴町、七日町、下肴町、八間町、荒町の五町を町方当屋とし、大宝寺、文下、茅原、本田、荒井京田、覚岸寺の六大字を郷方当屋として、慶長十七年より交代に神宿奉仕し、今日に至るまで行事が厳修されています。
  復鎮霊社
德川家康の長男松平三郎信康が、天正七年(1579)九月十五日織田信長より、十二ヶ条の罪状を示され、父家康の命によって、生母築山殿(家康正室)と共に非情の死を遂げた。この事件に酒井忠次(庄内藩酒井家の祖)が徳川の重臣としてかかわりをもっていたため、庄内藩では、後年、貞享二年(1685)一社を建て、その霊を弔ったものである。「復鎮霊社」と称したのは、幕府をはばかったためであろうと云われている。(酒井忠次が織田信長に信康及び母築山殿の武田家内通謀反を否定しなかったため、信長の命(家康)により自害、謀殺された)
             案内説明より

             

北前舟 舟道具のいろいろ

御用商家の商い看板

旧庄内藩藩校 致道館   鶴岡市馬場町11-45  0235-23-4672 開館時間9.00~16.30 
               休日 水曜日・12/29~1/3   入館料 無料     

インドネシアシーネットル

カブトクラゲ

二之丸 慶応大学先端生命科学研究所

二之丸 鶴岡体育館

二之丸 鶴岡アートフォーラム

奥の細道 内川乗船地跡

対岸の海鼠壁の商家

山王通り 大泉橋

  源義経碑(浜の脇の碑)
兄・源頼朝の追討を逃れて、義経・弁慶主従が奥州平泉の里に向かう途中念珠関では弁慶の機智により通ることができました。更に、関守の世話で当地に宿泊でき、疲れを癒しました。この碑はNHK大河ドラマ(昭和四十一年)“源義経”にちなみ作者・村上元三氏の揮毫により建てられました。
碑文 「義経ゆかりの浜」 昭和四十一年八月八日書


  源義経上陸の地碑(道路脇の碑)
昭和四十年(正しくは四十一年)NHK大河ドラマ「源義経」が放映されました。
その折原作者の村上元三先生に「源義経上陸の地」という揮毫をお願いしたところ、
「今のところ上陸ということに確信が持てない」ということで「源義経ゆかりの浜」と書いていただき、
その碑が浜の近くの厳島神社境内に建立されました。

その後に十年経って今度は先生の方から「義経が上陸したことに間違いない」というお話があり、
その際揮毫していただいたのがこの「源義経上陸の地」という碑です。
碑の除幕式の記念講演の中で先生は「能登半島から潮流に乗り、佐渡を経て鼠ヶ関に上陸した」とお話をされました。
碑文 「源義経上陸の地」 昭和六十一年八月一日

                   案内説明より

地蔵尊

さみだれの
  出羽の谷間の
       朝市に
傘してうるは
    おほむめ女

狭軌と標準軌道の三本レール
鼻垂らし小僧もかなわない

プラットホーム間隔調整用ステップ

あつみ温泉駅に降りたのは見た所私一人のようでした。バスの時間まで間があるので駅構内のんびりと、キョロキョロしながら改札へと向かう。駅員さんに確認の意味をこめてバスの時間を聞いてみると、事前に調べた時間と違うではないか。現場で間違うはずはないと、バス停の時間表を改めて見るのも気が引けて、どっちにしても五十歩百歩。道案内版に2kmの文字が目にとまった。
歩いちゃいましょうと、脳みそが呼びかけてくれました。途中小学生の下校時間らしく聞いてみると、後10分ぐらいとの返事。温泉町の入り口には20分かかったので、結果的にここが中間点でした。
旅館の場所はあやふやであったが、なんと景色が開けた橋の向うにいご立派にらっしゃいますのではないですか。フロントで用件を伝えるとハイハイと色よい返事の対応で、「goodではないでしょうか」と監督になった気持ち。手荷物も預かっていただけました。
脱着所が明るく泊まりのチェックインまで時間が有るのに、もったいないと思いながらも、私の為「goodではないでしょうか」。ついでに浴槽も私一人の為、当然露天風呂も一人の為と考えると1000円は安い。貸切風呂は少なくとも\1000/40minはしますからね。
良い風呂でした。温泉地内の川沿いの遊歩道はとても歩きやすく、花のころは見事でしょうね。
途中下車の角館は桜の季節になるとたびたび取り上げられる町なので寄ってみました。幸いなことに駅前にレンタルサイクルが置いてありこれを利用することに。結果、雨でもない限りこじんまりとした町なので大正解でしたが、自転車置き場の奥のほうに綺麗な車を置いてあり、オフシーズンには賞味期限の切れそうな自転車を優先的にレンタルしているようでした。経営的には正解でしょうが、良く点検をしてください。ハンドルと前輪の角度が直交から大分ずれており、ブレーキの効きかたもあまかったです。角度は自分で直すことが出来ましたが、ブレーキのほうは坂道を下ったところで気がついたので交換に行くのもちとしんどいし、地形から見て平らと登りのみなので注意最優先でGo。

景観保護に主眼を置いているらしく、自転車は道路上に駐車できませんでした。
で、青柳家屋敷内へ  (入場料500円  時間9.00~17.00)
屋敷内展示物を念を入れてみて廻ると時間がかかりすぎて(2時間位)余裕がありません。半分に短縮しての退散となり、付近の探索に半分を当てることにしました。無人の武家屋敷通りを狙ったのですがシャッターを押すことが難しく、オフシーズンなのにと思いながら、またの機会に訪れてみたい町。

参照: 温泉と観光→温泉その1→かくのだて温泉
     温泉と観光→温泉その6→乳頭温泉
     街さんぽ→東北のいろいろ→角館の桜

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市内を循環するタウンバス
ブロック別に3ルートあり

瓢池

時雨亭

日本天然温泉審査機構なる団体とは何でしょうか?。同じ団体の名前で三段階評価の温泉利用証の発行されている。元締めは日本温泉協会らしく協会から温泉審査を委託された団体でしょうかね。
上の三段階評価証は、有効提示期限2008年まで、
下の五段階評価証は、有効提示期限2010年。
二枚とも同じ温泉施設に掲示されているものです。
五段階評価で四は三段階ではいくつになるのでしょうか?。
それぞれ審査項目が有るのでしょうが、シロウトには見た目解りやすいほうがよい。
幸いこの二枚はオール三とオール五で判断はつきます。

姫川温泉 himekawaonsenーkunitomiーsuisenkaku

車内灯が虹色に光る

夕暮れの日本海

姫川・小滝川合流地点
流れの奥がヒスイの原石産地小滝川

駅前観光案内版

夕暮れの日本海

たむら上段の間の享保雛展示

四万温泉 shimaonsenーshimagurandohoteru 
    &沢渡温泉 sawawatarionsen

温泉名: 沢渡温泉共同浴場
源泉名: 県有泉沢渡温泉
泉質: カルシウム・ナトリウムー硫酸塩・塩化物泉 低張性・弱アルカリ高温泉
     pH 8.5  陽イオン 352mg/kg  陽イオン696mg/kg
源泉温度: 55.0℃ 
湧出量: 不明  湧出形態: 自然湧出 引湯  注入排出形態: 完全かけ流し
効能: 切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症・神経痛 筋肉痛・
     関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾冷え性・疲労回復
利用料: 大人 300円 小人200円  フェイスタオル無料
利用時間: 10.00~21.00

沢渡温泉組合
群馬県吾妻郡中之条町大字上沢渡

中之条役場観光課 (Tel 0279-75-2111)

国道353を折田で県道55に入って4km余、温泉街に入る道の一つ先晩釣橋袂の駐車場に車を置く。歩いても数分です。大人300円でタオルは貸していただいた。入り口ドアを開けると其処は脱衣所で、女性用も同じ造り?。浴槽は二つで、手前側が狭い浴槽で熱めの湯となっていた。奥の浴槽は見た目明らかに白濁していて、源泉割合が少ないほうが何でそうなるのか?温度低下の水道水のいたずらか?。地元の人に言わせると、ここの湯は四万温泉の湯より良いと誇らしげに話す。つい何気なく体を拭きながらそばのいすに腰掛けたら、いすには着物を着てから腰掛けるようにと注意されてしまった。ご尤もな事で、大変失礼しましたが、こんなところにも温泉を誇りとしている気持ちが伝わってくる。

飲泉所

浴槽 左側は熱めの湯 

沢渡温泉共同浴場

赤城神社 (三夜沢)

赤城神社 本殿

そば処 草月(0277-74-2506)
桐生市新里町板橋468

聖天山歓喜院

聖天寿し

名物 いなりずし 2個分の大きさ
以前は」もっと大きかったそうな

平和祈願の多宝塔

桜山温泉 sakurayamaonsen

温泉成分分析書

秋田屋

温泉名: 浅虫温泉
源泉名: 浅虫温泉混合配湯泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉
    低張性 弱アルカリ性高温泉
    pH8.45 陽イオン312.8㎎/㎏ 陰イオン644.3㎎/㎏ 
    成分総計1027㎎/㎏
源泉温度: 59.8℃
湧出量: 不明  湧出形態: 掘削 動力揚湯
注入排出形態: 引湯 加温 循環ろ過消毒 かけ流し
効能: 
きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病
    神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺
    関節のこわばり 冷え性 痔疾 疲労回復 健康増進

利用料: 1000円or麻蒸湯札(3ヶ所湯めぐり券1500円)1枚
利用時間: 11.00~15.00
休日: 無休

浅虫観光ホテル
青森県青森市大字浅虫字坂本51-1  Tel: 017-752-3355

温泉成分分析書

ねぶた市長賞 三国志演義「張飛、厳顔を降す」

大浴場

中房温泉まで1㎞弱

雨に濡れた隈笹

JR大糸線 穂高駅

由豆佐賣神社

拝殿と大イチョウ

  由豆佐賣神社
由豆佐賣神社は、白雉元年(650)の創建といわれ、古書「三代実録」や、延喜五年(905)に起草の延喜式神名帳にも登載された格式の高い神社である。祭神は溝樴姫命、大己貴神(大国主命)、少彦名神の三神(いずれも出雲大神)で、代々の領主をはじめ近郷庶民の崇敬厚く、最上義光は黒印百五十五石を、又酒井家による社殿造営など、数々の寄進があった。
現在の拝殿は、安永年間(1772~1780)の造営で、昔は観音堂と称し、十一面観世音菩薩を祀り、また社名も滝蔵権現と称し、神仏習合時代の密教寺院に多くみられる平面構造の五間堂・円柱・向拝屋根・唐破風、内部は外陣・内陣・内々陣・格子(結界)・脇陣・周縁で床が高く貴重な遺構である。本殿の造営は、明治十五年庄内の名棟梁、「髙橋健吉」の建築である。

  湯田川の乳イチョウ(県指定天然記念物)
山形県内有数の銀杏の巨樹で、崖際にあるために、正確な根回りや目通りの幹回りの測定は出来ないが、高いところの地面での周囲は7.3mである。高さは約37mであって、大枝からは大小数本の乳柱が垂れ下がるので、乳イチョウの名がある。しかし、雄株であって実を付けることはない。昭和二十七年四月一日、山形県の天然記念物に指定された。

  湯田川村 大井多右衛門の碑 (水稲種芽出法創始者)
水稲苗作りの大事なこととその心労は現在も変わりないわけではあるが、文明未開の昔の苗作りは、ことさら困難を極めたことであった。農耕に熱心な大井多右衛門は、さまざまな試験をし苦労を重ねた結果、今から約百八十年前の嘉永元年(1848)の春,種を水に、そして温泉に浸し且つこれを蒸して発芽させる方法を生みだし、発芽期間の短縮と発芽揃いを良くし、これを広く普及して当地方稲作農家に画期的な進歩を与えたのであった。
この石碑は明治十七年、大井多右衛門の功績を讃えて建立されたものである。

                           案内説明より

境内社 稲荷神社

致道博物館
鶴岡は、江戸時代、庄内藩十四万石の城下町として発達した町で、鶴ヶ岡城(現在鶴岡公園)は、江戸時代初めから明治時代になるまで庄内藩酒井家の居城でした。致道博物館のある場所は、城の三之丸にあたり藩の御用屋敷や藩主の隠居所となっていたところで、明治時代以降は酒井氏の邸宅でした。
昭和二十五年(1950)、酒井氏より郷土文化の向上のためにその土地や建物、美術工芸品などが寄贈され、この博物館が設立されました。その後、多くの方々のご協力によって調査収集した考古・歴史・民族・美術資料や移築復元した重要文化財「旧西田川郡役所」・「多層民家旧渋谷家住宅」、名勝「酒井氏庭園」などを公開し、庄内地方の歴史と文化に触れることができる施設となっています。
                  案内説明より

  大寶館
大正天皇の即位を記念して創建されたもので、大正四年(1915)十月に完成しました。十一月十日、即位の日に開館しました。物産陳列場、図書館などとして利用された。「大寶館」の名称は、易経の「天子の位を大寶という」によって名付けられました。
建物はオランダバロック風を思わせる窓とルネッサンス風のドームを乗せた様式で、赤い尖塔屋根と白亜の殿堂として大正建築の優美さが内部を含めて完全に原形を留めている。そのことから、昭和五十六年一月、市の有形文化財に指定されました。現在は、郷土人物資料展示施設として使用されている。

               案内説明より

致道博物館正門 赤門

修復中の旧鶴岡警察署庁舎

修復直前の庁舎

  旧鶴岡警察署庁舎 国指定重要文化財
創建: 明治十七年十一月  重要文化財指定: 昭和三十一年十二月二十八日
構造: 木造二階建て、両翼一階建て、玄関突出、桟瓦葺  棟高19m、建築面積237.6㎡
この建物は旧西田川郡役所と同じ鶴岡市の大工棟梁・高橋兼吉が設計し、市内馬場町(現在の物産館前)に、工費五千三百四十六円二十銭をもって、明治十七年に起工、同年十一月に完成した。昭和三十二年鶴岡警察署移転に伴い、建築士会が中心になって現在地に移築復元したものである。この建物は外部窓廻りなどにルネッサンス様式を模しているが、屋根の大棟、破風妻飾りなど在来様式をも巧みに取り入れ、明治初期の疑似洋風建築として独特の形態をもっている。初代山形県令・三島通庸が明治新政府の威容を現すべく建築したといわれ、木造入母屋造の堂々たる外観を示している。
  旧鶴岡警察署庁舎修復が概要
構造形式は踏襲 木造二階建 宝形造 桟瓦葺 建物面積237.6㎡建物本体の軸部の傾斜と不同沈下が著しいため、いったん、すべてを解体し、基礎石の据え直し、腐朽・破損した木部の補修・取り換えを行った後、元通り組み立て直します。

          案内説明より

鎌・鋸・刃物等の鍛冶製品資料

石材加工・石工道具資料

商標看板

  酒井氏庭園  国指定名勝
致道博物館敷地一帯は酒井家入国前の最上家時代から高級武士の屋敷があった場所である。旧藩主御隠殿北面にあるこの庭園は「築山林泉庭園」で、池の対岸築山の正面中腹に石を立てて庭景の中心とし、左手には枯滝を組み、その一帯に峡谷の風景を作り出している。
右手の出島には亀頭型の根移籍(珪化木)を立てて景を引きしめ、その奥は深い入江をつくって、静かな趣を見せている。また、本来はやや右手の築山の後に遠く鳥海山を借景として取り入れられていた。正確な作庭年代、作者などは不明であるが、すぐれた古庭園の少ない東北地方では稀に見る典型的な書院庭園として貴重なものである。昭和四十六年大修理を行って旧態に復した。
  御隠殿
ここの土地は庄内藩酒井家入国の元和八年(1622)から藩の御用屋敷のあったところで、慶安年間(1648~1651)には庄内藩三代藩主・酒井忠勝の次男忠俊の住居があった。
現存する建物は、幕末の文久三年(1863)十一代藩主酒井忠発の時に藩主の隠居所(御隠殿)として建てられたもので、江戸屋敷から移築したものと伝えられている。
奥の座敷では「能」を演ずることができるように、きれいな床板が張られ、床下には音響をよくするために大きな甕が並び据えられていたといわれる。玄関と奥の座敷が当時の建物の一部で、大名屋敷の広壮な面影を偲ぶことができる。
  阿弥陀如来来迎図石板碑  鎌倉時代
この形式の板碑は我が国において数少なく誠に珍しいものとされている。建立年号など磨滅しているのは惜しまれるが、三尊の姿や雲様がよくわかるので貴重である。明治中期の考古学者・犬塚又兵衛(鶴岡の人)が福島県郡山から持ち帰ったものである。
中央に阿弥陀如来、向かって左側で合掌している仏が右脇侍の勢至菩薩、右側で手に物を持っている仏が左脇侍の観世音菩薩である。まだ来迎図としてしっかりしているので、半雨ざらしで置いておくべきものではなく、しっかり保存してほしいものです。

              案内説明より

東照大権現十六将之像

華陽中台先生顕彰碑

旧致道館瓦紋

祭器は、儒学の祖である孔子を祭る釈奠(せきてん)の時に神饌物(おそなえもの)を盛る器で、全部で十四種、六十八個あります。これらは、藩校創立と同時に備えられたと伝えられており、現存しているのは全国的に珍しいものです。

祭器の展示

庄内藩初代藩主・酒井忠勝公肖像

敬天愛人

明倫學校

キタミズクラゲ
庄内での出現記録は、1979年に遊佐町の地引網に入網下のみ。成長すると傘の緑が茶色に染まる。
毒の強さ: 中


ラビアータ
日本産のミズクラゲと比べ、傘の裏側の中央が王冠のように発達する。
毒の強さ: 弱

ミズクラゲ

ミズクラゲ

ミズクラゲ

鶴岡城址

鶴岡城公園   鶴ヶ岡城址 荘内神社 護国神社 御城稲荷神社

  御城稲荷神社
当稲荷神社は、宝永五年(1708)庄内藩四代藩主(庄内酒田家六代)・酒井忠真公が、当時のの鶴ケ岡城二之丸東北隅に城内鎮守として創建しました。以来、歴代藩主、藩士の篤い崇敬があり、年一回の祭日は城下の人々の参拝も特別に許され、城内は大変な人出であったと云われる。明治維新後、城取り壊しの際も当社だけはそのまま残されました。これは藩のみならず、一般民衆の崇敬が厚かったからであろう。

御城稲荷神社

拝殿・幣殿

  聖徳太子光寿無量堂
江戸時代から大工職人の間で、聖徳太子を大工の神と崇め奉賛する講が開かれ、太子堂が全国的に建てられました。この御堂は明和八年(1771)鶴ケ岡城外北方の堀端に建てられました。祀られている聖徳太子御像は、明和年間に江戸の彫刻師に注文したが、柱間一尺四寸の「宮殿」は、それ以前の延宝七年(1679)頃の製作との覚書が残されています。
その後、四ツ興屋(現新海町)に移し祀られておりましたが、荒廃がひどく棟梁・小林松右衛門氏は、文政八年(11825)大工職人衆の意を汲んでこれを修理し、大工町(現陽光町)の自邸内に移転し、明治二十六年(1893)には万事小林家でお祀りするようになりました。大正三年(1914)には萱葺屋根が瓦屋根に替えられました。
昭和の終わりころ、それまでこの太子堂のお祀りを続けてきた小林家及びその関係者がこの地を離れるに当たり、菩提寺である極楽寺に聖徳太子御像と厨子、及び宮殿が安置保管されてきました。御本尊不在となった御堂は、荒廃はしたものの、鎌田悌治氏が、然るべき場所に移転して保存する価値があるものとし、平成九年五月に解体し、一時保管されました。
風間家は太子崇敬の念篤く、太子堂建立の思い深く、両者の出会いにより、現在地に聖徳太子光寿無量堂として、平成十一年八月二十二日、移築再建されたものであります。また、聖徳太子御像と厨子、及び宮殿も平成二十年七月三十一日、極楽寺より此の元の御堂に帰還され、同年八月二十二日、お移徒法要(おわたましほうよう)が執り行われました。
                                   
  丙申堂
明治二十九年(1896)丙申の年に、風間家七代当主・風間幸右衛門が、住居及び営業の拠点として建築したもので、八代当主幸右衛門が建築年に因み「丙申堂」と名付けました。主屋を中心に南側は道路に面し、薬医門と前蔵、西側に中蔵と奥蔵、北側に小蔵(金庫蔵)が配されている。
この建物は、明治二十七年(1894)の酒田地震を教訓にして建てられたものとして伝えられ、広大な板の間に架ける梁をトラス構造にして中央を大黒柱で支えるなど工夫の跡が見られます。なお、平成八年十二月に主屋、平成十一年六月に表門(薬医門)、付属の各蔵、板塀、風呂場などが国登録有形文化財となり、平成十二年十二月に国指定重要文化財となりました。

                   案内説明より

城下町  庚申堂 釈迦堂 鶴岡カトリック教会天主堂

座敷床の間

格子透かし欄間

名の由来の釈迦如来

聖母マリア像(黒いマリア)

キリスト像

養父ヨセフ像

松尾芭蕉足跡

反対河畔から

曹源寺と念珠の松

温泉分析書

古代・中世鼠ヶ関址石碑

近世鼠ヶ関址石碑

新潟、山形 県境石碑

辺境の港町には豪邸も多い

擬洋館風の建物

鶴岡市立加茂水族館

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積善館 朱橋

グランドホテル夕食

森のこだまへの廊下

利根川を挟んで榛名山

境内のさくら

境内の白梅

露天風呂から波打ち際

八戸駅 物産館の三社大祭山車
「天長地久七福神」

浅虫温泉駅

懐かしの内外製薬 ケロリン桶

道祖神説明板

男女の双体道祖神

鶴岡市内

乗り合い馬そり  
朝日村熊出 佐藤正志氏寄贈品

鶴岡と落合の間を冬季雪中の乗り物として、資統制(石油類)の中で、昭和二十年頃まで運行されていた。

木枠・曲げ物道具資料

下駄・桶・生活用品の製作道具資料

刀鍛冶・刀工 製作過程資料

阿弥陀如来像

阿弥陀如来来迎図像

旧藩主御隠殿 庭園から

キタミズクラゲ

ラビアータ

荘内神社 一之鳥居

二之鳥居

三ノ鳥居と拝殿・社務所・参集殿

手水舎 御神木・夫婦杉(樹齢350年余)

丙申堂 無量光苑釈迦堂
開館期間: 4月10日~11月30日  休館日: 7月13日
開館時間: 9.00~16.30 (最終入場16.00)
入館料: 丙申堂、釈迦堂共通入館券 大人400円 小中学生200円
      各入館料 大人200円 小中学生100円
公益財団法人 克念社 (丙申堂内)

まちなかキネマ駐車場の片隅にある長山邸跡と
「めずらしや山をいで羽の初なすび」の芭蕉句碑

源義経ヶ浜

浜の脇に立つ石碑

道路脇に立つ石碑

外観

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八戸温泉 hatinoheonsen

絵画列

朝食

ホテル外観

山田洋二監督映画作品 たそがれ清兵衛 ロケ記念碑のロケ協力隊写真 

側廊ステンドグラス窓

オルガン

庫裡

森のこだま露天風呂

貴惣門 国重要文化財
左・持国天 右・多聞天

斉藤 実盛像  歓喜院

長井庄斎藤別當實盛館跡の石碑

8時をこえた静寂の駅

東宮殿下(昭和天皇)台臨之場石碑

濠堤の老松

馬そり

民具の館 

手水舎

庭園

古代・中世鼠ヶ関址付近

JR鼠ヶ関駅

屋外浴槽 気泡風呂

朝食バイキング

屋内浴場

参照: 温泉と観光→温泉その11→あつみ温泉

山代温泉 yamasiroonsenーsannoukaku

金沢近江町市場

市場内食堂 海鮮丼

乗車記念スタンプ

妻沼 聖天山歓喜院

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温泉成分分析書

浴室

大浴場

ワンウェイ露天風呂

東京行き「はやて」

道の駅 浅虫温泉ゆーさ浅虫 5Fはだかの湯

湯田川温泉

東京第一ホテル鶴岡  湯田川温泉

温泉名: 鶴岡駅前温泉
源泉名: 庄内交通源泉
泉質:単純温泉
    低張性 弱アルカリ性 低温泉 
    pH 8.4  陽イオン 62.2㎎/㎏  陰イオン 135.8㎎/㎏  
    成分総計 252.8㎎/㎏
源泉温度:29.8℃
湧出量:不明  湧出形態:掘削動力揚湯
注入排出形態:加温 循環ろ過 消毒
効能:神経痛 筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ
   慢性消化器病・痔疾・冷え性・疲労回復 
利用料: 2000円
利用時間: 土・日・祝日 6.00~23.00  
平日 6.00~9.00  12.00~23.00
休日:無休 (問い合わせ)

東京第一ホテル鶴岡 スパ・サウナスオーミ
山形県鶴岡市錦町2-10  Tel: 0235-24-7611

JR鶴岡駅に近く、庄内交通バスターミナルエス・モールの並びにあり交通の便が良い。酒田・鶴岡の観光や、湯の浜・由良・あつみ温泉へのバスの便もあり、拠点となりうるホテルです
。    

共同浴場 正面湯

温泉旅館が隣り合う小さな温泉地で道路からすべて?の旅館が見える 左からたみや旅館、甚内旅館、湯どの庵

藤沢周平縁の湯田川温泉

日吉町の致道館発祥の地案内板

保存樹木 御衣黄桜

保存樹木 欅 市指定天念記念物

大寶館

重要有形民俗文化財収蔵庫

旧渋谷家住宅 国指定重要文化財

平入り 明り窓付き

酒井家庭園  池泉回遊式庭園

孔子ゆかりの楷の木

ミズクラゲ

1日~9日目 育成の水槽

水槽の様子

旧致道館

庭園

庭園

庭園

  鶴岡カトリック教会天主堂
この天主堂はフランス人・パピノ神父の設計といわれ、明治三十六年(1903)鶴岡市三日町に在住した大工・相馬富太郎が棟梁となって完成した建物で、ヨーロッパ中世期頃に建築されたロマネスク様式をもつ教会であり、昭和四十八年山形県有形文化財、昭和五十四年五月に国指定重要文化財に指定されました。
特色は、教会堂特有の三廊式パジリカ型の平面をとりいれたことで、中央と両側にそれぞれ身廊側廊と呼ばれる部分と多角形の平面をもつ後陣とが型成されており、身廊の高い天井と側廊の低い天井にはそれぞれ交差されたヴォルトが用いられ、それが直角に交わり集合されて、その下部は葉形の柱に力強く支えられている。
外観は鐘楼が中央に突出して高く、ロンバルト帯といわれる半円の連続模様がその壁をとりまき、身廊の主棟と低い側廊の屋根との間には小さな丸窓を設け、側廊に半円の窓枠を取り付けたのもロマネスク特有のもので、中世に建てられたヨーロッパ大寺院そのままの形を模したものである。

                案内説明より

厳島神社 弁天島

近世鼠ヶ関址公園復元門

近世鼠ヶ関址公園



鼠ヶ関
 海岸さんぽ

分析書 湯田川1号源泉

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温泉成分分析書

大寶館  鶴岡市馬場町4-7 0235-24-3266  
開館時間9.00~16.30 休館日 毎週水曜日・12月29日~1月3日

渋谷家住宅土間 用品の色々

馬屋

世界遺産・合掌造屋根と同じです

德川家康の右手 酒井左衛門尉忠次

念珠の松 三枚に分割して

管理費として100円お願いします

念珠の松庭園

左側の根幹

ヒサガキ

本堂左裏の案内板

本堂

曹洞宗 曹源寺

金刀比羅宮 鳥居と祠

弁天島

巨大な消波ブロック

波を被りそうな遊歩道

灯台と遊歩道

御輿

御輿蔵

社務所

手水舎

狛犬 風化のためか面白いお顔をしています

本殿

拝殿

厳島神社

大井多右衛門の石碑

本殿

拝殿神額

向拝彫刻

拝殿向拝部屋根(瓦葺)

大イチョウ(乳イチョウ)

手水舎

参道石段

参道神橋

鳥居扁額

由豆佐賣神社石鳥居

道の駅 物産館など

休み処

ロッカールーム

大浴場

温泉成分分析書

浅虫温泉キャンペーンボード
温泉名: 浅虫温泉
源泉名: 浅虫温泉混合配湯泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉
    低張性 弱アルカリ性高温泉
    pH8.45 陽イオン312.8㎎/㎏ 陰イオン644.3㎎/㎏ 
    成分総計1027㎎/㎏
源泉温度: 59.8℃
湧出量: 不明 湧出形態: 掘削 動力揚湯
注入排出形態: 引湯 加温 循環ろ過消毒 かけ流し
効能: 
きりきず やけど 慢性皮膚炎 慢性婦人病
    神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 
    関節のこわばり 冷え性 痔疾 疲労回復 健康増進
利用料: 大人 350円  小人 150円
利用時間: 7.00~21.00
休日: 無休

道の駅 ゆーさ浅虫
青森県青森市大字浅虫字蛍谷341-19  Tel: 017-737-5151

麻蒸湯札 湯めぐりチケット
浅虫温泉旅館組合HP
青森県青森市大字浅虫字蛍谷70  Tel: 017-752-3259

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